ジュウキュウ 暗躍
あまりにも味気のない景色が広がるばかりで、旅に出てから四日が経過してもそれは変わらない。時々廃村となったであろう家屋の密集地帯があるだけで、後は前方に座する巨大な山があるだけだ。天を貫かんばかりに荘厳な佇まいで異彩を放つその山は、いくら歩いても近付いている気配がしない。その巨大さ故に現実味がなさすぎるのだ。
ようやく辿り着いた町規模の集落まで来ると、僕はニナとオリガに提案してそこでしばらく身体を休める事にした。今まで見てきた中では割と良質な状態で家屋が残っている。床や天井は腐ってボロボロにはなっているものの、地べたに座るよりかは幾分か休まる気がした。
僕はワイシャツのボタンを二つ目まで開けて太陽の光から逃れる様にして日陰に入る。森を出てから四日が経過したにも関わらず、鬼族が住むと言われている『大地の裂け目』なる場所に着く感じが一向にない。
オリガやニナに聞いても「もうすぐ」としか答えないので、僕としてはそれを信じて歩き続けるしかない。ふと、僕は座り込んだ床の近くで、一枚の紙切れが落ちている事に気が付いた。
「これは、絵?」
写真の様に精密で、だがどこか現実味のないその紙に写されていたのは、一人の青年と女性であった。というか、魔女だった。写っていたのは間違えようもなく、あの魔女だ。
正直驚愕してしまう。愕然と、僕はまるで演技でもしているかのように目を見開いた。だが、これにはその価値がある。何せ魔女が写っているのだから。
少し若く見えるが、それでもやはり、あの言語化し難い禍々しさは紙から放たれている。隣に居るのは青年だ。容姿の整った、——まだ二十代くらいだろうか——有り体に言えば『カッコいい』青年だ。
魔女は座り、青年はその横で魔女の肩に手を置いている。両者ともこちらへ、それがカメラなのか絵師に向かってなのかは分からずとも、ともかくこちらへ向いて微笑んでいた。
先週、初めて見た時と違う所を上げるとするならば、座っている魔女の腹部だろう。彼女のそれは膨らんでいた。目で見える程に、まるで赤ん坊が入ってでもいるかの様に、膨らんでいるのだ。
「子供が、居たのか?」
僕は一人呟いた。魔女が仮にも、非現実的であったとしても、この絵だか写真だか分からないこれに写っている魔女の過去が肥満体型である事を僕は一応考察した。
「いや、ありえないな」
すぐに僕は首を振って自身の問いに否定した。肥満体型ならば、首回りや顔に脂肪が付いているはずだ。ふくよかな見た目が必然的に強いられるはずなのに、彼女の腹部以外は全く太り気味ではない。
だからやはり、考えられるのは魔女が子を宿しているという可能性だ。そしてその可能性はほぼ確定的だと僕は思う。
ならば必然的にこの隣に立っている青年は父親であり旦那なのだろう。別に魔女の家族構成には興味がある訳ではない。だが、魔女が人間に魔力を与えたという経歴と、その先にある彼女が見据える到達点を考慮した時、この紙切れは想像以上の価値があるのだと考えるのが妥当だろう。
疲れを忘れて僕は立ち上がり外へ出た。まあ、屋根も壁もろうにないこの家屋において、外の概念なんてほぼない様な物だが、ともかくとして僕は外へ出た。
「オリガ」
それから僕は近くにいた——恐らくはこの廃村を見て回っていたであろう——オリガに声を掛けた。
「……何だ」
良かった。相変わらず不満そうではあるが、どうやら頭ごなしにこちらの話を聞かない訳ではなさそうだ。僕は彼女の元へ少し足早に歩き寄ると、一枚の紙切れを見せながら訊いた。
「これは、魔女だ。少し若そうに見えるけれど、直に見た僕からも直感的にそう思った。君はどう思う?」
「……」
オリガは、僕の差し出した紙に写った魔女を見つめる。目を細めて、珍しく考え込んでいるようだ。まあ、実際彼女の今までの態度からあまりにも筋肉質な脳だったかというか、とにかく、そういったオリガを見るのは何だか新鮮だった。
そして彼女は、組んでいた腕を解くと、僕の方を真っ直ぐ見据えた。とても綺麗な瞳に映り込んだ僕は、彼女の答えに固唾を呑んで待っている子供みたいで、少し面白い。
「私は魔女と会ったことはないし、顔も知らない。だから、貴様がここに写った女を魔女と言うのなら、そうなのだろう」
何だ、とても簡素な答えだ。僕は少し落胆した。割と長い時間黙り込んでいたオリガが口にした言葉が、あまりにも期待外れだったからだ。けれど「そうか」とかろうじて言うことで、その肩透かしを悟られないよう気を付けた。
だが、と彼女は続けた。
「だが、疑問がある。これを魔女として考えた時、そしてこの腹に子を宿していたと考慮した時、少なくともこの隣に居る雄個体の人間を愛したのだとすれば」
随分と回りくどく、とても長ったらしい台詞だ。ありとあらゆる仮定を重ねて、それでも彼女なりの解釈をしようとしているその様から、僕は彼女のこれまでの沈黙の回答がここにあるのだと理解する。
「子を宿す程人間を愛したのなら、何故魔女は人間に魔力を与えた。与えただけでなく、魔法を使わせて戦争を起こさせた?」
「……それは、僕も思っていたんだ」
確かに僕もそれに関して疑問が浮かんでいた。だからこそ、その答えをオリガから聞こうとも思っていたのだが、なるほど、オリガもそれを知らないようだ。
僕は彼女に差し出していた紙を再び僕の方へ向けて、もう一度そこに居る魔女の家族を見つめた。
優しく微笑んでいる、妖艶さは滲み出ていつつも、やはり少し雰囲気が違う。まるで母親の様で、愛する青年の為に、その魔女は笑っているみたいだ。あの魔女がよもやこんな表情をしているのは、何だか信じられないが、彼女の過去にはこういったものがあった、きっとそれだけだ。
「まあでも、何となく分かってきた」
「分かってきた? 何をだ」
「……魔女がどうして魔力と魔法を人間に与えたのか。けれど、分かってきたって言っても、予想の範疇を出ない」
結局は憶測と妄想の範疇を超える事はない。だから僕はその先の言葉については口をつぐんだ。別に、彼女に隠したい訳ではない。
ただ。
「質問しておいてこう言うのも何だか変だけれど、別に魔女の経歴に関してはそれ程問題じゃあないんだ。どうでも良いと言っても良い」
例え僕の仮説が正しかったとして、じゃあそれが一体今後にどう響くのかと聞かれれば、僕は首を横に振るしかないのだから。
「私に意見を求めておいて、結局自己解決してしまうのか、貴様は」
傲慢だな、と彼女は言った。吐き捨てた。
けれどそう言われても仕方がない。僕だけでこの疑問に答えを出してしまうのはやはり、オリガからすれば自分勝手だ。
「でも、そんなにオリガだって魔女の事興味ないんじゃあないか?」
「……まあ、それはそうだが」
思えば、オリガとここまで長く会話するのは初めてだ。彼女はどうやら、僕が思う程無愛想という訳ではないみたいだ。いや、無愛想ではあるのだが、口調の端々に抑揚があるからそう感じているだけかもしれない。
「別に魔物と魔女は対立している訳じゃない。だから魔女について何か知りたいとは思わない」
オリガは僕の言う事に肯定した。
「じゃあ良かった」
僕は思わず安堵した。安堵してしまった。
異世界に来て、張り詰めていた空気が解けて、ようやく心が落ち着いた感じがしたからこそ、油断してしまったのかもしれない。
この時僕はもっと気に掛けるべきだったのかもしれない。背後で何人かが、僕らの事を窺っている事を、僕はもっとその視線を気に掛けるべきだった。
そうすれば少なくとも、これから起こる厄介事が幾分か楽になっていたのは確実だったかもしれない。それに気が付くのは、今はまだ先の話なのだが。
「お頭ぁ」
夜中、男は焚火もしない暗がりの中で、目の前に居たもう一人の男、お頭と呼ばれる男に声を掛けた。
「ありゃあ妖精族ですよ、妖精族」
「……ふふ」
お頭と呼ばれた男はその言葉に笑った。別に面白い要素は一つとしてなかったはずだが、どうやらお頭のツボに入った様だ。
「羽一枚で金貨十何枚分にもなる。妖精族そのものは、もっと高く売れる」
お頭は値踏みするみたくそう言った。とてもイヤらしく、気味の悪い笑顔が暗黒の空の下でもくっきりと浮かんでいる。周囲に何人も居た男——恐らくは仲間達だろう——がそれぞれ声を上げて笑った。あくまでひっそりと、笑った。
「わざわざベレニアス王国から抜け出たんだ、獲物を持って帰らなきゃあ、損だよな?」
お頭は仲間達に語り掛けた。いや、本当は自分に言い聞かせたのかもしれない。だが、お頭の真意を知らないまま、男達は頷いた。
「この近くにゃ鬼族が住む『大地の裂け目』があるって噂だ。もしかしたら、鬼族どもも狩れるかもしれねぇ。もう少し様子を見る」
効率的に、殺戮的に、奴らの息の根を止めよう、とお頭は言った。
カズヤ達の事を暗に示しているのは明確であり、先程の言葉も彼らを標的にしているのはこの男達にとっては当然の意だ。
だから狩る。
そして売る。
得られるのは金であり、そしてそれは自分達の生活を潤す要因となる。
魔物とは、人間にとってそれだけの存在だ。
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