ジュウロク 想い

「ニナも行くのです!」

 カズヤが出てからすぐ後に、エレオノーラの小屋にニナが入り早々にそう叫んだ。机の前で何かを書いていたエレオノーラは不意を突かれて目を丸くすると、「駄目よ」と短くそう答えた。

「ニナ、会話を隠れて聞くなんて、いつからそんな行儀の悪い子になったのかしら」

「う、それはごめんなさいなのです」

 罰が悪そうにニナは両手の人差し指を合わせるが、「でも!」と顔を上げる。とても強い意志を持った目だ。緑色の瞳にはエレオノーラが映っている。

「ニナは外へ出たいのです! 外へ出て、どんな世界が広がっているのかを知りたいのです!」

「……駄目と、言っているでしょう」

 ペンを机に置くと、ニナへ向き直った。エレオノーラの脳裏には今、過去の自分を連想させていた。好奇心旺盛で、外へ出てみたいという無邪気な過去の自分自身を重ねてしまっていた。

「ニナ、外には危険が沢山ある。私の羽がないのは、人間達に毟り取られたからよ。知っているでしょう?」

「でも、人間の国は一つしかないのですよね? だったら、昔みたいにもう人間が闊歩している可能性は低いの——」

「駄目よ」

 ニナの言葉を遮ってエレオノーラは強く否定した。それからニナを抱き締める。ほのかに甘い香りが漂う。優しい手付きでニナの髪を撫でて、出来るだけ優しく、諭す様にしてエレオノーラは言った。

「お願い、私はもう誰かの背中を見るだけで、どこかへ行ってしまったまま帰ってこない家族と一緒になって欲しくはないの。私は、大切なあなたを失うのが、とても怖いの」

「お母様……」

 エレオノーラの声はひどく震えていた。悲しさの込もった彼女の口調に、ニナは母の背中にそっと手を回した。

「ようやく、弱気になったのです」

「……え?」

「ニナの知っているお母様はとても強くて、いつだって自信満々なのです。でも、お母様が泣いている所を見たのは一度もないのですよ」

 エレオノーラの顔をニナは覗き込んだ。いつの間にか溢れそうな涙を、ニナがそっと拭う。

 とても優しい子だ。きっとこの子はこれからも優しくあり続ける。けれどそれが今のエレオノーラにはとても辛い。

「お母様が安心して泣ける様に、ニナはもっと強くなりたいのです。どんなに辛い目に遭ったとしても、ニナは我慢出来るのです」

 この小屋に入ってから変わらないニナの強い視線が、エレオノーラに突き刺さる。何を言っても動じそうにない瞳だ。

 ——いつからこの子はこんなにも強くなったのだろう。決まっている。私が弱いからだ。弱くて臆病で、情けないからニナはこんなにも逞しくなったのだ。

「……分かったわ」

 エレオノーラが一言そう口にすると、ニナの顔が明るくなる。

「でも、無茶をしては駄目よ」

「わかっているのですよ!」

 エレオノーラはすっ、と立ち上がると、幾つもの魔法書が置かれている本棚へ近付きその中から一冊を取り出した。

 母の前の代から残し続けてきた、受け継がれてきた魔法書の一冊だ。その一冊を開き、あるページで止まる。そこにはとても綺麗な首飾りが挟まっていた。

 ニナの瞳の様に美しく輝く緑色の宝石をあしらった綺麗な首飾りだ。それを取り出し、暫く見つめていたエレオノーラが何も言わずニナの首にそれを掛ける。

「お母様、これは……?」

「これは大切な物よ。私が唯一信頼した人間から貰った、大切な物」

「これが……とても綺麗なのです」

 まじまじと宝石を見つめるニナに、エレオノーラは再び椅子に座ると口を開いた。

「もしも、どうしようもなくなった時、その首飾りに魔力を込めなさい。そうすれば、きっとあなたの助けになるから」

「はいなのです!」

 ニナは大きく頷くとエレオノーラに飛び付いた。とても軽い彼女の身体を受け止める。

「そう言えば、カズヤさんと行くのを認めるって事は、お母様にとって信頼出来る人間は二人目なのですね!」

「……ええ」

 そうね、とエレオノーラは呟いた。とても悲しげに呟いた。それは、彼の悩みを知っているからだ。

 カズヤが小屋の外で泣いていたあの夜、それを聞いていたエレオノーラにとって、ニナのその言葉はひどく残酷にも聞こえてしまったから。

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