キュウ ニナ
小屋に再三戻った僕は、ふう、と一息ついた。もう既に外は真っ暗だ。エレオノーラに「今日はここで寝なさい」と言われて空き小屋に連れて行かれた。使い古されたベッドの上に横たわった僕は一人、顔を覆った。
マコトとヒヨリは無事かもしれない。あの大聖堂に残された血痕は身廊の物だけで、その他は特に血が飛び散っている感じもしなかった。エレオノーラの言うところの人間に保護された可能性の方が高い。
ならば一先ずは安心しよう。そう思って僕はようやく胸を撫で下ろした。
「……眠れない」
僕は一人で呟いてから、ベッドから起き上がると外へ出た。冷たい夜風が僕の顔を撫でる。とても心地良くて凄く安心する。
バルコニーの様な場所で僕は壁に持たれかかると空を仰いだ。そこにはとても美しい星々が爛々と輝いている。まるで自分が一番綺麗だと主張しているみたいで、何だか面白い。
けれどこの景色を最後に見たのは、あの三人とだった。マコト、ヒヨリ、そして僕の三人で。
僕は胸を握る。別にそこが痛かった訳ではない。いや、痛いのかもしれない。だが、僕は不安でしようがなかった。
僕は本当に僕なのか? あの時、屋上で見ていたカズヤと、ここで涙を堪えるカズヤは同一人物なのか? そこに同一性は? 違いは一体どこにある? 疑問が泉の様に噴き出る。それを僕は頭を押さえて堪える。
「マコト……!」
僕は親友の名を呟いた。ここには居ないマコトの名を呼んだ。勿論返事はない。けれど僕は答えて欲しかった。そして僕の名を呼んで欲しかった。「カズヤ」と。そう言ってくれるだけできっと僕のこの痛む胸も、締め付けられる様な頭もスッと安らぐ気がしてならない。
「カズヤ、カズヤだ……。僕はカズヤだ」
そうだよな、マコト。ああ、こんなのまるで思考実験のスワンプマンみたいじゃないか。明確に違うのは、スワンプマンには自分が沼から生まれた事を知らなくて、僕は自分が死んでしまった事を知っている。
小さくて些細ではあるけれど、成る程これはやっぱり当事者からすれば大ごとだ。
もう一度マコトに、ヒヨリに会いたい。そしてこの空を再び笑い合って眺めたい。それをするのに、今のままではいけない。こんな状態で、彼らと会って僕はどんな顔が出来るだろうか。
矛盾を抱える僕は、蹲ったまま床に倒れる。身体を丸めて、必死にあの二人の顔を思い出す。マコト、ヒヨリ、僕はこれからどうすれば良い。どうすれば僕は僕で在り続けられる? カズヤが僕である事を、どうすれば僕は確信出来るのだろうか。
「マコト……!」
僕はまた親友の名を呼んだ。そうしなければきっと僕の身体が溶けてしまいそうな程苦しかったからだ。異世界に来て、殺されて、魔法とかいう意味の分からない力があって。それなのに僕はそれを使う資格がない。それどころか、もっと意味不明な力を有している僕を、僕は恐れた。
助けてくれ。誰か、助けてくれ。
僕は自分が嫌いになる。もう何度目だろうか。こうやって自分が自分でなくなる気がするのは一体、何度目なのだろうか。
切に願って、そうして僕はそのまま疲れて、眠ってしまった。
「ちょっと、起きなさいよ」
耳元を擽られている様な心地良い囁き声で僕はようやく目を覚ました。そうだ、あれから僕はバルコニーで赤ん坊みたいに丸くなって眠ってしまったんだ。
ぼやける焦点が段々と合ってくると、まず目に入ったのは金色の垂れた髪と、エレオノーラの胸元だった。
「あ、起きた。全く、せっかく空き小屋案内してあげたってのに。アンタは外で寝るのが好きなの?」
「あー、いや別にそういう訳じゃないんだけど」
身体を起こして左腕に触るとほとんど感覚がなく、びりびりと痺れを残している。軽くマッサージをして血流の促進を促す僕に、エレオノーラが後ろにいた子に声を掛けた。
あれ、確かこの子は僕が最初にこの森で目を覚ました時に膝枕をしていた……。
「ニナなのです!」
「えっと、よろしく」
屈託のない笑みで僕に一言挨拶をした彼女に、僕は呆気に取られながらもペコリと頭を下げる。
「アンタのその力を調べるのに、この子の魔法の練習相手になって欲しいのよ」
は? 練習相手? 僕は寝ぼけ眼をパッチリと開けてエレオノーラの方を見た。彼女は髪をかき上げるとニナを自分の方へ引き寄せて軽く抱き締める。
やはり親娘というだけあって相当に似通っている。違うのは顔立ちだろうか。少し他者への厳しさを滲み出したエレオノーラの切れ長の目に対して、ニナのそれはとても大きく明るさの象徴にもなっている。
蒼い澄んだ瞳でエレオノーラはニナを撫でる。何だかとても微笑ましいのだが、それよりも僕は自分を練習相手と称した事が気がかりだ。
「ほら、アンタのその力にアンタ自身が疑問に感じていたでしょ? 自分の力をもっと理解するのに、その相手が必要だと思ったのよ」
僕の訝しげな表情に、彼女はそれを察したのかこちらを見て言う。しかし成る程、昨日は直接言っていなかったのだが、どうやらエレオノーラはエレオノーラで僕の事を考えてくれていたようだ。今回はそれが一致した。
「この子は私の後継者だから、娘達の中でも一番魔法を使うのに長けているわ。その力の発動条件はなかなかに大変だし、この子もこの子で魔法の修練をしたい。利害が一致していると思うのよ」
「利害って……まぁ、でも確かにそうだな。けれど良いのか?」
僕は聞いた。その質問はエレオノーラというより、彼女の娘のニナへのものだ。だからかニナが元気良く右手を上げると口を開く。
「ニナは問題なしなしなのです! それに、お母様から事情は大体聞いたのですよ!」
そうか、ニナは僕のスワンプマンの様な不思議な力を知っているのか。知っている上で了承と協力をしてくれている。正直ありがたい。ここに滞在させてもらい、更には力まで貸してくれるのだから。
けれど、と僕は少し俯いた。まだ僕の中で葛藤がある。このまま本当に滞在し続けて良いのだろうか。この力を調べていて良いのだろうか。マコトは? ヒヨリは? 二人の安否が不確かな現状において、自分を優先する事が正しい行為なのだろうか、と。
「……ま、別に良いのよ。このまま森から出ても私は止めないし」
でもね、とエレオノーラは前置いた。とても澄んでいてどこまでも透明な声音はまるで歌ってでもいるみたいだ。
「私は困っているのが人間だろうとそうでなかろうと、放っておく程冷たくはない」
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