ハチ 居ない

「……」

 固唾を呑んでいた僕は一息ついた。成る程、彼女に羽が無いのはそれが理由か。確かに人間を忌み嫌うのも無理はない。

 聞いておいて何だが、掛ける言葉が見つからない。正直どんな言葉もエレオノーラにとっては気休めにも慰めにもならないだろう。

「どう、満足したかしら」

 エレオノーラがやや自嘲気味に笑ってそう言った。どうやら僕は彼女に助けられたらしい。もう一度息を吐いた僕はそうか、と一言口にした。

「ごめん。聞きたいって言っておきながらだけれど、その……」

「別に良いわよ。あの時私が森の外に行こうとも、母さん達は人間に戦いを挑みに行っていたと思う」

 違う、そうじゃない。エレオノーラがされた男達の行為に、僕はごめんと謝ってしまったのだ。外がとても良い物だと思っていた彼女の期待を裏切った世界そのものを想像すると、気持ちが悪くなってくる。

 彼女は当時どんな気持ちだったのだろう。絶望して、叩き落とされて、真っ黒に染まっていく理想を胸に抱いてしまったエレオノーラはどう思ったのだろうか。それを考えると、僕は自然と歯を食いしばってしまう。

「ああ、そうだ。アンタ友達っていうのと一緒だったんでしょ? それならもう一度その大聖堂に行ってみる?」

「え、良いのか?」

 正直僕は驚いた。外に出ても良いという事にではない。その優しい口振りから、まるで僕を案内しようとでもしている気がしたからだ。

 僕は静かに頷いた。そう言えば、この森に来てからどのくらいの時間が経ったのだろう。少なくとも、一時間以上は経過している。だからこそマコトとヒヨリの安否が気になって仕方ない。

「頼む、エレオノーラ」

「ま、良いわよ。知りもしない世界に来て戸惑っているだろうし……って、アンタに優しくしてる訳じゃないから」

 ビシッと人差しをこちらに向けながらエレオノーラは言った。まあ、彼女なりの気前の良さなのかもしれない。僕が素直にありがとう、と言うと、エレオノーラが金色の髪を両手で掴んで顔を隠そうとする。

「ほ、ほら。行くわよ」

 エレオノーラが立ち上がり、再び扉の外へと出る。僕はうん、と一度目を瞑り腰を上げた。目を逸らしてはいけない。僕はきっとどうしても嫌な気分になるのかもしれない。

 それでも。

「マコトとヒヨリに会いたい」




森の外はとても開けていて、そして戦禍の残る悲しい佇まいの並ぶ街が広がっていた。隣接する森と人間の街。成る程、確かにこれは妖精族が警戒して森を守るのも頷ける。

 僕は髪を揺らしながら前を歩くエレオノーラの後を追った。廃屋、廃屋、廃屋。土と腐った木の匂いが入り混じって鼻腔を擽る。道路の様な場所へ着いて、僕はようやくこの場所があの大聖堂の近くにあった事を知った。

「大聖堂……っ」

 途端に吐き気が込み上げる。あの痛みと苦しさがフラッシュバックした。怖い。あの魔女がまだ居たらどうしよう。マコトとヒヨリが死んでいたら……。

「ハァッ、ハァッ!」

「ちょっと、大丈夫?」

 エレオノーラが心配そうに胸を押さえて立ち止まった僕の顔を覗き込んだ。けれど僕はその優しさにお礼を言う余裕はなかった。

「だい、じょうぶ。大丈夫、大丈夫大丈夫……」

 一心不乱に僕は同じ単語を繰り返す。エレオノーラに向かってそう返事をしていたつもりだったのだが、どうやらそうではないらしい。全く、嫌気が差すのは何度目だろうか。

 抑えろ、堪えろ。現実から目を逸らしてはいけない。そうするんだと決めたのは、僕だ。カズヤだ。顔を上げて大聖堂の方へ歩き出した。

 カチカチと震えた口の中で歯が音を立てる。




「マコト、ヒヨリ……!」

 僕とエレオノーラは大聖堂の中へ入った。血の匂いがとても強い刺激的で、凄く僕は胃の中にある物がグルグルと喉を駆け巡らせる。

 そこには、マコトとヒヨリの姿はなかった。けれど、身廊には僕が死んだ事によって出来た血溜まりがあった。死んだ僕すら居ない。魔女が連れ去ったのか?

「これ、少しだけど魔法を使った痕跡があるわね」

「魔法……魔女がか」

「まあ、魔女もそうね。けど、魔女のとは違う魔力を感じる。きっと人間がここへ来て魔女と戦ったのね」

 人間が、魔女と? ならあの二人はその人間に助けられたのだろうか。僕はフラフラと身廊まで歩く。遂に辿り着いたそこには、やはり血溜まりしかない。僕はここで最初殺された。

 そして今そこには僕の死体はない。消えたのか? それとも、魔女でなく人間が? 分からない。何も分からなかった。

 けれど一つだけ分かる事がある。

「マコト、ヒヨリ……!」

 二人に会えない。それが僕にとってはとても辛くって、僕は目を瞑るとボロボロと涙を流す。嗚咽が漏れて止まらない。

「……」

 エレオノーラは僕が泣いている間、ただずっとその姿を眺めているだけで僕に話し掛けるでもなかった。それがとてもありがたい。だから今は泣かせて欲しい。

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