ニ そして
夜。正確には午後の九時を回った頃、僕とマコトは高校の正門に到着した。放課後から飽きが有り過ぎるということで、近くにあるファミリーレストランで時間を潰していた。あそこのスパゲティはとても美味しい。特にペペロンチーノは程よい辛さでオリーブオイルの香りが食を進ませてくれる。そうやって時間を潰してようやくの夜。
いつもの朝とは違う学校を見るのは初めてだ。生徒達で賑わっているグラウンドがまるで涙でも流してる様な寂しさを感じさせている。非常灯だけで照らされている廊下が窓を介してぼんやりと目に映る。
「やっほう」
正門には既にヒヨリが立っていた。制服姿の彼女の背中には、竹刀が入った袋を背負わせている。ひんやりとした風が彼女の綺麗な髪をたなびかせている。やはり、ヒヨリは喋らなければ可愛らしい見た目をしていると思う。
「なぁヒヨリ、こんな夜中に学校で何すんだよ。まさか宿題忘れたとか言わねぇよな?」
「まっさかー」
ヒヨリは肩を竦めて口角を上げた。その動作が何だかおかしくて僕も笑う。ただ一人、マコトだけは納得いかないとでも言わんばかりに眉を顰めているが。
「今日は凄い晴れてたし、きっと星が綺麗だと思うのよ。だから、三人で屋上に行きましょう」
「星って……こんな田舎じゃあ、ここと大差ない気がするけれど」
そう口にした僕は空を仰いだ。爛々と輝く星達がまるで自らが一番の美しさを競ってでもいるかの様に点在している。学校の屋上に行ってもきっとその美しさは変わらない。だからこそ僕とマコトは首を傾げた。
「だってもう高校二年生でしょ、私達。来年になったら受験の為に忙しくなるし、今以上に話す時間も無くなる。だから思い出作りしたいのよ」
珍しく青臭い事を言うもんだ。ヒヨリらしからぬそのしおらしさに僕らはハァ、と思わず溜め息が漏れ出た。そうやって言われるとどうしても弱い。
「分かったよ。行こうぜ」
「だな」
マコトはあくまでも仕方ないといった態度で頭を振ると、正門の横にある扉に手を掛けると開ける。僕とヒヨリはその後に続いた。
夜の学校は何だか怖い。物々しさが欠けらもないのだから。こうなればもう、お化けでも幽霊でも出てくれた方が良い。
僕らは一階にある図書室の窓から学校内へ侵入した。何故そこだけ開いていたのかについては、得意げに胸を張るヒヨリを見ていれば瞭然だ。成る程、根回しは既に手配済みだったとは。
相変わらずズル賢いというか、狡猾過ぎてもはや笑ってしまいそうだ。青白い非常灯の光廊下へ出た僕らは静かに近くの階段へ登り始める。
「そういえば、ヒヨリ。お前もうすぐ全国大会だろ? バレたら停学モノの事して大丈夫なのか」
後ろに居たヒヨリに僕は訊いた。剣道部の主将であるヒヨリがこんな事をしていると知られれば結構な大事だ。そもそも屋上は立ち入り禁止。だからこそそれに巻き込まれた僕が訊くのも変な気がするけれど。
「友達より大切な物ってある?」
あっけらかんとヒヨリが言った。いや、部活より友達を重んじるのは嬉しいけれど、と僕は少し笑った。
「懐かしいよねー。山に探検しに行ったり、隣町まで歩いたりさ」
「全部お前から誘ったことだけどな」
二階から三階へ行く階段を登りながら、マコトはそう呟いた。あの時は大変だったものだ。大人達に怒られて、泣かれて。終いには「根性の叩き直し」という名目でヒヨリの道場に通わされた事もある。
「良いじゃん、だって楽しかったし。二人もそうでしょ?」
「……まあな」
確かに、あの時は楽しかったと思う。後先考えもせずに三人で遊ぶのは、子供らしくて面白かった。だからこそヒヨリは当時を思い出したかったのだと思う。
屋上に続く階段に辿り着いた僕らは、その扉の前で一度立ち止まった。「立ち入り禁止」と書かれた札には埃が溜まっていて、少し色褪せている。もう何年も扱われた形跡がないそれに、マコトはこちらへ振り返る。
「これ本当に開くのか?」
「大丈夫大丈夫。もう鍵なんて壊れてるし」
何でそれを知っているんだよ……と言いながらもマコトはドアノブに触れると、ゆっくりと扉を押した。錆びた鉄の軋む音ともに、ひんやりと冷たい風が隙間から吹いてくる。
ギ、ギ、と全部開いた先には、フェンスに囲まれた屋上が広がっていた。石畳は所々ヒビが入っていて、ようやく訪れた客人に喜んでいる様にも思えた。
「うわぁ、見てみて! やっぱり綺麗!」
ヒヨリが歓喜に声を上げながら一番に飛び出ると、満点の星空の下でくるくるとその場を回った。続いてマコトと僕も屋上に出る。空を仰ぐと、やっぱり学校の下とは景色が何ら変わっていない。
けれど、何故か違って見える。ここまで来たからなのか、それとも空に近付いたからなのか、それはよく分からなかったけれど、口を開けて惚けたままこの空を一望した。
「はー……。ね、やっぱり来て良かったでしょ?」
「だな!」
ヒヨリは既に石畳の上に寝そべっている。僕らもそうして川の字になると他愛のない話をした。明日の天気、今している勉強、目玉焼きには何を掛けるか……こういう時間を過ごすのはとても心地が良い。それをこんな綺麗な空の下で出来るのは凄く贅沢だ。
「ねぇ」
と、ふとヒヨリが口を開いた。上半身を起こして膝の上に頭を乗せる姿にはどこか哀愁が漂っている。らしくもない雰囲気に、僕らは黙ってしまう。
「私達、ずっと、ずーっと友達だよね。私が居て、マコトとカズヤが居て。楽しくて悲しくて、でも一緒に居る」
今にも泣き出しそうだ。きっと彼女は怖いのだろう。大人になっていく自分達が、そうして変化していく環境が。
「何言ってんだよ」
しかしマコトは一言、そう口を開いた。
「俺達はいつだって一緒だ。何があったってさ!」
「うん、だな」
僕もマコトの言葉に頷いた。きっと僕らは死ぬまで一緒だと、何故かそういう確信がある。笑い合う僕らはまたこんな景色を見れると思った。
そう、思っていた。
「君達、何をしているんだ!」
扉の方から野太い男の声がした。バッ、と僕らは身体を起こしてそちらに目を向けると、警備員らしき男が懐中電灯の光を向けてくる。
「やば」
ここで捕まったらきっと明日とんでもなく怒られる。しかし屋上の出入り口は一つしかなく、それは今警備員が塞ぐ様にして立っている。
逃げ場がない。僕らは正直諦めていた。
「その制服……君達、一体どこから入ってきたんだ。さあ、こっちに来なさい」
男が僕らの方へ歩いてくる。万事休すか、と僕らが大人しく立ち上がった時だった。
「なっ——」
突然視界が明るくなった。まだ夜の十時を回ってから少ししか経過していない。けれどまるで朝にででもなったみたいに屋上が光った。いや、光っているのは屋上ではない。僕らだ、僕らの足元だ。
視線を下へ移すと、何やら文字の様なものが記されていた。とても読める気がしないが、それは僕ら三人を囲む円の中に描かれている。
魔法陣だ、と何故かそう直感した。
「何だこれは……!?」
ただ一人、魔法陣の外に居た男が突如襲う光に腕で顔を覆う。可哀想に思えるけれど、正直今の僕らにはそんな事を気にしている余裕はない。
光に包まれる中、ヒヨリがこちらに手を伸ばした。
「カズヤ——」
僕もヒヨリに向かって手を伸ばす。きっとこの手を掴まなければ後悔する。何故かそう感じた。だから手を伸ばした。精一杯、精一杯伸ばした。後一息だというところで、しかしそれは叶わなかった。
「ヒヨリ……!」
ヒヨリが消えたのだ。跡形もなく消えた。光に全身を覆われて、次の瞬間には僕は空を握っている。目を見開いて突然の出来事に歯を食いしばる。
そうだ、マコトは。マコトはどうなった。僕は辺りを見渡す。最初は眩しくて頭がおかしくなりそうだったけれど、今はそうじゃない。首が痛くなりそうなくらい周囲を見るが、既にマコトの姿はない。
「マコト、ヒヨリ!」
僕は叫んだ。きっと答えてくれるんじゃないかと思ったけれど、やっぱり返事がない。どうして、どうしてこうなった。嘆く僕の身体がやがて光に侵食され始める。
くそっ、くそっ。せめてあの読み終えていない本を読了したかった。どうでも良い後悔に胸を痛めながら僕の姿は屋上からなくなった。
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