夏の終わり、恋の腐食


 夏も終わる頃。沖縄は9月とは思えない暑さで、もはやこの世には冬が来なくなってしまったのではないかとさえ思える。それでも日々は着実に削れている。その証拠に、セミの鳴き声は極端に減ったし、日暮れの時間が早くなっているし、まとめ買いしたコンタクトは底が見えている。


 そんな9月の頭。バ先での就職が決まった――同日、高校の友達Aからこんなメールが届いた。


「Mを含む3人で飲みに行くんだけど予定空いてる?」


 Mの文字を見て、脳内は真っ白になった。数ヶ月前、悪夢に出てきたあのMだ。登っていた梯子を外されたような、崖の外に放り出されたような、深淵を目の当たりにしたかのような、フィクションラインを渡り歩いているような。そんな浮遊感と目眩に襲われた。


 一度スマホを消し、目を擦って大きく深呼吸――スマホをつける。もちろん、Mの文字はそこから消えることはなかったし、断る理由もなかった。


***


 澄ました表情、落ち着いた足取りで集合場所の居酒屋へ。内心はベッドで悶える高校生、落ち着きのない中坊。


 まだ例の彼氏とは続いているのだろうか、もし続いていないとしたら……。宙を漂う不安と露程の期待が入り交じる。


 Mは後で合流するとのことで、先にAと店に入ることになっていた。久々の再開だったので、近況報告で会話が盛り上がった。


「ところで、なんで俺が呼ばれたの?」


 1番気になっている部分だ。もう5年前の話だが、俺は関係を絶たれた。それをもう気にしていないのか、もしくはワンチャンあると考えたって脳内ご都合解釈ピンクマシマシお花畑高校生なので仕方がない。


「前回3人で飲みに行った時、せっかくだから次は誰か他の人を呼ぼうってなった時、Mが提案したから」


 もはや理解よりも先にお祝いの花火が打ち上がった。大きく、派手に打ち上がる花火を見上げながら思う――こういう時に上手くいったことが今まであっただろうか。喜ぶのは確実に早い、大人になったか細い理性が囁く。その声に従い、脳内を真っ黒にした。星の輝き1つすら許さない夜空のような。


 それなのに居酒屋の入口へ頻繁に意識が釘付けになっていた。花火の残響に合わせて心臓が脈を打つ。視界の端で人影が動く度にぴくり、ぴくりと反応する。腕時計へ目をやる。もうそろそろ来てもいい時間だろう。


「いらっしゃい!」


 反射的に振り向く――そこは笑顔で手を振るMがいた。髪は長くなっており、軽めのウェーブがかかって左肩から流していた。目鼻立ちは相変わらずくっきりしており、耳と指にはいくつかのリングがあった。


 炭酸の弾ける音がぽこぽことなり、コップの縁から溢れる。地に流れた炭酸は、じわりじわりと広がった。


「久しぶり、とりあえずビール注文してもいい?」


 彼女は席に座るなりビールを頼んだ。左人差し指、中指、右小指、中指。彼女が注文している間、指輪が薬指にないことを確認し胸を撫で下ろす。


「それにしても久しぶりだね。5年ぶりくらい?」


「それくらいだね。そっちは今何してるの?」


「今、某古本屋でバイトしてて、今月末で社員になる」


「すごいじゃん! おめでとう」


「Mは看護師なれた?」


「うん、何とか」


 彼女は確かに縁を切るようなことを言ったわけだが、それは俺が解釈を肥大化させてしまっただけなのかもしれない。旧友として普通に接してくれた。そのおかげか、俺も彼女に対して過剰な意識、緊張はしなかった、というのは嘘で。


 彼女はキャミソールの上からシャツを羽織っているのだが、服越しに分かる貧……小さな膨らみに目が行って仕方がない。自身のえろガキ具合に頭を抱えた。それに気が付かれたのかは分からないが、彼女はシャツのボタンを閉じ、髪を結んだ。ちょっと気まづく思ったが、煩悩がなくなって楽になった。


 それはそうと、別で気になっていることがあった。


「そういえば帰りは大丈夫なの? 家遠いよね」


「大丈夫、今この辺に住んでるから」


「一人暮らししてるの?」


「いや、彼氏と同棲してる」


 まぁ……想像していなかったわけではない。しかし、花火が終わった後の空虚感に襲われた。


「彼氏って、あの時の?」


「そう」


 それと同時に安心すら覚えた――もう、彼女に固執しなくていいんだ、彼女を諦めていいんだと思えた。5年以上続いてる恋仲に勝てるわけがないのだから。心に空いた穴はすぐに埋まった。それからは、普通に話したし、楽しく飲み歩いた。


 ハシゴして3件目で結婚の話になった。俺たちはもう25の年だ。周りで結婚の話を聞くようにもなったし、結婚を焦る友達も出てきた。


「私はいい母親になる想像ができないから、結婚する気にはなれないなぁ」


「俺も彼女は欲しいけど、結婚は想像できないね」


「じゃあマッチングアプリやってみたら?」


 Mはそう言った。そりゃあそうだ。逆の立場だとして、俺も同じことを言うだろう。しかしこの瞬間、運命なんてものは、この世に存在しないのだと確信したし、彼女は変わらずこの世で1番魅力的な人だとも思った。


 今まで運命を信じて今まで逃げてきた。だからこそ、もはや機械的な出会いでもいいなと思えた。


 後日、俺は髪を染めて、ネックレスと指輪を身につけて、出会い系アプリを入れた。今まで失敗に失敗を重ねたわけで、それは会話の下手さや自身の子供っぽさやも関係していると思う。それらを魔法のように指を鳴らして変えられたらいいのに。


 アプリの方はあまり上手くいっていない。沖縄故の人口の少なさか、俺のメッセージが下手くそなのか。相手からの反応の悪さにむしゃくしゃしたり、自分らしさを押し殺した虚言と機械的な質問を繰り返しているのを自覚している。恋愛感情は確実に腐食している。

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失恋 Re:over @si223

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