大学一年生


 俺が県外の大学へ進学しても、MとのLINEのやり取りが止まることはなかった。でも、彼女への好意がだんだんと薄れているのは明らかだった。


 しばらくして、彼女から贈り物が届いた。俺のペンネームである「Re:over」の文字が書かれたペンであった。友達として、それから物書きとして、最高のプレゼントであった。握ることすら躊躇ってしまうほどの品だ。


 五月二十三日がやってきた。その日はキスの日で、俺はキスをテーマに短編小説を書いた。そして、その小説を彼女へと送った。作品を書いたら、彼女にデータを送るのがお決まりになっていたからだ。


 彼女はいつものように一言コメントをして、それからキスの話へと発展した。そこからはうろ覚えだ。簡単なことも覚えられない俺の脳は無価値なのかもしれない。


『私が好きになるかどうか、一発・・やってみたらわかるんじゃない?』


 そういうことを言われた。もちろん、スマホを手前に俺はドキドキして、ここが現実なのかを疑った。結局、完全に諦め切れなかった、哀れな自分の淫らな妄想なのではないかと思ったのだ。


 会話がひと段落して、すぐに寝た。翌朝、履歴を確認すると、夢ではなかったことがはっきりした。


 最終的に、俺が地元へ帰った時にやる・・ということになっていた。でも、俺はあまり期待していなかった。彼女が冗談を言っていると感じたからではない。ただの直感で、「おそらく、彼女とはできない。できたとしても、俺たちが付き合うことはない」と感じたのだ。


 何故そう思ったのか、自分でもよく分からなかった。俺の直感はよく当たる。それは自分自身がよく知っていて、だからこそ直感を裏切りたかった。




***




 少し寝坊した。本当ならば、二時間くらい早く起きて、余裕を持って準備を進めようと思っていた。なんせ、今日は運命の日なのだから。


 少しの失敗も許されない。次回はおそらくない。


 朝から風呂に入って、爪を切り、服を選んで……。準備が終わっても、自分の状態が完全である確信がないせいで落ち着かない。若干の緊張もあっただろうか。しかし、一番怖かったのは再会してあの熱意を思い出すかどうかだ。


 大学に入ってたくさん心が揺らいだ。他の誰かに恋してもおかしくなかったが、『この人ではない』という不思議な抵抗が働いた。そのおかげで、なんとか彼女のことを想い続けることができた。それでも、その熱意は薄れてきているのも気がついていた。


 また会えば熱が復活するなんて妄想話ではないかと疑い始めたのだ。キリのない考えがひたすら渦を巻き、心配やら不安やらを煽る。


 集合場所へ着いた。そして、彼女の車へ乗り込んだ。


「久しぶり。元気だった?」


「俺はいつでも元気だよ」


 四ヶ月ぶりの再会。何一つ変わらない雰囲気にとりあえず一安心し、同時に自分の好意を改めて確認することができた。


「……本当に行くの?」


 彼女は言う。何か意味ありげな一言だった。しかし、今更退くことはできずに「行こう」と返した。


 目的地へ向かう途中、大学の話をした。彼女は看護学校へ通っていて、課題やら授業やら大変だと話した。他にも、一人暮らしだから自由で楽しいだとか、趣味の話だとか、たくさん話してくれた。


 ホテルへ到着し、中へ入った。中は思っていたよりも綺麗で、俺も彼女も設備を見て楽しんだ。


 そして、彼女は設置されている大きなテレビの電源を入れた。二人でベッドに座り、ただ流れる映像を見た。


 しばらくして彼女はテレビを消し、疲れたと言って横になった。部屋は暗く、カーテンから漏れる光だけが頼り。俺は彼女を寝かせるつもりは一切なく、頭を撫でた。


 すると、彼女は驚いた顔をした気がした。思わず手を引いて、謝った。


「その……言い難いんだけど、何というか、私のこと諦めてほしい」


 数十分、悩みに悩んで彼女はその一言を放った。


「わかった」


 そう言うしかなかった。ひたすら胸の奥に溜まる何かを吐き出せずに倒れた。真っ暗で、薄い光がぼやけた輪郭を作り出す。そこに現れる彼女の顔と香り。


 俺の上にまたがり、顔を近づけた。


「目は開ける派? 閉じる派?」


 そうか。キスされるのか、俺は。ファーストキスを奪われるのか。


「開ける派」


 少しばかりの強がりだった。彼女に何かしらの余裕を見せつけたかったのだ。


「わかった」


 ――いたずらに時は流れる。永遠かとも思ってしまうほどの長い時間。じわりじわりと記憶に焼き付き、心音と手汗が酷くなる。


 わずかな光が彼女の魅力を引き立たせる。美しくて美しくて……恥ずかしいとはいえ彼女から目が離せなかった。そして、今か今かと待ち続け、焦らされる。


 何度か顔が近づいては遠のきを繰り返す。なのに、俺の顔の隣にある彼女の腕は震えている様子がない。むしろ、俺の体が震えていた。


 何かの拍子に、彼女は顔を一気に近づけた。そして、唇同士が触れた。たった一瞬の出来事であった。


 もっと彼女を感じていたかった。もっと深いところまで知りたかった。もっと、もっと、もっと。


 俺は「諦めてほしい」という言葉を忘れ、彼女を逆に押し返した。何の抵抗もなかった。


 そして唇を重ねた――刹那。


 彼女は俺の肩を押して笑い始めた。


「キス下手かよ」


「ちょ、一応ファーストキスなんだよ? 上手いわけがないでしょ。てか、なんで上手いかどうかわかるんだよ」


「……相手がいるから」


 彼女がノンセクシャルであることに変わりはなかった。しかし、それが彼氏がいない理由にはなり得なかった。


 俺はこの瞬間、二年前の恋が今さら本当の失恋へと変わったのだ。




*大学二年生(前半)へ続く

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