第31話 いざ森の屋敷へ

 ジオマイスター卿との一件は、瞬く間に街の噂となっていた。

 街を歩いていると、見知らぬ商人から突然礼を言われたりして驚く。


 どこの店に行っても歓迎されるのが嬉しい。

 見知らぬ商人達とコネクションができたのもありがたかった。


 俺とクロネは、屋台の店主にもらった魚の串焼きを食べながら、

「みんな、喜んでくれて良かったね」

「ああ、スパロウ伯の事は気になるが、当分は手出しはして来ないだろうしな」

 と、道脇で少し話した後、店主に礼を言い目的の場所へ向かって歩き始めた。

 

「よし、後はリスロンさんをうんと言わせるだけだ」

「おーっ!」


 土産は不可侵条約、商人達の協力、これで何とか乗ってくれればいいが……。

 ジオマイスター卿の出資については、リスロンさんの意向を優先させたいと思っている。


 リスロン商会が見えてくると、表にあの背の高い執事が立っているのが見えた。

「あれ……確かリスロンさんの」

「ほんとだ」


 俺と目が合うと、執事は恭しく頭を下げた。

「ようそこおいで下さいました、クライン様、クロネ様。リスロン商会、番頭のギルモアと申します。さ、どうぞお入り下さい」

「どうも……」


 何だろう、以前と違ってすごく丁寧な扱いだ。

 リスロンさんならとっくに噂が耳に入っているだろうから、もしかして売ってくれるのかも知れない。


 俺とクロネは、前に来た時とは違う部屋に通された。

「しばらくお待ちくださいませ」

 ギルモアさんはそう言って、部屋を後にした。


「何か前と全然違うね、期待出来そうじゃない?」

 クロネが小声で囁く。


 すると、部屋の扉が開き、リスロンさんが入って来た。

 歩く度にくるんと巻いた尻尾が揺れて可愛らしい。


「やあ、待たせたねクライン、それにクロネ」

 向かいに座り、リスロンさんはネクタイの位置を直した。


「どうも、お元気そうで何よりです」

「こんちわー」


「はは、さぁ、楽にしてくれ。聞いたよ、今じゃ街中の商人が二人のことを神様だと言ってる」

「いやぁ、ははは……」


「それで……ジオマイスター卿との話し合いはどうだったのかね?」

 リスロンさんは葉巻に火を点けようとして止めた。

「あ、どうぞ」

「いや、レディの前だからね、我慢しておこう」

「別に気にしないよ?」

 クロネがあっけらかんと言うと、リスロンさんはフフッと鼻を鳴らして、

「私が気にするのさ」と返した。


「リスロンさん、ジオマイスター卿には、森の開発に関して不可侵条約を認めていただきました。それと、ご存知かと思いますが、バロウズさんも物資や資金の面で協力していただけることになっています、ただ……」

「何だね?」

「ジオマイスター卿が、個人的に開発に出資させてくれと」


 リスロンさんはくつくつと笑う。

「あの欲張りが乗り気になったか……面白い。だが、それは裏を返せば、他領主から攻めるに値すると判断される可能性が高いということだが?」


「はい、ですので、まずは隣接するメンブラーナと不可侵条約を結び、後方の憂いを断ちます。開発の協力者はメンブラーナの商人達ですし、彼らが潤えばジオマイスター卿にとっても利のある話です。条約を簡単に反故にはできないでしょう。それに、他領の貴族が森に攻め入るには、どうしてもメンブラーナを経由する必要がありますから、その点でも意味のある条約かと思います」


「ふむ……筋は通っているな」


「それから、開発が進まないうちに、レグルス皇国に行ってみようと思っています」

「レグルス? はて、記憶が確かならば、君は私に、あの森をエイワスの貴族領にしてみせると言ったはずだが?」

 リスロンさんの髭がピクンと動いた。


「ええ、確かに言いました。……ですが、あれから、レグルスは獣人を差別しないと聞きました。それなら、獣人差別のあるエイワスよりも、レグルスに掛け合った方が、互いにとって良いのではないかと思い直したのです。ですから、レグルス王に直訴し、経済的中立地帯として認めてもらえないかと思いまして」


「経済的中立地帯か……面白い、実に面白い! よしクライン、君の考えはわかった。次は私が腹を割る番だろうな」


 リスロンはギルモアに目配せをする。

 ギルモアがテーブルの上に地図を広げた。


 地図はこの辺一帯の地図で、至る所に×印が打たれている。


「この印は……?」

「何だと思うかね?」

 リスロンさんは試すように質問で返してきた。


 森の至る所に印がある……。

 特に規則性は無さそうだ。


「何でしょうか……所有されている屋敷とか?」

「違うな」

「わかった! 食料庫の場所ね!」

 クロネが自信満々で言う。

「違う」

「えー、わかんない……」

「私もわかりません」

 そう答えると、リスロンさんはゆっくりと口を開いた。


「これは――ミスリルの鉱脈筋がある場所を示している」


「ミ、ミスリル鉱脈……⁉」


 しかも、この数……。

 これだけの資源がなぜ手付かずで残っているんだ?


「はは、考えていることはわかるよ。なぜ、手付かずなのかって思っているんだろう?」

 リスロンはそう言って、部屋の中をゆっくりと歩き始めた。


「この中で実際に採掘している鉱脈は一つもない。だが、ここで鉱石が採れることは調査済みだ」

「なら、なぜ開発しないのですか?」

「必要以上の金は争いを生む。それに、両国に睨まれながら採掘する勇気は持ち合わせていないし、身を守る術もないからな。自警団など作れば、それこそ余計に目を付けられてしまうだろう?」


「確かに、噂になればすぐに貴族が来るでしょうね……」


「だから私は待っていたのさ、ずっとコインを握り締め……、いつかベットするチャンスが来る日をな」

 リスロンさんは、真っ黒な瞳で俺をじっと見つめて言った。

「クライン、私は君に賭けることにしたよ」


「え……」


「正直、人間は嫌いだ。だが、私はビジネスに私情は挟まないタイプでね」

 リスロンさんは、そう前置きをした後、

「君にあの屋敷を売ろう。そして、あの森を経済的中立地帯、いや、経済的中立都市として開発を始めたい。もちろん、成功した暁には君に領地の一部を譲る、どうだね?」と言って、ソファに凭れた。


「それは願ってもない話ですが……本当にいいんですか?」


「もちろんだ。だが、細かい条件は付けさせてもらう。森に住む獣人達に住居権は優先すること、貴族は住まわせないこと。まあ、後はギルモアに書面を用意させるから目を通してくれ」

「はい、では本当に協力して下さるんですね?」


「それはこちらの台詞だな、ははは。ギルモア、頼む」

 リスロンさんが言うと、ギルモアさんがワインを運んで来た。


 テーブルにワイングラスが置かれ、優雅な所作でギルモアさんがワインを注いでいく。


「このグラスが鳴れば……、もう後戻りは出来ない。我らは一蓮托生の身となる、覚悟はいいか?」


 リスロンさんがワイングラスを掲げ、ニヤリと笑った。

 俺はクロネと顔を見合わせ、グラスを手に取った。


「望むところです――」


 ――グラスが鳴る。

 俺はまたひとつ、後戻りの出来ない選択を終えた。

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