第30話 ジオマイスター卿

 ジオマイスター卿の眠る部屋に案内された。


 部屋に入ったのは、俺とシバさん、グレイの三人。

 目の前の天蓋の付いた大きなベッドには、老木のように痩せ細ったジオマイスター卿の姿があった。


「父上、客人をお連れしました」


 グレイが礼をとり、俺とシバさんもそれに倣った。


「早速、診てもらえるか?」

「はい、では失礼します」


 俺は死んだように眠るジオマイスター卿の側に寄り、魔法収納袋から『ヒュアカ』を取り出した。


「それは?」と、グレイは不安げに訊ねる。

「ヒュアカという霊薬です」

「聞いたことがないな……大丈夫なのか?」


 グレイがいぶかしげにシバさんに目を向けるが、シバさんもわからないという風に顔を振る。


 無理もない。グレイから見れば、俺は得体の知れない男だし、そんな男に霊薬だと言われても信用できないのは当然だろう。


 そもそも、バロウズさんや、ギルドの人達がいなければ、治療などさせてもらえなかったはずだ。長年、積み上げた信頼というものは、それほどに大きい……。

 俺は改めてその事に気付かされた。


「殆ど知っている人間はいないと思います。古い部族に伝わっていた霊薬で、当時は目に見えない病に利くとされていました」

「目に見えない病? 呪いのことか?」

「ひとまず先に飲ませましょう、説明はそれからでも」


 俺がそう答えると、シバさんがグレイの肩にそっと手を乗せて頷く。

 グレイが頷き返すのを見て、俺はジオマイスター卿の僅かに開いた口からヒュアカを流し込んだ。


 ――ジオマイスター卿の喉が動く。


「良かった、飲んでいただけたようです……これで目が覚めるはずです。しばらく待ちましょう」


 皆でほっと胸をなで下ろし、女中が運んできた紅茶を頂くことにした。


「それで、見えない病とは?」

 グレイは先ほどの質問を繰り返した。


「その部族では、物質の本質を言語のようなものと捉えていたようです。文字が合わさって、一つの意味が生まれる。同じように、人間や動物、この世界にある全てのものは、根源となる『目に見えないもの』が集まったものだと考えていたようです」


「何とも……頭の痛くなる話だ」

 シバさんが肩を竦めた。


「今もその部族は存在するのか?」

「いえ、今は……」


 グレイは眉根を寄せ、

「クラインよ、何故お前はその霊薬を知っているのだ? 存在も知られていないような部族の、しかも霊薬、例え製法が伝えられていたとしても……再現できるとは思えない」と、率直な疑問を投げかけてくる。


「……それについては、お答え致しかねます。ただ、天に誓って、嘘はついておりません」

「そ、そうか……まぁ、詮索したところで、私には何の得にもならんな……」

「お気遣い、ありがとうございます」


 その時、布の擦れる音が聞こえた。


「父上⁉」

 見ると、ジオマイスター卿が上半身を起こしていた。


「グレイか……、水を」

 水を差し出すと、ジオマイスター卿は一息に飲み干した。

「私は……眠っていたのか?」

「は、はい! よくぞ、よくぞお戻りに……!」

 グレイは涙を流しながら、固く祈るように両手を組み、頭をベッドに押し付けている。

 ジオマイスター卿はそっと息子の頭に手を乗せた。


「シバ……、何があった? その男は?」


 細いがよく通る声――。

 やはりそうだ、昔リンデルハイム家のパーティーで会ったな。

 あの時も聞きやすい声だと感心したのを覚えている。


「お初にお目に掛かります、ジオマイスター卿。私はクラインと申します」


 丁寧にお辞儀をし、目を伏せた。


「このクラインが、ネイサン殿に掛けられた呪いを解きました」

 シバさんが横から付け加えた。


「呪い……、そうだ! 確か、イグニス殿に招待されたパーティーの帰り道……賊に襲われたまでは覚えておるが……」

「そうです、父上。家の者が父上を運んで帰った時には、既に意識はありませんでした」

「ふむ……、これは嵌められたようじゃの、ほほほ」


「父上! 笑っている場合ではありませぬ!」

「ならばどうするというのだ? 阿呆面下げて王にでも訴え出るのか? そんな事をすれば良い笑い者だ、ジオマイスターの名に一生汚名が付き纏うわ」

「それは……」

 グレイはしゅんと黙り込む。


「クラインとやら、世話になった。私にできることなら言ってくれ、褒美を取らそう」

「は、私の望みは、既にグレイ様にお伝えしてあります」

「あぁ、そうだった、実は父上……」

 一部始終を説明すると、ジオマイスター卿が突然「ハーッハッハッッハ」と笑い声を上げた。


「ち、父上……?」


「いやぁ、笑わせて貰った。腹の底から笑ったのは何年ぶりかのぉ……。面白い、実に面白い男よ、クライン! 其方の――ん⁉ その顔……何処かで会ったかの?」

「いえ、よくある顔ですので」


「ふむ、そうか……、まあよい、不可侵条約、大いに結構! だがクライン、ワシからも条件があるぞ?」


 先程まで、寝たきりだったとは思えぬほど目を輝かせたジオマイスター卿は、

「その開発、ワシもに出資させてくれ」と歯を見せて笑った。


「出資ですか……」


 これは当分、グレイの出番は回ってこないだろうな。

 ネイサン・ジオマイスター、老いてなお健在、か……。


「わかりました、では少しだけ時間をいただけますか」

「うむ、いいだろう。では追って連絡をくれ。ワシは今からこの馬鹿息子に説教をせねばならんでな」

「は、では……」


「お、おい……シバ……」

 グレイは今にも泣き出しそうな顔で、シバさんに助けを求めた。


「ジオマイスター卿、今日は私もこれにて失礼いたします、どうぞごゆっくりお休みになられますよう。グレイ様、しっかりお勉強なさって下さい」

「お、おい! シバ!」


 俺とシバさんは笑いを堪えながら深く礼をして、ジオマイスター卿の寝室を後にした。

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