第18話 リスロン・ダイト
森の不動産屋って言うからには、相当な大地主なんだろう。
でも、獣人で大地主なら俺も知っていても良いはずなんだが……。
なぜならリンデルハイム家には、大貴族に顔を売ろうとする商人や地方領主、冒険者の来客が、毎日のように訪れていていたからだ。
その中には獣人も大勢いたと思うのだが……、栗鼠獣人という種族は見たことも聞いたこともなかった。
俺の中の獣人像は、勇猛で荒々しい戦士然としたイメージだ。
栗鼠のような愛くるしい小動物とは、どうもイメージが結び付かない。
そういう意味では、クロネも獣人というよりは可愛い女の子にしか思えなかった。
「あ、クライン、あれ!」
クロネが指さした大きなどんぐり形の看板に『リスロン商会』と書かれていた。
建物の外観は、特に派手でもなく地味でもない。
何も気にせず歩いていたら、素通りしてしまいそうな佇まいだ。
扉に付いている獅子の顔のドアノッカーを二度鳴らす。
――すぐに扉が開く。
中から執事服を纏った男が顔を出した。
オールバックの黒髪、面長で彫りの深い顔立ちをしていて、いかにも仕事のできそうな印象を受ける。
「あの、すみません、リスロンさんにお取り次ぎ頂きたいのですが……」
「お約束はございますか?」
「いえ、約束は……、あの、東の森のお屋敷のことでお話がありまして」
「東の森……ですか」
男は少し考える風に斜め下を向き、
「わかりました、少々お待ちください」と中へ戻っていった。
「めんどうだから、無理矢理入っちゃう?」
「ダメ、絶対ダメだから!」
拳を鳴らすクロネを止めていると、再び扉が開いた。
「お待たせしました、旦那様がお会いになるそうです。どうぞ」
男は扉を開け、中へ手を差し伸べた。
「ありがとうございます、失礼します」
「どもどもー」
入って右側に応接ソファがあり、その手前に観葉植物が目隠しとして置かれていた。シックなダークブラウンを基調とした室内は、個人的にとても好感が持てる。
「こちらです」
男が先に歩き、俺とクロネを案内する。
只者では無い気配が、男の背中から漂っていた。
背も高くて腕っ節も強そうだし、雇われたプロの用心棒なのかも知れない。
男は一番奥の扉をノックした。
中から「どうぞ」という声が聞こえた。
静かに扉を開け、
「お入り下さい」と、男が軽く会釈をする。
「失礼します……」
「こんちはー」
俺達が中に入ると、男は扉の
部屋の奥には、窓から外を眺める小さな獣人がいる。
リスだ……紛れもなくリスだった。
貴族服に身を包んだリス、背はクロネよりも小さい。
手には葉巻を持ち、ふわふわでくるんと巻いた可愛らしい尻尾がこちらに向いている。
くるっと振り向き、灰皿で葉巻を揉み消すと、
「私が――リスロン・ダイトだ」と煙を吐いた。
*
ふかふかのソファに向かい合って座り、出された紅茶に口を付けた。
一級品だな……、懐かしい味がする。
リスロンさんは、腕を組み小さな指をトントンと動かしながら、何やら考え込んだ後、おもむろに口を開いた。
「まあ、いいだろう。非常時はお互い様だ、物を盗んだり壊していなければ良い」
「ありがとうございます、助かりました」
「で? 用件というのは、それだけではないんだろう?」
リスロンさんが、自分専用の小さなティーカップを手に取る。
紅茶に口を付けながら、上目遣いでこちらを見た。
「はい……実は、あの屋敷を売っていただけないかと思いまして」
「ほぅ? あの屋敷を?」
「ええ、とても気に入ってしまって、その、今後の拠点にできればと」
「ふむ、確かにあの屋敷は今は使っていない……。だが、私としてもあれは気に入っていてね?」
「そ、そうですよね……」
俺が目線を下げると、リスロンさんが被せるように言った。
「失礼だが――そもそも、あの屋敷を買う金をお持ちなのかな?」
「今すぐには、ご用意できないと思いますが……、具体的な金額を提示していただければ、一週間以内にご用意できます!」
「……なるほど、興味深い」
そう言って、リスロンさんは立ち上がり、部屋の中を歩きながら話し始めた。
ピカピカの革靴がコツリ、コツリと小さな音を立てる。
「獣人の中でも、私のような栗鼠獣人の存在を知らない者も多くてね……」
「私も知らなかった」と、クロネが小声で俺に耳打ちした。
「昔、ある森に身寄りも無く、貧しい獣人の若者がいた。最初はどんぐり拾いから始め、そのうち薪を売るようになった。人間には相手にされなかったが、森の獣人や、街に住む一部の人からは重宝された。ある程度、金が貯まった時、たまたま知り合った獣人から、街の小さな店を売ってもらった。それが全ての始まりだった――」
リスロンさんは、窓から外を覗いて目を細めた。
「若者は寝る間も惜しみ、がむしゃらに働いた。儲かった金で土地を買って買って買いまくった。もちろん、街の土地は獣人には売ってくれない。若者が買ったのは、人間が興味を示さない――森の土地だ」
ゆっくりと机に向かい、葉巻を取り出すと火を点けて煙を吹いた。
「今、その若者が持つ土地は東の森と西の森を併せると、この街が数十は収まる広さになる。こうなってから初めて、人間は若者の言葉に耳を貸すようになった。若者は悟った――この世は金だと。金こそが力だと。そして、その力で得た土地は……、若者を支えてくれた仲間のために使うと決めている」
「仲間……ですか」
「そうだ、東の森にはたくさんの獣人達が住んでいる。いずれも、この街には住むことが許されない者達だ」
「……どうして?」
クロネが口を開いた。
「このメンブラーナ領では、力なき獣人は差別の対象だ」
「え⁉」
「嘘だと思うなら、裏通りを歩いてみれば良い。嫌でも理解できるさ」
そう言って、リスロンさんは小さな肩を竦めた。
「だから、悪いがあの屋敷は売れない。いずれ私が、あの屋敷に住むこともあるかも知れないしね」
「そうですか……、わかりました」
「ちょ、クライン?」
「でも、もう一つだけ、僕から提案があります」
「……聞こうか」
「ありがとうございます。実は……私は、自分の領地を持ちたいと考えています。それには――」
「貴族領ではない、森の土地が必要というわけか」
リスロンさんが鋭い目を向けた。
「はい、その通りです」
「ハッ、お断りだ。獣人ならまだしも、人間に売る気にはならんな……」
「私は獣人だろうが人間だろうが、差別はしません。それに、私なら森を新たな『貴族領』として認めさせることができるかも知れません」
「なんだと……?」
リスロンさんが初めて身を乗り出した。
「こう見えて、生まれは貴族です。王に謁見が可能な"血"を持っています」
「……け、血判状か⁉」
そう、貴族の血を使った血判状があれば、どんな弱小貴族だろうが一度は王に謁見が許される。
もちろん、例外はあるが、土地の正当性の証明と税さえ納めると誓えば、そこは貴族領として認められ王の庇護下に入ることも可能だろう。
そうなれば、おいそれと他の貴族も手出しは出来ない。
恐らくリスロンさんは、森に獣人の街を造りたいと考えているはず。
だが、貴族領ではない街を造り、そこが栄えてしまえば、当然、侵略の対象となってしまう。
だから、街造りに踏み出せないでいるのではないかと俺は睨んだのだ。
「――はい、私なら、獣人達が差別無く、安全に暮らせる領地を造ってみせます!」
「ククク……ハーッハッハ、面白い! 気に入ったぞ、名は?」
「クライン――、ただのクラインです」
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