第16話 ベヒーモスの肉
屋敷を出た俺達は、嘘みたいにあっけなくヒュージ・ケルウスを捕まえることができた。
「なにこれ? めちゃくちゃレベルが上がってるんだけど……」
ヒュージ・ケルウスをワンパンで沈めたクロネが、不思議そうに肩をくるくる回している。
確かに今までのクロネとは全然違う動きだった。
ベヒーモスを倒した事で、相当な経験値が入ったのだろう。
まぁ、普通は大規模パーティーで倒すような相手だからな……。
「今、いくつ?」
聞くとクロネが目を閉じた。
「ちょっと待って……、え? ひゃ、121もあるんだけど⁉」
目をまん丸にして、一段大きな声を上げる。
「前は?」
「56だった」
「そ、それは凄いな……」
一気に倍以上か……それにレベル121とは、恐ろしい素質だ。
一般的に、獣人は人間よりもレベルが上がりにくいと聞いたことがあるが、もしかすると嘘なのかも知れない。
「とりあえず、ギルドに戻る?」
「ああ、そうだな」
*
メンブラーナの街へ戻り、俺達はギルドへ急いだ。
あの門兵さんが、俺達の顔を覚えてくれていた。
街へ入るのがスムーズになって嬉しい。
「フィガロさん喜ぶかな?」
「そりゃ喜ぶさ」
「へへへ」
クロネは照れくさそうに頭を掻いた。
カウンターで順番を待っていると「次の方――」とリズビットさんの涼しげな声が聞こえた。
「はーい」
クロネとカウンターに向かうと、
「あら、こんにちは。あれから上手く行ってますか?」と訊ねてきた。
「はい、今日はその依頼の品を納めに来ました」
「え?」
リズビットさんは少し身を乗り出した。
「確か、ヒュージ・ケルウス一頭ですが、もう捕まえられたのでしょうか……?」
「うん!」
クロネが元気よく返事をした。
「そ、それは、おめでとうございます! 驚きました、ケースランクDとはいえ、お二人でしたので……、もう少し時間が掛かるかと」
「まあ、実質クロネ一人でしたが……ははは」
「一人で? このお嬢さんが?」
「こう見えて私、結構強いの」
ちょっと得意そうにするクロネ。
「それは、大変失礼しました。で、では、早速、鑑定を行いたいと思いますので、あちらの部屋でお待ち頂けますか? すぐに係の者がまいりますので」
リズビットさんが、左手にある扉に手を向けた。
「わかりました、ありがとうございます」
「いえいえ、とんでもありません、それではよろしくお願いします」
リズビットさんに会釈をして、俺達は案内された部屋に入った。
中は応接間でもあるのかと思いきや、工房のような作業部屋が広がっている。中央にどーんと大きな作業台があり、周りの壁に備え付けられた棚には道具がぎっしりと詰まっていた。
クロネと「へぇ~」とか「これ見て」などと部屋の中を物色しながら待っていると、奥の扉が開いた。
「おう! 待たせたな、鑑定士のゴンゾだ」
背の小さい髭もじゃの男が入ってくる、ドワーフ族だと一目でわかった。
「どうも」
「こんちはー」
ゴンゾさんは指を舐めてから、持っていた帳面をめくると、
「えー、ヒュージ・ケルウス、一頭だな、よし、この辺に出してくれ」と作業台に指を向けて円を描いた。
「あ、はい」
俺は魔法収納袋から、作業台の言われた場所にヒュージ・ケルウスを出した。
「ほぉ~、これはいいのぉ。肉付きもしっかりしとるわい」
ぺしぺしとケルウスを叩きながら、ゴンゾさんが帳面に何かを記入した。
「ふむ、いいだろう、間違いなく依頼通りだな。お疲れさん、じゃあリズビットにこれを」
ゴンゾさんが帳面を破って、俺に差し出した。
「ありがとうございます」
「ああ、またよろしくな」
軽く手を上げるゴンゾさんに俺は訊ねた。
「あの、すみません。別件なんですが、買い取って頂きたい物があって……」
「ん? あぁ駄目駄目、小口はやってないよ」
ゴンゾさんは素っ気なく手を振った。
「そうですか……」
「ちぇー、ベヒーモス高く売れると思ったのにねー」
クロネが口を尖らせて言う。
「だな。ま、仕方ない、他を当たろっか」
俺とクロネが外に出ようとした時、後ろからゴンゾさんの大きな声が響いた。
「ちょーっと待て!!! お前さんら、いま、何と言った⁉」
「え……」
「他、当たろうかって……」
「ちっがーーーう!! その前じゃ!」
俺とクロネは顔を見合わせた。
「「……ベヒーモス?」」
「そう! ベヒーモスと言ったな! どういう事だ? まさか本物ではあるまい?」
「いや、本物ですけど……」
ゴンゾさんは唾を飛ばしながら、
「なんだとっ⁉ どこだ! 見せて見ろ! 嘘だったら承知せんぞっ⁉」と、興奮気味に捲し立てる。
「わ、わかりましたから、落ち着いてください」
俺は作業台に解体したベヒーモスの肉塊を出していく。
あっという間に、肉塊は山積みになった。
「こ、こりゃあたまげたな……」
ぽかんと口を開けていたゴンゾさんは、ハッと我に返ると慌てた様子でナイフを取り出し、肉塊を少し切り取って口に入れた。
その瞬間、大きく目を開き、わなわなと震え始める。
「な、なんということじゃ……。ほ、ほんもんじゃぁ……こ、これは、偉いことになったぞ……」
「ねぇ、どしたのかな、このおじさん」
クロネが俺に耳打ちした。
「ちょっと量が多すぎたのかな?」
その場を行ったり来たりした後、ゴンゾさんは突然俺に掴みかかった。
「小僧! これはどうした⁉ 言え! はやく言えーっ!」
「ちょ、落ち着いてくださいよ! く、首が絞まる……」
「ったくもう……ふんっ!」
クロネがやれやれと、ゴンゾさんにボディブローを入れた。
「ほぐぅっ……! が……!」
ゴンゾさんが手を離し、前屈みになって後ずさる。
「オホッ! オホッ! 死ぬかと思った……」
「大丈夫?」
「ありがとう、もう大丈夫。いやぁ~びっくりしたよ」
「おじさんも大丈夫?」
クロネは、ゴンゾさんの背中をさすりながら顔を覗き込んだ。
「……ああ、問題ない。すまんな、ちょっと興奮し過ぎたようじゃ」
「一体、何をそんなに慌ててたんです?」
「そ、そりゃあ、お前さんが持ち込んだものが、ベヒーモスだからに決まっとるだろ!」
ゴンゾさんが、また顔を赤くして怒鳴った。
「こいつはなぁ、Aランク討伐パーティーが狙うような魔物だぞ……、あ! そうか、お前さん達、使いの者か? そうかそうか、そうだと思ったんじゃ――」
「違うよ」
ばっさりとクロネが話をぶった切った。
どうする? ここまで驚くとは思ってなかった。
噂になっても面倒だし、ここはちょっと誤魔化しておくか……。
「そのベヒーモスは、手負いだったみたいで」
「……手負いなら、尚更難しいだろう?」
ジロリと鋭い目を俺に向ける。
「いや、元気だったかなぁ~、あはは……」
「はぁ……、とにかく、これは預からせてくれ。明後日までには査定を終わらせて、リズビットに伝えておく」
「あ、ありがとうございます!」
「よろしくー」
俺達はゴンゾさんに礼を言ってから、再びリズビットさんのところに行った。
「あの、これゴンゾさんからです」
紙切れをリズビットさんに渡す。
「はい、お預かりします。少しお待ちになってください」
二人で席に座り、しばらくするとリズビットさんが戻って来た。
「お待たせしました。こちらが今回の依頼報酬になります、お確かめください」
リズビットさんが金貨1枚と銀貨50枚を差し出した。
「「おぉ~!!」」
「やったねクライン!」
「いや、クロネのお蔭だよ」
俺は報酬を受け取り、リズビットさんに礼を言った。
「じゃあ、フィガロさんのところでお祝いするか」
「さんせーい!」
「それじゃあ、どうもありがとうございました、また来ます」
「ありがとうございました、またのご利用をお待ちしております」
「じゃあねー」
クロネが手を振ると、リズビットさんも手を振り返してくれた。
*
――ギルド鑑定室。
ゴンゾ、リズビット、そしてギルドマスターのシバが、作業台に積み上げられた肉塊を見つめていた。
「ゴンゾ、確かなんだろうな?」
「そりゃもちろん! 正真正銘、ベヒーモスでさぁ」
「クラインさん達は、今回の依頼が初めてです、それに二人でやられているそうですから、流石にこれは……」
リズビットの言葉に、シバは白髪交じりの無精髭が生えた顎を撫でた。
「恐らく……、この個体は先日、『
「白狼……、Aランクの討伐パーティーですね」
「ああ、リーダーのビルドから取り逃がしたのは、森の最深部にある樹木ダンジョン『ガオケレナ』だと聞いていた」
「なら、浅いところに出てくるなんて珍しいですね……」
リズビットが眉根を寄せて考え込む。
「それもそうだが、問題はこいつを二人で倒しちまったってことだな……」
「それがもし本当なら、報告義務が発生します」と、リズビットが答えた。
「ああ、そうなれば、領主付の冒険者に指名されるかも知れん」
「飼い犬か……それは可哀想じゃのう」
「マスター、なんとかなりませんか⁉」
リズビットは心配そうに眉根を寄せた。
「難しいな、先代ならそんな心配はいらなかったんだが……今の馬鹿息子じゃ、何を言い出すかわかったもんじゃねぇ。悔しいが……、
鑑定室に沈黙が流れる。
三人は沈痛な面持ちで作業台の肉塊を見つめた。
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