アールの休日

 アール・ハルクの朝は早い。

 それは早朝のトレーニングをこなすためだ。

 前日どれだけ疲れていたとしても、彼はこの習慣を維持している。


 早朝四時。まだ空も暗い時間にアールは目を覚ます。

 洗顔や歯磨きなどを済ませた後、トレーニングウェアに着替え、一スティック分のBCAAアミノ酸を服用。


「行ってまいります」


 静かに言い残し、家を後にする。

 朝のトレーニングとして、アールは約十キロメートル程ランニングをするためである。

 そして一時間後、空が明るみ始めた頃に帰宅。


「ただいま戻りました」


 軽くシャワーを浴び、朝食の用意をする。

 本日のメニューはサラダ、ソーセージ、ベーコン、目玉焼き、そしてプロテインミルク。

 せっかく出来上がった食事だが、アールは食卓につかず、寝室へと向かう。


「母様、朝です。起きてください、母様」

「……うぅ」


 母親が覚醒したのを確認すると、アールは急いでリビングへ戻った。

 母親の朝食を作るため、手早く自分の食事を済ませようと食卓につく。

 だがそこには、美味しく焼けた綺麗な目玉焼きの代わりに黒い毛玉のようなコウモリに似た何かの生き物が、仰向けになって皿で眠っていた。

 アールが飼っているペットである。


「カルネ……」


 匂いに釣られて起きたものの、まだ寝足りなかったのだろう。ピーピーと寝息をたて、無防備にも腹を晒していた。

 その愛らしい姿にアールも無言でスマートフォンの写真アプリを起動させたが、ペットの躾は飼い主の責務だ。


「盗み食いはいけませんよ、カルネ」


 言いながら、手のひらサイズのコウモリもどきを軽く握った。


「ピギョッ」

「あなたの分は他に用意してあります。何故このような事をするのですか」

「ピッキュるるるるぅ」

「人間の食べ物は味付けが濃いのです。動物の身体に障りますよ」

「ピギィー! ピギィー!」


 アールの説教に合わせ鳴き返すコウモリもどき。だが、その豊かな表情は明らかに不服を示していた。


「反省してくださらないのですね……」


 アールの手に力が入り、その指がふわふわの毛並みに埋もれる。


「ぎゅむっ」

「そんな悪い子には、トマト抜きの刑です」

「ピギョエア!?」


 トマトはこの生物の大好物。なのでアールの言い渡した罰に、たまらず声を上げた。


「今更泣いても遅いですよ。貴方の態度次第で期間を決めましょう」


 打ちひしがれるペットを卓上に下ろし、アールはキッチンへと急いだ。そして暫くして、アールの母がリビングに姿を現した。


「おはよう〜、アール」

「おはようございます。母様」


 母親が席についたのと同時に、アールは料理を食卓へ運ぶ。


「本日の朝食はエッグベネディクトです」

「今日も美味しそうね。いつもありがとう、アール」

「いえ。母様こそ、休日にまでお仕事なんて……」

「良いのよ? お母さん、こんな事しかできないから」


 現在アールは母とたった二人、日本で暮らしている。父と妹は遥か遠く海外におり、仕送りはないのか女手一つでアールを育てている母は、毎日のように働きに出かけていた。

 朝早くから夜遅くまで、休む間もない母の姿に、アールは少なからず思うところはあった。


「母様……」

「ところでアール、カルネちゃんはどうしたの?」

「え? ああ」


 卓上でまるで人間の様ないじけ方をする生物を、母が面白がって指でつつく。


「カルネはワタシの朝食を勝手に食べてしまったので、トマト抜きを言い渡しただけです」

「あらら、それはカルネちゃんが悪いわねぇ。食べ物の恨みは怖いのよ?」

「ピギョォ!」


 味方は誰もいないのだと気がついたコウモリもどきは、鳴きながら寝床の方へと飛び去った。その光景を、アールの母は微笑ましそうに眺めている。


「母様、そろそろ急がなくてはいけない時間です」

「えっ、やだ本当だわ」


 慌ててエッグベネディクトにかぶりつく母を確認すると、アールは手際良く昨夜の残り物をお弁当に詰めていく。

 数分もしない内に——


「母様、お弁当です」

「ありがとう、アール。いってくるね!」

「ええ、お気をつけて」


 左右の頬を軽く合わせ、別れの挨拶をすると、母は元気に家を飛び出して行った。


 現在の時刻は午前六時。


 アールは食べられてしまった朝食を作り直しながら、本日の予定を考える。

 休日は退屈だ。特にこれと言ってやりたい事はないため、今日も勉強と筋肉トレーニングしかやることが思いつかない。

 これが平日なら早々に登校し、働かない養護教諭に代わり雑務をこなすのだが……


 はあ、とため息を一つ。



『アール・ハルクは、変わらぬ日々の終わりを待っている』

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