2020年新年

教師陣が新年会で闇鍋をする話①

 ぐつぐつと煮たつ鍋からアクを取り除く。

 ただそれだけの動作だが、丁寧に時間をかけてきっちりとやり遂げる。


 クレテリア邸の厨房にて、一人の男が鶏ガラでスープをとっていた。


 タレ気味な黒い瞳でじっと鍋の中を見つめ、時折鶏ガラを返し、ぐつぐつと煮込むこと三十分。

 あとはキッチンペーパーを敷いたザルでこせば……


「おしっ、完璧だな。さすが俺様! 絶好調だ」


 自画自賛する低く甘い声が、辺りに響いた。


 芳醇な香りが立ち昇り、男の目の前には黄金に輝くスープが一鍋。

 夜の闇を映したような黒髪を耳にかけ、そっと一口味見をしてみれば、上品で深い余韻が口一杯に広がった。

 男はシェフでは無いのだが、そこにはプロと比べても遜色ない至高の鶏ガラスープが出来上がっていた。


「ま、コレはすぐに台無しにされんだけどさ」


 やれやれ、とでも言いたげに男は肩をすくめて火を止める。

 それから腕時計を確認し、エプロンを外した男は厨房を後にした。


「そろそろ約束の時間か……お嬢を起こさねぇとな」


 これから始まるのはパーティである。

 しかも、クレテリア・D・エルファナが主催する誰も幸せにならない闇鍋パーティだ。


「おい、ファナ起きろ」


 ノックもせずに、男は容赦なく屋敷の主人の寝室へ上がり込む。そして、ベッドの中で未だ起き上がらない主人をみつけた。


「ほらほら、楽しいパーティの時間だぜ?」


 無駄に色っぽく囁きかけながら、男は愉しげに三つ連なった泣きぼくろが特徴の目元を歪ませる。



 ちょうど同じ頃、屋敷のチャイムが来客を知らせていた。



 ………………

 …………

 ……



「揃ったわねぇ、わたくしの下僕達。これから新しい一年もあなた達が健やかに働いてくれるよう祈願して、闇鍋パーティを開催するわぁ」


 シーンと静まり返るクレテリア邸の応接間に、エルファナの声だけが響く。

 闇鍋と称した様に、暗くされた室内は数カ所に設置されたロウソクだけが光源になっていた。


「あははッ、まさかァりべるクンがこんな会に参加するなんてネェ」

「……聞いていない」


 開口一番に囃立てる氷雨に対し、リベルが悲痛な声で応える。


「えェ?」

「私は 何も 聞いて いない」


 そこに、ソルディオも便乗して「……オレも何も聞いていない」と告げた。


「えッ、そうなんだァ……」


 場に微妙な空気が流れる。そんな中、


「ここは俺様が説明してやるぜ?」


 クレテリア学園の教員ではない男——アーサー・アイゼリッシュバウアーが声を上げた。

 どこか偉そうな口調で話すこの男は、エルファナの付き人兼秘書であり、ソルディオの幼馴染みである。


「聞いての通り今回は闇鍋パーティを開催するわけだが、正直に言ったら来ない奴がいるだろう? だから、貴殿らにはそれぞれ文言を変えた招待状を送らせてもらった」


 コツコツと革靴を響かせながら、アーサーは続ける。


「まずリベル殿には新年会開催の旨と日時、好物を二品携えて来邸する事、そして拒否権は無い事を書き示した手紙を、徹夜五日目で判断力の落ちた頃合いに渡した」

「好物持参とか、あははははッ! そんなんで素直にやって来ちゃったのォ? りべるクンも案外可愛い所があるんだネェ」


 面白がってからかう氷雨の声に、リベルは眉間を指で揉んだ。


「次に氷雨殿には闇鍋パーティである旨と食材を持参する旨を明記した招待状を送った。その方が面白がって来るだろう? ちなみに、日取りは妹君が私用で家を空ける日時を調査し指定した。それが今日ってわけだ」

「……なるほど、抜かり無いな」


 シスコンを呼び出す手際の良さに、ソルディオが思わず感心する。


「んで、ディーは一時間前に今から来いとメールした。どうせ何も言わなくたって食いもんを持っているからな。全部没収して鍋にぶち込んだ」

「哀れな」


 まさかの直前呼び出しである。

 流石のリベルでも、ソルディオに同情を示した。


「以上が今回の経緯だ。次は闇鍋のルールを説明しよう。今回用意した鍋のベースは鶏がらスープだ。そこにお嬢が用意した食材を四種、リベル殿が持参した食材を二種、氷雨殿が持参した食材を三種、ディーから巻き上げた食材を三種混ぜて煮込んである」


 ざわり。

 自らが持ち寄った食材と鶏がらスープの壊滅的な組み合わせを想像したのだろう。参加側の三人に動揺が走る。

 

「何故鶏ガラを選んだ……」

「わァ、寄せ鍋みたいな醤油べぇすを想像していたヨ」

「……今からでもカレーを入れないか?」


 口々に文句を垂れる三人を無視して、アーサーはさらに説明を続けた。


「合計十二種の食材があるわけだが、内三種は溶けて消えたから実質九種だな。それを貴殿ら三人に、順番に鍋から取って食してもらう。食べた時の感想と元の食材の予想は最低限コメントしろよ? この作業を二巡する。一度箸をつけた物を変えるのはなしだ」

「誰かなァ? 溶ける食材はァまなあ違反だヨォ」

「鍋に入れる前提で用意していないからな」

「……三人ってことは、ファナは参加しないのか?」


 誰しもが思っていた疑問をソルディオが口にする。


「あらぁ、このわたくしに下賤な物を食べさせる気?」

「なら何故闇鍋をしようと思ったんだ……」

「うふふ、テレビで見て面白かったのよ。阿鼻叫喚しながらも、鍋の具材を食べる様が……ね?」


 加虐性愛者特有の微笑みで返され、一同は身震いした。


「さあ、踊って見せなさい? あなた達の中で一番わたくしを楽しませた者には金一封をあげるわぁ。ついでにわたくしの権限で叶えられる願いを、何でも一つだけ叶えてあげましょう」


 わがまま過ぎる女王様は、どうやら苦痛に歪む彼らの表情を御所望らしい。そのためだけに特大のエサをぶら下げ、わざわざ場まで整えさせたようだ。


「例えば、そうねぇ……リベルが優勝したのなら氷雨をクビにしてあげても良いわ」

「俺ェ!?」


 とんだとばっちりである。

 が、リベルは目を据わらせ俄然やる気を見せていた。


「てなわけで、せいぜい派手なリアクションをしてお嬢を楽しませてやってくれ」


 まるで他人事のように全ての説明を終わらせたアーサーが、闇鍋の蓋を開ける。とたん、名状し難い異臭が辺りに漂った。

 この時点で既に、もしかしたら美味しいかもしれないという幻想は打ち砕かれる。


「さてと、俺様は高みの見物と——」

「アーサー、あなたも参加するのよ?」

「あ?」


 一刻も早く劇物鍋から離れたかったアーサーだが、エルファナに呼び止められ、顔をしかめた。


「誰が見物など許したかしらぁ? あなたの役目は、このわたくしを楽しませる事でしょう?」

「は? クソ野郎かよ」


 零れ落ちた暴言に、室内の空気が凍りつく。


「おっと、失礼マイレディ。貴女様はではありませんでしたね」


 ビシッとスーツベストを整え、姫の手に口付けを落とす騎士が如く、熱を込めて謝罪を述べたアーサー。だがその内容の酷さに変わりはなく、


「ソルディオ、アーサーの分はあなたが取りなさい。なるべく不味そうな物をお願いねぇ?」

「……了解」


 かくして、地獄の闇鍋パーティが始まったのである。

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