両親だっていないけど

 おれに物心がついた時から、この家には両親と呼ばれる存在はいなかった。

 見た目も好みも全く違う四人が、『兄弟』という枠組みで家族をしていた。


 父と母の事は誰も知らない。

 いや、ゼン兄だけは多分知っているんだろうけど、だれも聞いた事はないし聞くつもりもなかった。

 それは今の形に満足しているからで、今更両親の存在なんて気にならないから。二人がいなくてもおれは幸せだから。


 でも初めからこうだった訳じゃない。


 サンタ事件があった小学生のあの頃はちょうど多感な時期で、色んなことが分かり始める時だった。

 アイデンティティの確立ってやつかな?

 その時のおれは両親がいないことを、それはそれは気にしていた。

 ついでに言うなら、兄弟四人に血の繋がりはあるのか? おれたちは本当に家族なのか? 毎日のようにそんな事を考えては、泣きそうになっていた。


 だって本当に似ていないんだおれたちは。


 ゼン兄は知的な黒い瞳で、死ぬほど苦いものが好き。

 エメはスミレ色の瞳で、正気を疑うレベルの辛いもの好き。

 双子なんて言われているガルレイドだって、透き通るブルーの瞳だし、味にこだわりはないとか言ってるけどレモンのような酸っぱいものが好きだった。

 おれ自身は赤い目で、甘いものーー特に蜂蜜が大好きなんだけど、四人の好みが違い過ぎて食卓はいつもそれぞれの好みに合わせた既製品が並んでいた。


 おれ達は本当に家族なの?


 そんな事を疑っては、勝手に怯えていた時期があった。

 大人達は訳ありだろうと誰も触れてこない問題だけど、子どもは無邪気で残酷だった。他とは違うおれ達が珍しかったんだろうね、ある日愚弟がこんな話を持ってきた。


「カルムにぃ、お父さんとお母さんがいないのは変なんだって。俺達のお父さんとお母さんはどこにいるの?」


 煩いなっ、おれが知るわけないじゃん!


 なんで一番近い双子の弟さえ、こんなにもおれと違うんだ。

 何を考えているか分からないし、気味が悪い。嫌い嫌い嫌い、大嫌い!


 おれは大泣きして弟に殴りかかっていた。

 弟は黙っておれの怒りを全部受け止めたけど、最後までよく分からない顔をしていた。



 ………………

 …………

 ……



 うん、懐かしいな。

 あの時が間違いなく弟嫌いの最盛期だ。

 もう嫌いすぎて意地悪を沢山したし、無視もしてたっけ……悪い事したなあ。

 でもおれがどんな事をしても、何故かずっと後ろをついて回られたから余計イライラしたっけ。


「カルム兄、食べないの?」


 弟の声によって、意識が回想から現実に引き戻される。

 おれが思い出にふけっていたせいで、食事の手が止まっていたようだ。大皿に盛られたクリスマスのスペシャルメニューがかなり少なくなってしまっている。


「ほら、カルムのミンスパイだよ。ちゃあんと、蜂蜜入りのカルム専用だからね」


 そう言って、フク姉がおれの分のミンスパイを取り分けてくれた。

 パイの中にミンスミートというドライフルーツで作った物を詰めた食べ物なんだけど、好みの違うおれ達に合わせて味付けを一つずつ変えて作ったフク姉は偉大だと思っている。

 それからおれはテーブルの隅の方に、ブッシュドノエルが置いてあるのを見つけた。位置的に弟の方が近い。


 ねぇ、ガルル。それ取って?


「ん? カルム兄コレが欲しいんだね」


 おれの呼び掛けに気がついた弟が、ブッシュドノエルを一切れ取ってくれる。そのまま皿に乗せられるのも良いけれど、なんか色々面倒臭いからおれは黙って口を開けた。


 あーん。


「はい」


 甘いチョコレートクリームが広がって、ふわっふわのスポンジが噛み締めるごとに幸せで口が一杯になる。


「こら、カルム。ガルルに甘えてないで自分で食べるんだ」


 フク姉に一番甘えている男がおれを注意してきた。

 いやいや、違うんだよゼン兄。おれの両手はミンスパイを切り分けるのに忙しいんだ、甘えじゃないよ?

 だからさ、ねぇガルル。


 これは『俺』が好きでやった事だから大丈夫だよ。って、言ってよ。


「これは俺が好きでやった事だから大丈夫だよって言ってよって……あっ」

「カルム?」


 あー! 見事に余計な部分まで言ってくれやがって!

 おかげでゼン兄には睨まれるし、隣のエメにまで失笑されたじゃん!


 とりあえず悔しかったからエメの足を軽く踏みつけてやった。

 

「は? 弟の癖に生意気なんだけど」


 そしたらまさに食べようと思っていたミンスパイに、激辛ラー油をかけられた!


「やだ、手が滑っちゃった! カルムは辛いの無理だから、あたしが食べてあげるね?」


 あぁああぁあああぁああああ!!!

 無慈悲に食べられてしまったおれのミンスパイ……最悪だよ、ちょっと泣きそう……

 しかも、


「うわ、甘すぎ。ハチミツの主張が強い……」


 なんて酷いことを言いやがる!

 勝手にラー油かけるとか頭おかしいことしたのそっちのくせに。


「あは、姉貴はマジキチだってカルム兄が」

「は? 表出る?」


 言ってない言ってない! そこまで言ってない!!

 誇張表現やめてよガルル!


 青筋を立てるエメを必死になだめながら愚弟に抗議を入れる。さっきのミスと言い、わざとおれを陥れようとしてない?


「まあまあ、喧嘩しないで」


 ギスギスし出したおれ達を見かねて、フク姉が仲裁に入った。


「ミンスパイならまだあるから、ね?」


 そう言って、彼女は一旦キッチンにはけてから追加のミンスパイを持ってきてくれる。

 ああ、もうフク姉は天使か何かに違いない。


 *


 こうして、一騒動がありながらも夕飯は食べ進められ、最後のクリスマスケーキが登場した。

 たっぷり苺が使われたふわふわホイップのショートケーキ。

 甘いのが苦手なゼン兄やエメがギリギリ食べられる甘さで、おれにとっては全然物足りない甘さのケーキ。最後のこのケーキだけは、変な味付けとかせずに家族で同じ味を食べる決まりだ。皆で一つの味を共有するみたいな意味合いがあるとかないとか。


「そうだ、君達の転校先が決まったよ」


 ケーキにナイフを入れるフク姉の横で、ゼン兄が徐に話し出した。


「次の転校先は日本。カルムとガルルの高校は、クレテリア学園だ」

「日本……」


 ポツリとガルレイドが呟く。


 日本、日本かあ……

 日本と聞いて真っ先に思ったのが、銃とか持てないしかなり安全な国だよねって事。それから和食という質素な料理が美味しいと評判で、英語があまり通じない場所。


「君達には四月から高二として通ってもらうよ」

「四月? あ、そっか……日本は四月スタートなんだっけ」

「そのおかげで、あたしは今から通う大学を受験できるんだけどね?」


 多分にトゲを含んだエメ流の嫌味が炸裂した。


 世界的に九月スタートが多い中、四月から始まる日本は珍しい。

 今年の九月から高校一年生になったおれ達は、数ヶ月早いけどゼン兄の言葉からして高二から始めるみたい。だけどそれに対して、エメは受験をし直してもう一度大学から始めるから、あの嫌味はこの事についてなんだろう。

 だって……


「ゴメン、姉貴」

「は? 誰のおかげで転校すると思ってんの?」

「うん。ゴメンね」


 眉を下げて謝るガルレイドに、エメは「ふん」と鼻を鳴らした。

 今回の転校は、愚弟が十人ほど病院送りにしたことが原因だった。


 おれ達は昔からよく転校をしていて、数はもう両手でも数え切れないくらいになるだろう。

 その理由がゼン兄の転勤とかならまだ良かったんだけど、実際はおれ達の誰かしらが問題を起こして、停学や退学処分を食らってしまうためにある。

 ちなみに問題を起こした割合は7:3で、ガルレイド、エメだ。あの二人は血の気がちょっと多いんじゃないかなって思う。甘いものを食べないせいかな?

 問題が起こるたびにゼン兄はお金で相手を黙らせ、おれ達を連れて地域を変え、国を変えて何度でもおれ達にやり直させてくれていた。

 お金がかかるし、面倒でしかないだろうに見捨てたりせず、おれ達を守ってくれている。


 今も愚弟が入学早々退学になったから、おれも自主退学して家でニートしていたところだ。

 短い高校生活だったなあ、義務教育とか終わったしもう学校は行かなくて良いんじゃないかな? なんて思っていたところに、まさかの転校先決定である。

 今度は幾ら積んだんだろう……って、おれは我が家の家計が心配でならない。

 

「クレテリア学園には氷雨がいてね……何かあったら彼を頼ると良い」


 久しぶりに聞いた名前に、エメが顔をしかめた。


「氷雨ってあの……?」

「俺の知り合いに氷雨は一人しかいないから、そうだね」

「うわ、マジで。アレが教師とか世も末だわ」


 うん。俺もそう思う。

 氷雨という人物は、数年前までゼン兄と一緒に働いていて会ったこともあるし、日本語とか教えてもらったりしたけど、一言で言うならシスコンだった。

 妹以外の女に興味はないとか言って、女性の顔も名前も覚えない癖に、男性には妹に近付いたら殺すぞと全力で圧をかけてくる。

 おれもガルルもまだ子どもなのに何度も脅されたし、本当にロクな大人じゃないと思う。


「なんでも養護教諭をしているらしいね」

「誰が来ても妹じゃないからって放置されそうじゃん……」


 うん。その保健室絶対機能してないと思う。

 エメの言葉に同調して、おれも頷いていると「ま、あたしには関係ないけどね?」と笑われた。


 そうだった、エメは高校じゃないから関係ないんだ!


「君達の言い分もよく分かるが、氷雨には貸しを作っているんだ。だからこの俺に免じて、一度くらいなら助けてくれるだろう」


 真っ直ぐおれ達の方を見て、ゼン兄が言った。

 高校に通うのがおれ達だからとかじゃなく、その時が必要になるのは、間違いなくおれ達の方だからだろう。もう大人に近づいたエメは、近年揉め事を滅多に起こさなくなった。

 

「大丈夫。何があっても、カルム兄は俺が守るから」


 だからさ、愚弟。そういう事じゃないんだよ。

 こちらを真っ直ぐ見るガルレイドの鼻を摘まんでやった。


 弟の癖に生意気なんだ。

 そもそも何かあるのはお前の方でしょ。


「うん。どういたしまして」


 ……感謝じゃなくて呆れてるんだよ、馬鹿。


 おれがそう『言って』やると、何故かあいつは照れたように笑った。

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