食物連鎖を憎んだ少女
食べない、というのが少女の選択だった。神へのハンガー・ストライキ。彼女は納得できなかったのだ。
ペットショップが苦手だった。ケージに幽閉された猫や犬。媚態を強制される監獄。いのちに貼られた値札。彼らを見下すように吟味する、言葉をさえずる霊長類たち。他ならぬ彼女自身も同族だった。
その光景は、ひどく神経に障る。彼女は人間が嫌いだった。もちろん自分自身も嫌いだった。ペットショップにいるだけで、獣に食いちぎられて殺されたくなった。
捨身飼虎という仏教説話を思い出す。釈迦は前世で、虎と七匹の子虎が飢えに苦しんでいるのを見て、自分の身を投げ与えたそうな。聖人はやはりモノが違う。わたしにはとても無理だろうな、と彼女は残念に思った。
ペットショップの動物たちは、飢えに苦しんでいるわけではない。けれどなにかに苦しんでいるように見える。それは彼女の偏見なのだろうか。思い込みのいちじるしく激しい彼女の。なにを目にしてもそこに痛みを見出だしてしまう彼女の。
彼女は子役を演じていたことがある。友達に誘われるがまま、興味本位で子役専門の養成所に入ってみたのだ。結果は? 俳優をこよなく夢みていた友達は無下に扱われ、演技になんらの熱意も持っていなかった彼女はちやほやされた。
「あなたには華があるから」
それが指導者の言い分だった。あなたの友達には華がない、と仄めかしているようでもあった。そんな言外の意味を汲み取ってしまうのは、自分が傲慢で残酷だからだろうかと、彼女は友達に申し訳なく思い、自己嫌悪に陥った。
稽古の日々を重ねるごとに、友達の傷は広がっていき、結局やめてしまった。ひとつの夢が潰えたのだ。その程度で挫折するようなら、もともと大した夢ではなかったのだ、という人もいるだろう。指導者も事実そのように考えているようだった。けだし正論というべきだろう。それでも彼女は、自分が友達を蹴落としたようにも思えて、そこになにか理不尽なものを感じざるを得なかった。この世界はどこか歪んでいる。
「せっかく才能があるんだから、続けてみなよ。私のことはいいから」
一緒に養成所を辞めようとした彼女に、友達はそうすすめた。才能なんてあるとは思えなかったが、言われるがままに彼女は残ってしまった。入会金も月謝も、決して安かったわけではない。それなりに費用はかかっている。せっかくお金を払ったのだし、見込みがあると言われたのだから、なにか結果が出るまでせめてもう少し続けてみたら、と親にも止められた。
せっかく、せっかく、せっかく。せっかく生まれたのだから、生きなければならないのだろうか。いまの彼女には疑問だった。
やがて、コマーシャルへの出演が決まった。といっても、彼女ひとりではなく、他の子役たちと一緒に、和気あいあいと愛想を振りまくだけの仕事だ。賑やかしのようなものだ。個人としてではなく、子どもの集団として出演するだけだ。
なにを宣伝するためのコマーシャルだったかは、忘れてしまった。よくわからないまま、言われるがまま、スタジオでにこにこ笑っているだけなので、その程度の理解で十分だった。目的を把握する必要などなかった。
宣伝目的もそれに関わった企業も忘れたが、共演者のことは強く印象に残っている。といっても、他の子役たちのことではない。そのコマーシャルには、人間以外の共演者もいた。動物だ。かわいい子どもの集団と、かわいい猫の集団が、わいわいきゃっきゃっと楽しそうに
複数の猫が狭いケージに詰め込まれているのを見て、なんだか杜撰な管理だな、と彼女は思った。少なくとも、手厚く保護されているようには見えなかった。
撮影が始まった。玩具や遊具の用意されたカラフルでけばけばしい空間で、子役たちは職務を遂行した。たっぷりの愛嬌と媚態。カメラを向けられ、ライトに照らされ、大人たちの見守るなかで、子役たちはありったけの無邪気を総動員して猫たちと戯れた。彼女も周りに倣ってはしゃいでみせた。コントロールされた純真無垢は、素材として十分に映えるはずだった。
しかし子役たちの熱演にも関わらず、動物の共演者たちは一様にまずい演技だった。ふてくされたように無反応だったり、カメラに収まるのを拒むように逃げ出したり。撮影は難航した。濁った空気がスタジオに漂い始めた。
業を煮やしたスタッフが、猫たちをどんなふうに扱ったか。彼女はもうあまり思い出したくない。その場で抗議したわけでもない。ただ、彼女は動物たちを痛ましく思い、自分たち子役と重ね合わせずにはいられなかった。どちらも同じような存在に思えた。視聴者の欲望を満たすため、かわいさを貪欲に消費するため、使い捨ても辞さず酷使され、挙げ句の果てに廃棄されるのだ。
コマーシャルの撮影が終わると、彼女は養成所を辞めた。もともと彼女には絶望的に向いていない世界だった。経験はすべて糧ともいえるが、傷しか残らなかったと彼女には思えた。友達とも疎遠になってしまった。
子役はとうの昔に辞めたはずなのに、その職業についてまわる厄介な症状が、ずいぶん経ってから彼女を襲った。彼女は、自分の身体が成長していくのをうまく受け入れられなかったのだ。特に耐えがたかったのは、胸がだんだんと膨らんでいくことだった。
身体の変化が嫌というよりも、それによって、男社会の他者を蹂躙するような視線にさらされ、乳房が大きいだの小さいだのを主題とする欲望の価値体系に組み込まれてしまうのが、吐き気がするほど嫌だった。
彼女は幼少時から本が好きで、詩や小説を読み耽っていた。祖母が筋金入りの蔵書家で、いくらでも本を借りたり貰い受けたりすることができた。古典文学にも興味を持ち、現代語に訳したものではあるが、名高い源氏物語にも彼女は手を出してみた。だが、すぐに挫折した。
須磨帰り、と俗に言われている。源氏物語を読み始めてはみたものの、須磨の巻で挫折してしまう、というよくある現象を揶揄した言葉だ。彼女は須磨の巻にすらたどり着けなかった。序盤も序盤、「雨夜の品定め」と呼ばれる場面が苦痛で、読むのをやめてしまったのだ。
雨がしとしと降る夜に、大の大人である貴族の男たちが集まって、中流の階級には個性のある女が多いだの、それより下の階級の女は耳に止まることもないだの、寂しく荒れ果てた家に意外にかわいい女がいるとたまらないだの、それぞれの体験談を交えながら、身勝手な尺度であれこれ女を論評する。
男というのは、千年も前からこんなにくだらない生きものだったのかと、彼女は呆れた。物語は事実の記録ではないが、書かれた当時の風潮や認識は刻まれている。紫式部もさぞや男にむかついていたのだろうということは推察されたが、それ以上読み進めることはできなかった。うんざりだった。
古典文学に描かれたその場面は、なんとなく、性的サービスを提供する店で女性を吟味する男性客たちを連想させた。実際に目の当たりにしたわけではないが。ポルノを恒久的に消費し、劣情を満たすために肉体を買い叩く男という生きものに対して、彼女は根強い不信感を抱いていた。
こいつらは、他人が踏みにじられるのを、許容しているではないか。彼らには痛みが聞こえないのだろうか。そこかしこからいつも聞こえてくる、全身の骨を砕かれたようなあの呻きが。絶望に痛ましく震えるあの沈黙が。
彼女は痛みの神殿だった。叫びの響きわたるがらんどうだった。たとえそれが幻聴であったとしても、だれかの痛みを感じとると、彼女の内部でその痛みは半永久的にこだました。
彼女は一度、同級生から告白されたことがある。相手は彼女のことを好きだという。交際してほしいのだという。彼女はその感情がまるっきりわからなかった。彼女自身はその相手が好きでも嫌いでもなく、要するに何らの感情も抱いていない、きわめてフラットな状態だったので、丁重に断った。
相手は穏便に引き下がってくれた。恨み言ひとつ言わなかった。ただ、それ以後、その相手と接するとき、ことさらに何事もなかったような態度を相手が無理に演じているような気がして、しかもそこから未練のような淡い期待も感じられて、他人を拒んだ申し訳なさに、彼女はうっすらと胸が痛んだ。好意というありふれた感情にはぴんと来ないくせに、痛みだけは、彼女のこころで増幅しつづけた。
こんな痛みを感じなければならないなら、最初から選んでくれるなと思った。彼女は選ばれたくも選びたくもなかった。選別という行為が、彼女には我慢がならなかった。なぜなら、だれかが選ばれるということは、だれかが選ばれないということだから。選ばれなかっただれかは、どこへ行くのか? どこへ行けばいいのか? 別のどこかでは選ばれるのか? どこに行っても選ばれなかっただれかは、どうすればいいのか? それを思うたび、彼女の胸は鋭く痛んだ。
彼女の曲がりくねって屈折した慈悲心は、やがて自分が食している動物たちにも及んだ。携帯電話に搭載されたカメラで、彼女はたびたび食卓に供された料理を撮影した。それ自体はありふれた行為だ。だが、彼女にとってその写真は、遺影に近いものだった。いや、殺人現場の鑑識写真か。死体の写真を眺めるように、彼女は肉たちの写真を眺めた。それらはかつて生きていたのだ。
近代哲学の祖であるデカルトは、動物は魂も理性も持たない存在であり、歯車とゼンマイで組み立てられた時計のようなものだと書いたそうだ。だから動物は苦痛など感じていない、というわけだ。哲学のことなどろくにわからないが、その点に関してだけ言うならば、デカルトというのはずいぶんなクソ野郎だなと彼女は思った。われ思う、故にわれあり。デカルトに呪いあれ。彼女の肥大する自意識の痛みも、
この世界すべてが虚偽であったとしても、すべてを疑う自分が存在することだけは疑えない。たしかそんな意味合いで提唱されたのが、デカルトの有名な命題のはずだ。デカルトほど思慮深くはないが、彼女も世界を疑っていた。しかし、動物の痛みは、彼女にとって実在する。死の過程は示されなくとも、死の結果だけは目の前にある。医薬品や化粧品の安全性だって、動物実験の賜物だ。文明に囲まれているということは、動物の犠牲に囲まれているということだ。
彼女は食と性が大嫌いだった。生存の根幹につきまとう、肌が粟立つようなおぞましさ。性交をしたという事実を「食べた」と言い換え、性交のために相手をホテルや家に連れ込む行為を「お持ち帰り」と称する、人間を食品のように扱う言語表現にうっかり触れてしまうと、その醜悪さに眩暈がした。
自分の肉体が成長することを嫌悪した彼女は、自分の肉体に栄養を与えてしまう食事をも嫌悪し始めた。
彼女はほとんど食べなくなった。がりがりに痩せこけていった。急速に衰弱していった。華がある、とかつて評された彼女は、みるみる萎れていった。それは彼女の望むところでもあった。
異常に気づいた母親が、お願いだから食べてくれと懇願しても、無駄だった。ものを口にしても、吐き出してしまうのだ。肉ではなくても、条件反射のように吐いてしまう。明らかに病んでいた。
なぜ食べないのか、という問いかけに対して、彼女は積もりに積もった自身の痛みを早口でまくしたてて、無意味と知りながらも肺腑をえぐり出すように外界にぶちまけた。母親は理解できずに当惑した。
「あんたの話を真に受けていたら、こっちの頭がおかしくなるよ」
母親はそんなふうにしか答えられなかった。
「だってそれじゃあ、生きているだけで悪いみたいじゃないか」
そのとおりだった。生は間違いで、死が正しい。彼女にはそうとしか思えなかった。なぜ食べなければならないのか。なぜ選別しなければならないのか。ペットショップで愛玩動物を品定めする人間も、オーディションで子役の愛嬌を冷徹に計量する人間も、性風俗店で欲望をたぎらせて吟味する人間も、スーパーで死に囲まれながら献立を組み立てる人間も、みんな嫌いだった。彼女は人間が嫌いだった。世界が嫌いだった。生きるのが嫌いだった。
「わたしは、こんな世界に、生きたくなんかない」
それが彼女の主張だった。血を吐くようなメッセージだった。
なぜ人間は痛まなければならないのか? なぜ動物は殺されなければならないのか? 納得できる答えを、彼女は見つけることが出来なかった。自分の人生に、他人を蹴落とし、いのちを食い散らかしてまで、全うする価値があるとはどうしても思えなかった。
ドストエフスキーの小説、『カラマーゾフの兄弟』には、子どもの苦しみが存在するかぎり神を拒むと
彼女は病院に入れられた。点滴を受けながら、彼女は窓の外を眺めていた。快晴だった。空は透きとおった青だった。鳥が飛んでいた。翼を持った生物の優美な飛行を、恋い焦がれるように彼女は見つめた。
輪廻、という思想もこの世にはある。魂はあらゆる生命をめぐり、転生を繰り返す。そのシステムを前提にして考えるならば、選ばれなかっただれか、犠牲にされただれかのいのちも、報われるのだろうか。短命に終わった、踏みにじられた個の魂も、来世では浄福に包まれるのだろうか。超長期的スパンで禍福を眺めれば、すべての魂の帳尻は合うのだろうか。だが、輪廻という思想も、最終的にはそこからの解脱を目指しているはずだった。この火宅から逃れ去ることが、繰り返される転生の終着点なのだ。それならば、そもそも最初から無であればよかったのに。そんな途方もないシステムを用意してまで、互いに貪り合うこの苦界を存続させる意義はあるのか。彼女にはわからなかった。なぜ生きなければならないのか、彼女にはわからなかった。
ただ、もしも生まれ変わりがあるとするならば、あの鳥のような動物に来世は生まれ変わりたいと、彼女は切実に願った。人間だけはごめんだった。病院のベッドに横たわりながら、彼女は来世や死後の世界や完全な無への期待感にだけ胸を高鳴らせた。それ以外に浮かぶのは、茫洋とした痛みだけだった。死だけが救いとしか彼女には思えなかった。
「久しぶり。元気?」
だから、その見舞い客が病室を訪ねてきたとき、こころがわずかながら動いたことに、彼女は自分で驚いてしまった。
その見舞い客は、かつて彼女を子役の養成所に誘った友達だった。彼女が蹴落としてしまった他人だった。
「びっくりしたよ。入院してるって聞いて。大丈夫? まあ、大丈夫なら入院なんてしないか。元気なわけないよね。ごめん」
「……久しぶり」
彼女はか細い声で答えた。ひどい顔だろうな、と彼女は自身のやつれた姿を急に意識して、恥ずかしくなった。その友達には見られたくなかった。
友達はにっこり笑った。そして、提げていた鞄からなにかを取り出した。
「リンゴ、持ってきたんだけど。食べない? 果物ならいいかな、って思ったんだけど」
「…………」
赤い果実。甘い食物。たしかに、肉よりは死を喚起しない。でもきっと、吐いてしまうのだろうな、と彼女は想像して、もうすでに吐き気の前兆のようなものを胸底に感じて、気持ちが悪くなった。
それを知ってか知らずか、友達はリンゴをむこうとして、はたと気づいた。
「……あ。むく道具がないや」
友達は病室を出ていった。すみませーん、と看護師に声をかけるのが聞こえた。ほどなくして、友達は困ったような表情で戻ってきた。
「ナイフ、貸してもらいたかったんだけど。刃物の貸出はできません、だって。病院ってけっこう不自由なんだね。果物ナイフ、家から持ってくればよかった。あれ? でもそれって、もしかして銃刀法違反になるんだったっけ? 詰んだ……」
うーん、と友達はうなりながら椅子に座り、手許のリンゴを持て余すようにためつすがめつした。
そんな友達の様子を見て、彼女は思わず笑ってしまった。わたしはこの友達がとても好きだったんだなと、あらためて気がついた。彼女が笑うのを見て、友達も笑った。
「丸かじりでもいいかな……?」
おそるおそる友達はそう訊ねた。それがなおさら、彼女の笑いを誘った。そんなふうに笑うのは、本当に久しぶりだった。
「いいよ。そこに置いといてよ。食べられるかどうかは、わからないけど」
「……やっぱり、食べられないの?」
友達は心配そうに訊いた。
「うん。なんか、なんにも食べられる気がしないんだ」
「……そう」
「ごめんね、煩わせちゃって。どうせ、うちの母親に呼ばれたんでしょ?」
「まあ、そうなんだけど。でも丁度よかった。私も、久しぶりに会いたかったからさ」
「ごめんね」
「いいよ、そんなに謝らなくたって」
「ごめん。ごめんね。わたしだけ残って……続けてみなよって、せっかく言ってくれたのに……結局すぐに辞めちゃって……」
友達は、彼女がなんのことを言っているのか、すぐにはわからなかった。情緒も喋り方も、とても不安定な様子だった。ようやく、子役のときのことを言っているのだと合点がいった。
「なんだ、そんなこと? 別にいいよ。気にしてたの? 全然いいよ。そんなの、あなたの自由じゃない」
「でも……」
「優しいね、あなたは」
優しい? わたしが? その言葉は、自分には似つかわしくないと彼女は思った。自分のことしか、わたしは考えていないのだから。自分の痛みだけで、わたしは手一杯なのだから。
「まあ、そりゃあさ。私も、俳優への道が閉ざされたのは、子どもなりに本気でショックだったんだけどさ。残念ながら、才能も魅力もまったくないんだって思い知らされたし。夢だったんだけどね。まあ、それにしては、諦めるのが早すぎだったかもしれないけど。でも、下手は下手なりに、演技はやっぱり楽しかったよ。いい思い出もいっぱいある。だから、なんていうかな、そんなに悔いとかは残ってないんだ。もしもあなたが、私が辞めたことでなにか気に病んでいたのだとしたら、私の方こそ謝りたいよ。ごめんね、変な重荷を背負わせちゃって」
友達は照れくさそうにしながらも、なおも彼女に向かって話しつづけた。
「私さ、新しい夢ができたんだ。笑っちゃうかもしれないけど、それがね、ピアニスト。笑うよね、やっぱり。いや、プロの演奏家になろうとかどうとかってレベルじゃまったくないんだけどさ。昔ちょっと習ってたのを、またやり始めたってだけの話。まあ、夢をみるだけなら自由だからね。傍から見ると、バカみたいだろうけどさ。でも、ピアノって面白いんだよ。バッハって知ってる? そりゃ知ってるよね、有名だもの。でもちゃんと聴いたことってある? いや、私も実際ナメてたわ。単なるカツラをかぶったオッサンかと思ってた。でも只者じゃないよ、あのオッサンは。そんじょそこらのオッサンではない。音楽に数式みたいな美しさがあるんだ。いや、私、数学は大の苦手なんだけど。まあ、それは置いといて。バッハの生きていた時代って、ピアノはまだ一般的な楽器じゃなかったそうだけど、ピアノのために作られたような美しい曲が、山ほどあるんだ。インヴェンションとか平均律とかゴルトベルクとか……。私もさ、こう見えて、ずいぶん落ち込んだ時期があったんだけど。なんにもする気が起きないし、なんにもこころが動かないっていうかさ。このまま死んじゃうんじゃないかって、なんとなく思ったくらい。でもさ、そういうときに、音楽だけは寄り添ってくれたんだ。特にバッハがね。なんていうかな……。邪魔しないんだよ、バッハは。なにもこっちに押しつけようとしない。勝手に綺麗で、勝手に透明なんだ。私はそう感じるってだけの話だけど。すごく遠くて、すごく近い。すごく冷たくて、すごく優しいんだ。ごめんね、意味わかんないよね。ただ、その音楽に触れて、下手は下手なりになぞって弾いてみたりもすると、乾いた砂漠で澄みきった水を飲んだみたいな気分になれるんだよ。まあ、なにが言いたかったか、わたしもよくわかんなくなっちゃったけど、だから、まあ、挫折したり、失恋したり、最悪な気分でどうしても立ち直れそうにないってときは、バッハを聴くのも悪くないよって、ただそう伝えたかっただけ。退院して、気が向いたら、私のピアノ聴きにきてよ。私のバッハ。ど下手だけどね」
彼女の気をまぎらわせようとしてなのか、自然と熱が込もってしまったのか、友達は怒濤のようになおも喋りつづけた。
「私の知り合いにさ、ものすごく変わった子がいるんだけど。クリスチャンでもないくせに、いつも聖書を持ち歩いて読んでる、ちょっと不気味というか不思議な子なんだけど。そいつはね、聖書はそんなに読んでるくせに、バッハは聴かないの。バッハは聖書からずいぶんインスピレーションを受けたっていうのにね。ていうか、その子はクラシックにまったく興味がないらしくて、ロックしか聴かないみたいなの。そいつが言うには、聖書はパンクなんだって。意味わかる? わかんないよね。私はわかんない。まあ、わかんないことばっかり言ってる子なんだけど。でもさ、その子がいちばん好きだって言ってる聖書の言葉は、私も好きなんだ。えーと、なんだったっけ……。空の鳥を見よ、播かず、刈らず、なんたらかんたら……。あれ? 好きだったのに、忘れちゃってるな……。野の百合は、栄華を極めたソロモンよりもどうたらこうたら……。ごめん、なんか全然思い出せねーわ。にわかの悲しさね。付け焼き刃じゃ、やっぱりどうにもなんないか」
「それ、知ってるよ。マタイ伝。読んだことがある」
「マジで? 一般常識レベルなの? 知らないのって私だけ? ……ああ、そっか、そういえば文学少女だったよね、昔から」
「その呼び方はあまり好きじゃないんだけど……」
「あ、そうなの? ごめんね。まあ、たしかに、なんとか少女とかすぐに決めつけられるのって、腹立たしいところがあるからね。あ、そうそう、さっきの言葉の私がいちばん好きな部分、思い出した。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり。……まあ、なんていうかさ。私には、あなたが何に苦しんでいるのか、きちんと理解することはできないのかもしれないけど。あんまり気にすんな、って神さまも言ってたりするわけだし。気楽になりなよ、なんて言っても、無責任なだけかもしれないけど。私は、あなたに元気になってほしいし、またこんなふうに、一緒に話して、一緒に笑いたいよ」
好き放題たっぷりと気ままに話してから、日も暮れる頃、友達は名残惜しそうに帰っていった。
「それじゃあね。また、近いうちに見舞いに来るよ。リンゴ、食べられるなら食べてね。で、元気になったら。よかったら、私のバッハ、聴きにきてね」
友達が去ってしまい、病室が静かになると、寂しさが去来した。しかし、その寂しさは、痛みとは違うようだった。だれにも伝わらない孤独な痛みとは少しだけ違う、少しだけ温もりの残る柔らかな寂しさ……。友達がひたすら喋ってくれたおかげで、そのあいだだけの束の間、ほんの少し、彼女は痛みを忘れることができた。
窓の外では、夕暮れの淡い空に、鳥が飛んでいた。
空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは
人間が、鳥よりも優れている存在だとは、彼女にはやはり思えなかった。
この故に我なんぢらに告ぐ、何を
何を食らうかを気にしないで生きることは彼女には無理な話だったし、糧の方が自分の命よりも勝るように思えたからこそ、食べることを拒否して彼女はここにいるのだった。
この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦労は一日にて足れり。
彼女は相変わらず人間が嫌いだった。彼女はこの世界が嫌いだった。それでも、この言葉を好きだといった、彼女の友達の優しさは好きだった。
友達の置き土産である赤いリンゴを、彼女は慈しむように撫でた。わたしは、食べられるのだろうか。わたしは、生きられるのだろうか。食べる自分を許せるのだろうか。生きる自分を許せるのだろうか。
茜色の病室に、痛みを伴わない風が吹いた。彼女はそれを感じることができた。
どんなふうに生きたっていいんだよ、とだれかに背中を押されたような気がした。いずれあなたも死ぬのだから、と。
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