本当のことはまた明日

moes

本当のことはまた明日


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 本当なら駆け上がってしまいたい階段を、音を立てないよう、それでもいつもよりは足早に上がる

 部屋の鍵をあけ、腹立たしさに任せて勢いよく閉めたいドアもいつものように静かに閉め、カギをかける。

 何しろここは集合住宅で、家賃相応に防音性には優れていない。

 時間は深夜というほどではないけれど、二十二時というのは微妙に気を使う時間帯だ。

 どすどすと音を立てて歩きたい短い廊下を静かに通過し、部屋に入って鞄をベッドに投げつける。

 勢いをつけすぎたのか、鞄はベッドの上で一度小さく跳ね、壁にぶつかり、そのはずみで窓際に並べた小物がばらばらとベッドに落ちた。

「あー、もう」

 腹が立つったら腹が立つったら腹が立つったら!

 すぐに片付ける気にもならず、とりあえず水を一杯飲み干す。熱くなった体内に冷たい液体が滑り落ちていくのがわかる。が、こんなことで簡単にクールダウンしてくれるほど、私の怒りは軽くない。

 がん!

 シンクの縁に置いたカップが思った以上に大きな音を立て、顔をしかめる。

 まぁ、でも近所迷惑なほどではないだろう、

「少しは落ち着けよ、フラれ女」

 なんだって?!

 振り返った拍子にひじがカップに当たり、床に落ちる。

「あ」

 慌てて手を伸ばすが、指先にかすっただけで救出かなわず、床に落下。

 ぱりん。

 きれいな音とともに無残に砕け散った。

「あぁああ、気に入ってるやつだったのにぃ」

 しゃがみ、とりあえず大きな破片を拾う。

 壊れたこともかなしいし、片付けるのはめんどくさいし、ただでさえ。

「もう、やだ」

 踏んだり蹴ったりじゃない? 私、なにかした? それなりに勤勉に働き、ほどほどに真面目に生きてるのに。この仕打ち。ちょっとひどくない?

「もー、ほんとにさぁー」

 目にじわじわと涙がわいてくるのを感じて自分の膝に突っ伏す。

 深呼吸しよう。うん。大丈夫、大丈夫、大丈夫。まだ。

 吸って吐いてを繰り返し、少しずつ気持ちを落ち着ける。

「意地っ張り。そんなんだからフラれるんだ」

 …………何って?

 さっきもなんか言ってたけど、内容はとりあえず置いておいて、誰?

 この部屋は一人暮らしで、入ってくるときは確かに鍵はかかっていて、えぇと、声は子どものものっぽい。小学生くらいの、でも、男の子か女の子かまようくらいの幼さ。

 拾ったカケラが床に落ちて、また小さくパリンと音を立てた。



「大丈夫かぁ? ケガしないように気をつけろよ」

 やばい。なにかいる。部屋に。気のせいじゃない。

 外に出よう。そして通報だ。……まずい、携帯、鞄の中だ。近くに公衆電話とかあったっけ。

 足もとの破片に気を付けつつ、後ずさる。

「通報はあんまりお勧めできないなぁ」

 考えてることを読まれて足を止める。

「なんで」

「頭おかしくなったって思われるのがオチだから。おれ、端から見て危害を加えられるようなモノじゃないし……信じてないな? 大丈夫だから、こっち来なって。ほら、破片に気を付けて」

 胡散臭い。

 声が子供のせいか警戒心が湧きづらいけれど、でも部屋にいるのはやっぱりおかしい。

「疑り深いなぁ。でも、まぁそのくらいじゃないとダメだよね。世の中物騒だし、女の子の一人暮らしだしね。うん。でも、困ったなぁ。これじゃいつまでたっても話が進まない。どうしたら信じてくれる?」

 幼い声が大のオトナの自分を「女の子」と呼ぶのがおかしくて、困った声がかわいくて、なんだかほだされた。

 もう、いいか。どうにでもなぁれってことで。

「とりあえず、そっちに行くから。キミが何者かをまず教えてよ」

「それはすごく難しい質問だよ。同じこと聞かれて、答えられる?」

「…………人間」

「それ、おれが同じ答えを返したとして納得できる?」

 呆れた声。まぁね。正論だけどね。子供に言われると腹が立つよね。

「とりあえず外見はロボットだよ。窓際に飾ってあった、空っぽの貯金箱の」

 確かに置いていた。今はたぶんベッドの上に落ちてるけど、三頭身くらいの四角い頭と体のソフトビニール製のロボット型貯金箱。

 子供の頃にもらって、ちょっと色あせているけれど大事にしてた。

「ろぼっと?」

「安心した?」

 ほっとしたような声。

「してないけどさ」

 しゃべる貯金箱とか怖いんだけど、人間よりはマシだろう。

 だってあの貯金箱だったら片手でつまめるし、危害を加えられたりはなさそうだし。

 それでも多少警戒しながら部屋に入りベッドに近づく。

 統一感のない、でもお気に入りの小物諸々は幸い一つも壊れていなくて、窓際の定位置に戻す。

「おれが最後かよ」

 ベッドに突っ伏した状態で転がっているロボット貯金箱を摘み上げると不服そうな声。

「ほんとにしゃべってる」

 口が動いていたりはしないけれど、声は確かにロボットから聞こえた。

「イライラは収まったみたいだな」

 からかうような声に反論する気も起きなかった。

「気ぃ抜けた。フラれたショックで錯乱してるのかとも思ったけど、落ち着いた今でもキミの声は聞こえるし、こんな非現実的なことを割と受け入れてる自分にびっくりだし」

 窓際に置きなおしたロボットに、いい大人がベッドに正座で向かい合って会話する。どこからどう見てもおかしい。見ている人がいたら完全に『かわいそうな人』だと目をそらされるだろうが、幸いここは一人暮らしのアパートで人目はない。

「良かったよ。窓から放り捨てられたらどうしようかとちょっと思ってたんだよねぇ」

 そんな心配するくらいなら「フラれ女」とか人を逆なでする言動は慎むべきでは?

「ずぶずぶと凹んで沈むより、怒ってた方が、元気で良いかなーって思ったんだよ」

 指摘すると、とってつけた言い訳のようなことを口にする。

「もともと腹を立ててたし、凹んではなかったよ」

 二股されてることがわかって、それも自分の方が浮気の相手で、本命ちゃんにばれそうになった彼からあわてて整理されたっていう怒涛の展開。思い出したら、また腹が立ってきた。

「そんなに眉間にしわ寄せちゃ駄目だって。そのしわが固着したら悲惨だろ。もういい年齢なんだし……じゃなくて、ほら愚痴でも文句でも吐きだしたらいくらでも聞くからさぁ」

 余計なひと言が多いんだよな、このロボットは。フォローが下手というか。

「キミはあんな嘘つきな大人になっちゃダメだからねぇ。コトバの選び方はちょっと結構残念だからあれだけど、気遣いのできるし優しいし、すくすく育ってかっこいい大人になるんだよ」

「酒飲んでる?」

「飲んでない。あの人もやさしい人だったんだけどねぇ。今考えれば、上っ面だけだったかなぁ」

 あまい言葉であまやかされて、良い気分にさせてくれた。行きたいところも食べたいものも全部優先してくれて。好きだったんだけど。っていうか、たぶん今でもまだ嫌いにはなっていないのかもしれない。

「都合よく使われていただけなんだってわかってるのに、まだ好きが残ってるって未練たらしいし、情けないよね」

「別に普通じゃない? 相手がどう思っていたかはわからないけど、葵が楽しかったり嬉しかったり好きだったのに嘘はないんだし」

 おもちゃのロボットで子供の癖に、深く優しい声に気が緩む。

 じわじわと涙が浮かぶのを見られたくなくて布団の上に突っ伏した。



 ■ □ ■ □ ■ □ ■



 突っ伏したままの彼女から寝息が聞こえてきた。

 週末で仕事疲れの上に精神的大ダメージを食らって精根尽き果てた感じなのかもしれない。

 それに飲んでないと言っていたが、缶ビールを一本コンビニで買って帰り道で飲み干しているからアルコールのせいも多少あるだろう。

「どうしたもんかなぁ」

 実のところ自分はロボットではない。いわゆる幽霊なのだと思う。

 死んだ記憶はないけれど、生きてきた記憶はある。このロボットの貯金箱を彼女に渡した記憶も。

 小学三年生の頃、転校することになって、彼女に渡した。しっかり者で、面倒見のいい子だった。たぶん初恋だった。

 だからといって、ずっと彼女のことを思い続けていたわけではない。折々に好きな子は出来たし、付き合ってた子もいた。

 それなのに幽霊になったおれは気が付いたらここにいた。その時窓辺のロボット型貯金箱を見てあの彼女だと気が付いた。二十年ぶりくらいの再会。

 とは言っても、彼女はおれを認識しないので一方的だけれど。そしてすることのないおれは彼女にくっついて回る背後霊ストーカーと化し、今日の修羅場も、涙を呑みこむように缶ビールを流し込む姿も、平静なふりをして部屋に戻った様子も一部始終見ていた。

 どう声をかけて良いものか、それ以前に幽霊が話しかけるってどうなのか、とか迷った末に出たのは子供じみた悪態で、声も何故だか子供のものだった。

 おかげで彼女の警戒心はほどけたし、多少気も紛れたようだから結果的に良かったけれど。

「おれが生きてたら」

「……んー。なぁにぃ?」

 寝ぼけた声。こちらに向けた無防備な寝ぼけ顔。

「おれが人間だったら、ずっと大事にするのに」

「なまいきー。……ありがと」

 やわらかく微笑んで、そして寝息が戻った。



 ○ ● ○ ● ○ ● ○



「おはよぉ」

 窓際のロボットに向かって声をかける。返事はない。当たり前だ。ロボット型のただの貯金箱がしゃべったら大問題だ。

「変な夢見たなぁ」

 夢の中で散々愚痴って、慰めてもらったせいか、あんなことの翌朝なのに思ったより気分は軽かった。

「ありがとね」

 ロボットの頭を指先で撫でてベッドから抜け出した。



 ■ □ ■ □ ■ □ ■



 気が付いたら病院のベッドの上だった。

 通勤途中のマンションの住人がベランダから落としたじょうろが頭に当たってしばらく昏睡していたらしい。

 目が覚めたら特に問題なしで、退院。間抜けだけれど、生きているのは良いことだ。

「さて、どうしようか」

 ウソもホントもどこまで伝えられるかわからない。それでもきっと彼女には会いに行こう。


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