2日目―① ボクと幽霊とゲームセンター

「おはよう、母さん」


火曜日の朝。制服に着替えてダイニングルームに足を踏み入れたボクは、椅子に座ってテレビを見ている母さんに声を掛けた。母さんは顔を上げて「あら潮音、おはよう」と挨拶を返す。挨拶のために一度はこちらに向けられた顔は、直ぐにテレビの画面へと戻された。何を熱心に見ているのだろう。そう思って、母さんに倣ってテレビ画面を覗き込む。画面に映し出されていたのは朝のニュース番組で、そこでは偶然ともいうべきか、市井波音が殺された事件についての報道がなされていた。テレビの中ではレポーターと思しき女性がマイクを構え、死体遺棄現場の様子を淡々とした声音で説明している。立ち入り禁止を示すテープも、その手前に山のように供えられた献花も昨日と何一つ変わっていなくて、彼女が殺された事件について、何一つ進展がないことを感じさせた。

「怖いわねぇ……アンタも気をつけなさいよ。まだ犯人捕まってないみたいだし」

「うん……」

「昨日も遅くまで出歩いてたみたいだし。なるべく早く帰ってきなさいよ。犯人がどこを彷徨いているか分かったもんじゃないんだからね」

「ああ……気をつける」

母さんの小言に、内心ごめんと謝りながら適当に相槌を打つ。そんなことを言われたところで、自分の背後で食い入るようにテレビ画面を見つめている幽霊の未練を見つけてやるまでは、コイツに付き合わされて放課後にあちこち歩き回らねばならないことは、目に見えているからだ。昨日、死体遺棄現場に行っていたと言ったら、母さんはどんな反応をするんだろう。めちゃくちゃ怒られるかもしれない。そんなことを考えているうちに、いつの間にやら映像は死体遺棄現場から場所を移し、市井波音の自宅らしき場所を映し出していた。死体遺棄現場からさほど離れていない住宅街の一角に建つ、その辺でよく見られる構造の一軒家が、どうやら彼女の家らしい。沢山のマスコミで囲まれたその家の前には、真面目そうな男性が、なにやら涙を堪えた様子で立っていた。恐らく、市井波音の父親であろうその男性は、マスコミの質問に対し、娘を失った悲しみや、早く犯人を捕まえて欲しいといった憤りを、どこか大仰な様子で伝えている。途中、涙が堪えきれなくなったのだろう、目元を押さえたその手に巻かれた白い包帯が、何故だか嫌に目に付いた。

「この人も可哀想ねぇ。自分の娘が殺されたなんて……」

早く犯人が捕まるといいけど。

目元を押さえて、それでもなお毅然とした態度でマスコミからの質問に答えている男性を見て、母さんがぽつりと呟いた。その声はどこか沈んでいて、同じ歳の娘を持つ親として、色々思うところがあるのかもしれない。普段の溌剌とした様子とどこか違う、沈んだ様子の母さんは、なんだか見てはいけないもののような気がして、思わず目を逸らす。目を逸らした先では、市井波音が相変わらず食い入るように画面を見つめていた。やはり、家族には未練があるものなのだろうか。それなら、コイツの家族に話をしに行くのも一つの手かもしれない。よし、後でそれとなく提案してみよう。

今後の方針がひとつ纏まったタイミングで、父さんと兄貴がダイニングルームに入ってきた。挨拶を交わし、それぞれが朝食の席に着くその様子は、何時もと何一つ変わらない。ホカホカと湯気を立てる朝食がテーブルに並ぶ頃には、殺人事件に関する報道は終わっており、テレビからは今日の天気を告げる明るい声が響いていた。



**


「ええ?私の家族に話をしに行く?いいよぉ別にそんなことしなくたって」

昼休み。屋上へと続く階段にひとり腰掛け、弁当を食いながら投げかけた提案は、そんな言葉と共に一蹴された。因みに、今ボクが居るこの階段は、屋上が立ち入り禁止なこともあってか最早物置や倉庫のような使われ方をしており、滅多なことで人が寄り付くことのない穴場なのだ。普段から、教室の賑やかさを避けるべくこの場所を訪れることは多かったが、今はまた違った意味で、人目を避けるためにこの場所を利用している。幽霊となってしまった彼女と堂々と話すのに、他人の目は邪魔なのだ。クラスで堂々とコイツと話してしまったら最後、ボクは変人奇人という肩書きを背負わされた挙句、卒業までその肩書きを背負ったまま学校に通うことになるだろう。そんな事態は全力で避けたい。故にボクは、この人気のない場所を活用して、幽霊の彼女と今後の方針について話し合いをしている、という訳だ。

まぁ、秘密会議というなら、立ち入り禁止の屋上の鍵をこっそり開けて……なんていうのも浪漫はある気がするが、流石に浪漫のためだけにそんなリスクの高い行動はできない。憧れはするけれど。

そんなことより、今は彼女の未練についての話をすべきか。ボクは、「家族に話しをしに行く」という提案があっさり却下されたことについて「なんでだ?」と首を傾げた。いい案だと思ったのだが。彼女も、ボクが不服そうな表情をしているのに気付いたのだろう。ふよふよと宙を漂いつつ、はぁ、とひとつ息をついてから、言った。

「あのねぇ、一ノ瀬さん。普通の人はね、幽霊の存在を、はいそうですかって認めないものだよ?」

「……そういうもんか?」

「そういうものなの!一ノ瀬さん、変なところで適応能力高いよね。幽霊になって戻ってくる、イコール、なにか未練があるって力説してた時は、フィクションじゃねーから!なんて反論してたのにぃ」

「まぁ……ボクの場合は宙をふよふよ漂ってる半透明のアンタを見ちまったからな……信じるしかなかったというか……」

「それは……そうかもしれないけど……って今はそんな話してないの!」

危うく話題が逸れそうになったことに気付いたらしい彼女は、ぷんすこという擬音が似合いそうな様子で怒りを顕にする。ぷくり、と頬を膨らますなんて、可愛い女子じゃないと許されない態度だ。そんな可愛らしい態度で怒りを顕しながらも彼女は、言葉を続ける。

「いい?普通の人は幽霊の存在を信じない。それなのに、キミが私の家を尋ねて『貴方の娘さんがボクの隣に居て〜』なんて話し始めたら、私の家族はどう思うと思う?」

「……変な奴が来た、って思うだろうな」

「でしょ?そう思うでしょ!?だから私の家族に話しをしに行くのは駄目。一ノ瀬さんが変人だと思われるの、私は嫌だもん」

「……そうか」

確かにそうかもしれない。というか、娘の死で傷ついているだろう家族にそんなことを言いに行くなんて、通報されたって文句は言えない気がする。これは、ボクの考えが浅はかだったと言っていいだろう。

「……そうだな。アンタの家族に話をしに行くのは止めておくよ」

「うんうん!それがいいよ!」

そう言えば、彼女は大袈裟なくらいにうんうんと頷いた。その顔には、どことなく安堵の表情が浮かんでいる。なんでだ?と思ったが、深くは気にしないことにした。クラスメイトが変人奇人だと思われるようなことをしでかさないことに、安心したのだろう。違和感はあったが、そう思うことにした。今は、彼女の感情を推測することよりも、優先すべき事がある。

「で?家族に話をしに行くのがダメなら、ボクは今日、どうすればいいんだ?」

「そうだなぁ……」

未練探しをどうすればいい?そう彼女に尋ねれば、目の前の彼女は顎に手を当てて、ううんと考え込む素振りを見せる。ほんの一瞬、そんなふうに思い悩む様子を見せるも、すぐに、あ、と何かを思いついたらしい。

彼女はキラキラと瞳を輝かせ、そして、満面の笑みを浮かべて、声高に叫んだ。


「あのね、私、『ゲームセンター』に行ってみたい!!」

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