1日目 ボクと幽霊とクラスメイト

月曜日。一歩足を踏み入れた教室は、いつもと違う、どこか落ち込んだ空気を孕んでいた。啜り泣く女子。どこか悲痛な面持ちで席に座ったままの男子。皆が暗い顔をして、時折ヒソヒソとなにやら囁く声が蔓延る教室内は、どことなく異質な空気に満ちているとも言える。当然といえば当然かもしれない。クラスメイトがひとり殺されたのだ。いつも通りの教室である方がおかしいのだろう。しかしボクは、とてもじゃないが、クラスメイトと同じように悲しむような気分じゃなかった。なんてったって、ボクの頭上には、呑気な顔をしてふよふよと漂う、殺された張本人が居るのだから。

「わぁ!見てよ一ノ瀬さん!死んだら席に花を供えられるって本当だったんだ!」

今だって、ボクのひとつ前の机に供えられた花を見て、そんな声を上げるクラスメイトの様子は、呑気以外のなにものでもない。殺された本人がそんなあっけからんとした様子だからだろうか。事件の報道を見た直後はあんなに動揺していたというのに、今はもう、平常心を取り戻している。ボクは、目の前の席に腰掛けて、きゃいきゃいと楽しそうにしているクラスメイトの幽霊を横目に、昨日のやり取りを思い返していた。



**


「はぁ?未練を探してほしいだぁ?」

「そう!そうなの!」


突然ボクの前に現れたクラスメイトは、そう言いながら、顔の前で手を合わせて頭を下げた。その真剣な様子に、このまま追い返すのも可哀想な気がしてきて、話くらいは聞いてやろうかと姿勢を正す。で?と話の続きを促せば、目の前の幽霊は、おずおずといった様子で話し始めた。

「あのね。私、死んじゃったでしょ?」

「ああ、そうだな。それは知ってる」

「でも、まだなにかやり残した事があると思うんだよね。だから死ぬに死ねなかったというか」

「……それで、幽霊になって戻ってきてしまった、と?」

「うん。多分……」

自信なさげな様子のクラスメイトに、多分?と聞き返す。目の前の幽霊はこくりと頷くと、困ったような表情を浮かべて、言った。

「だって、本当に未練があってこうなったのかどうか、分かんないんだもん。気がついたらこんなふうになって、ここに来てたし……」

「はぁ?なんだそりゃ。さっきまでは適当言ってたってことかよ?」

「て、適当じゃないもん!幽霊になって戻ってくる、イコール、なにか未練がある!っていうのは、フィクションではよくある話なんだから!」

「いやここはフィクションじゃねーから!現実だからな!?」

「で、でもでも〜!そうとしか考えられないもん!」

さっきまでとは打って変わって、頬を膨らませながら空中で地団駄を踏むような仕草をするクラスメイトの様子を見て、はあ、と溜息をつく。なんだか厄介事に巻き込まれた予感しかしない。しかし、このまま何もしなければ、コイツはいつまでも、ボクに取り憑いたままなのだろう。これが「幽霊に取り憑かれている」という状況なのかどうかは、甚だ疑問ではあるが。

「……仕方ないな。そこまで言うなら、アンタの言葉を信じようじゃないか」

「それって……」

「未練探し、すりゃいいんだろ?ボクもこのままじゃ困るし、付き合ってやるよ」

「あ、ありがとう一ノ瀬さん……!持つべきものは優しいクラスメイトだよ〜!!」

「だああ鬱陶しい!くっつくな!離れろ!!」

嬉しそうにこちらに擦り寄ってくる幽霊を必死で拒みながら、内心で再び溜息をつく。仕方ないとはいえ、面倒なことになったな……と、これから始まるであろう喧しいクラスメイトとの半強制同居に、暗澹たる気持ちになったのだった。



**


ホームルームの開始を告げる鐘の音で、ボクの意識は現実へと引き戻された。クラスメイトは席に着き、やはり悲痛な面持ちで、教卓に立つ先生が口を開くのを待っている。先生の顔に浮かんだ表情もどこか悲しそうで、そして、なんとなく疲労の色が伺えた。自分の受け持ったクラスの生徒が死んだとなれば、ボクたちのあずかり知らぬところで、色々と面倒なことがあるのかもしれない。そんなことを考えていると、先生は口をほんの少し開くと、悲しみの混じったような暗い声音で、話し始めた。

「皆さんご存知だとは思いますが、先日、うちのクラスの市井波音さんが殺されるという事件がありました。市井さんはクラスの学級委員ということで、教室内の色んなことに気を配ってくれていました。きっと、市井さんに助けられた人も多いと思います」

淡々とした先生の言葉に、啜り泣く声が重なっていく。そんな教室内の様子を、ボクは、自分でも驚く程冷静に見つめていた。さっきは平常心を取り戻した、なんて思っていたが、きっと違う。ボクの視界には、未だに市井波音の姿があるからだ。他の皆には見えないからと、退屈そうに、足をぶらつかせて自分の席に座る、死んだクラスメイトの姿が見えるからだ。ボクの中で、まだ、市井波音は死んでいない。死んでいない人間のために泣ける気はしなかった。

そんなことを考えているボクをおいて、先生の話は淡々と進んでいく。ホームルームの時間も残り少ないからか、先生の話はいつの間にか締めに入っており、市井波音を殺した犯人が未だに捕まっていないから気をつけること、といった諸注意と、生徒の安全の確保のため、暫く部活動は中止するなどといった今後の予定の話を手短にすると、丁度いいタイミングでチャイムが鳴った。先生がそそくさと教室を出て行っても、いつものように賑やかな雰囲気にはならない教室。それだけが、ボクに「クラスメイトが死んだ」という事実を、痛いくらいに突きつけているような気がした。



**


クラスメイトが一人殺されようと、それで授業が滞るなんてことは無いようだ。それが学校というものらしかった。そのため、クラスメイトが一人減った状態での初めての一日は、教室内にどこか覇気がないことを除いては、概ね普段と変わらないまま、あっという間に放課後を迎えていた。ぞろぞろと教室を出ていくクラスメイトの波に紛れて教室を出る。市井波音も、ボクの少し後ろをふよふよと漂いながら着いてきているようだ。視線だけでそれを確認して、昇降口を目指して早足で歩いていく。なんとなく、この湿ったような重苦しい空気の漂う学校から、早く離れたかったのだ。

昇降口に辿り着くと、慌ただしく靴を履き替えて、外に出る。そのまま小走りで校門を抜けると、ようやく一息つけたような気がした。春の爽やかな空気が気持ちよくて、深呼吸する。そんなボクに、全ての元凶とも言える幽霊は、ほけほけとした様子で話しかけてきた。

「一ノ瀬さん、大丈夫?疲れてるみたいだけど……」

「……誰のせいだと思ってるんだよ」

刺々しい口調で吐き出したボクの言葉に、目の前の幽霊は可愛らしく首を傾げる。コイツさては、ボクがどうしてこんなに疲れているのか、分かってないな……?そう思ったが、口には出さなかった。教室内の重苦しい空気は嫌だし、変にコイツの存在を視認出来るせいでイマイチクラスメイトの死に実感が湧かないのも苦しいが、そんな文句をコイツに言ったって仕方ないのだ。コイツが殺されたのは、きっとコイツが悪いわけじゃないのだから。

だからボクは、市井波音に文句を言う代わりに、別の質問を口にした。

「で?アンタの『未練』に関して、なにか収穫はあったのか?」

その質問に、目の前の幽霊はふるふると首を振る。そして続けて、困ったような顔をして言った。

「なかったなぁ。私の未練、学校に関わることじゃなかったのかも〜」

呑気そうに告げられたそれに、今度こそボクはブチ切れそうになった。いや、実際ブチ切れた。ボクは気の長いほうじゃないのだ。

「はぁぁ!?なんだよそれ!!アンタが『ひょっとしたら学校であっさり見つかるかも!もう一度友達の顔を見たかった、とかかもしれないし!』って言うから、アンタを学校に連れてったんだぞ!?なのに何にも収穫なしとか……」

「一ノ瀬さんはせっかちすぎだよぉ!私は、未練がある『かも』って言っただけだもん!絶対手がかりがあるだなんて言ってないもん!!そんなに怒んないでよぉ〜!!」

ぴえん、と泣きそうな顔でそう言い返され、ボクは口を噤んだ。確かにそうかもしれない。なんだかとても疲れていて、ただでさえ短い気が更に短くなっていたんだろう。良くない、と思った。

「……それは、そうだな。済まない。急に怒ったりして」

「いいよぉ別に。私と一ノ瀬さんの仲じゃん」

どんな仲だよ、と思ったが、口には出さなかった。彼女ののんびりとした言動にいちいち突っ込んでいたら、キリがない気がする。はあ、とひとつ溜息を付くと、ボクは目の前をふよふよと漂う幽霊に声をかけた。

「で?このあとはどうする?未練探しのためにどこかに行けばいいのか?それとも家に帰っていいのか?」

そう尋ねれば、目の前の幽霊はううん、と唇をとがらせて、何かを思い悩むような素振りを見せる。しばらくの間、なにやら思い悩んでいるようだったが、やがて、あ、となにかを思いついたような顔をすると、こちらを真っ直ぐに見つめて、言った。


「―あのね、一ノ瀬さん。私の遺体が発見された場所に、向かってもらっていいかな」



**


「って言われて来てみたはいいが……これ以上先には行けないみたいだな。ここでいいか?」

「うん。流石に立ち入り禁止になってる場所に入れ、なんてことは言わないよ。ありがとう」

市井波音はにこりと微笑むと、そう言って、立ち入り禁止を示す黄色いテープをじっと見つめる。いや、実際には、そのもう少し手前にある、電柱の根元をじっと見つめている。

そこには、色とりどりの花などのお供え物が山積みになっていた。その量に、彼女が生前、どれだけ色んな人に愛されていたかを嫌というほど実感させられるような気がして、ボクは思わず、その綺麗な花たちから目を逸らした。こんなにも色んな人に愛された彼女が、こんな若さで殺されてしまった事実を突きつけられるようで、見ていられなかったのだ。

「っっ……なんで、なんではーちゃんが殺されちゃうの……あんなにいい子だったのに……」

「……そうだよ。なんで、どうしてあの子が……っ」

そんな会話が聞こえてきて、顔を上げる。そこには、ボクと市井波音のクラスメイトが、花束を抱えて立っていた。確か、市井波音と特に仲が良かった子たちの筈だ。彼女たちは涙で顔をぐちゃぐちゃにして、お互いがお互いを支えるようにして立っていた。そうでもしないと、立っていられないと言うかのように。

「よっちゃん……ゆうちゃん……」

来てくれたんだ、と。市井波音がぽつりと、彼女たちの名前を呟いた。泣いている友人たちを慰めたかったのだろう、彼女たちの肩に回そうと腕を伸ばす。しかし、彼女たちに向けて伸ばされた市井波音の腕は、彼女たちを支えることなく、するりと、彼女たちの身体を突き抜けた。市井波音が一瞬、悲しそうに顔を歪める。彼女たちも、市井波音が、自分たちの友人が隣でいることに気付くこともないまま、抱えていた花束をそっと電柱の根元に置くと、その場をあとにした。一秒でも早く、この場から立ち去りたいとでも言うかのように。

そんな彼女たちを、市井波音は悲しそうな表情で見つめていた。

「……大丈夫、か?」

彼女は緩やかに首を振った。その顔に浮かんだ表情は痛々しくて、見ているボクの心臓さえ、キリリと締め付けられるような気がする。彼女が口を開いた。浮かべた表情とおんなじくらい、痛々しさのにじむ声音で、言う。

「……仕方ないとはいえ、堪えるな、って」

見えないって、触れられないって、悲しいね。

そう言って、彼女は目を伏せた。厚い横髪のカーテンに隠された表情は、こちらから伺うことはできない。その厚いカーテンは、ボクと彼女を隔てる壁のようだと、漠然と思った。ただ席が近かっただけのクラスメイト、そんな距離感では壊せない壁のようだった。

「……帰るか」

ボクの言葉に、彼女はこくりと頷く。落ち込んだ様子の彼女に、こんな言葉しか掛けてやれない自分が、酷くもどかしかった。


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