水面に揺れる(後)
よく見とけ! と彼に背を向けて、まずは薄桃色のドレスのご令嬢の側方から近付く。彼女の顔が見えるところまで近付いたところで、本当にこの娘? と親友殿を振り返れば、彼はまた新たな料理を堪能しながら小さく頷いた。
……君って奴は。
声をかけるタイミングを見計らいながら、彼女の視線を追いかけてダンスホールに目を向ければ、絢爛とした光の中に極彩色の花がくるくると回っている。
その中に、一際目を惹く二人が居た。
深い緑のドレスに身を包み、真紅の巻き毛を高く結い上げた姿がまるで薔薇の花のようなご令嬢と、仕立ての良い白の礼装を着こなした赤銅色の髪の貴公子。
シュセイルの言い伝えでは、赤毛は火神の祝福、生まれながらに火神の加護を持つ者だといわれている。
確かに、楽しそうに会話をしながら踊る二人は、とてもお似合いのカップルに見えた。
対して、薄桃色のドレスのご令嬢はといえば、さらさらとした長い金髪に水色の瞳。美人だけれど、その他大勢のご令嬢たちに埋もれてしまいそうな控えめな印象だった。
ただ、品の良いレースの扇で隠した口元が、きゅっと引き結ばれていて、扇の持ち手の房飾りを千切れんばかりに握り締めているのを見てしまったら、その理由を察するしかない。
――ああ、本当に、君って奴は。
「こんばんは。今、おひとりですか?」
細い肩をびくりと揺らして、彼女はこちらに顔を向ける。静かに見据える水色の瞳は冷ややかで、声をかける前の様子を知らなければ、感情を持たない人形のように見えただろう。
「こんばんは。付き添いの父を待っているところです」
意訳すれば、『父親の紹介が無いなら話しかけんな』である。なるほど、手強い。
「おや、そうですか。熱心に下をご覧になっていたので、パートナーが居るのかと思いましたが」
水色の視線は揺らがない。けれど、その扇の下はまた唇を噛み締めているのだろうか。
「ご迷惑でなければ、春の女神のように美しい貴女と一曲踊る栄誉をいただけませんか?」
胸に手を当て頭を下げて請い願う。
差し出された手を見つめて、彼女の伏し目がちの瞼を彩る睫毛が揺れた。扇の房飾りを握る手に力が入る。もうひと押しかな?
「……見せつけたい相手が居るのでは?」
初めて彼女の瞳に光が宿る。やっと、こっちを見てくれたね。
「何を仰っているのか、わたくしには……」
「自分で言うのもなんですが、後腐れなく一曲だけ楽しむなら、僕のような男が最適ですよ?」
まんまるに見開かれた水色の瞳は、驚くほど澄んだ色をしていた。彼女はぱちんと扇を畳んで侍女に預けると、僕の手を取って膝を曲げて優雅に礼をする。
「よろしくお願いいたします」
彼女をエスコートしながら階下に降りると、ちょうど前の組のダンスが終わったところだった。
ダンスの輪を抜け出す人々を躱しながら、ホールの中央へと進み出る。向かい合ってお互いに礼をしたところで次の曲が流れ始めた。
強引にリードしなくても、すんなりと付いてきてくれる。ダンスのレッスンを受けた証拠だ。一見地味な印象だったけれど、回転した時のドレスのふわりと広がるさまや、耳と胸元に揺れるルビーの宝石を見れば、彼女がかなり良いところのお嬢様であることが窺える。
ところで、我が親友殿はちゃんと僕の勇姿を見ているのだろうか? まさか、まだ何か食べてたりするのだろうか?
ちらりと先程まで僕らが居た場所を見上げれば、彼は手すりに肘をついて、こちらを見下ろしていた。
「……あのお方のご指示だったのかしら?」
僕の視線を追ったのだろう。彼女が困ったように囁く。
「最初はそうでした。ですが、貴女の横顔を見たら一肌脱ごうと思ってね」
「そうですか。……効果あるのかしら?」
彼女は気落ちしたように呟くので、僕は思わず苦笑する。
もしかして、気付いていないのかな? さっきからすごい目で睨まれているんだけど……。
「大丈夫。僕に任せて」
少し屈んで、まるで口説いているように耳元で囁くと、彼女は堪え切れないとばかりに笑い出した。
「こんなに楽しい舞踏会は初めてです。ありがとうございます」
「それは良かった」
ダンスが終わり、彼女の手の甲に口づけすると周りから拍手が上がった。僕らもそれなりにお似合いのカップルに見えただろうか?
はにかむ彼女に、駄目押しにもう一曲踊る? と提案しようとしたけれど、それは阻止された。
「エルミーナ嬢。お疲れでなければ、次は私と踊っていただけませんか?」
赤銅色の髪の貴公子にダンスを申し込まれて、エルミーナ嬢は頬を染めた。
「え、ええ。よろこんで」
おずおずと差し出された手を取って、彼女が振り返ると、そこにはもう誰も居ない。
邪魔者は成敗されないうちに退散しないとね! 僕は人波を掻い潜り親友殿の元に戻ると、大成功! と拳を合わせる。
ダンスホールには、あいかわらずご令嬢たちの色鮮やかなドレスが花開いている。ホールの中央には薄桃色の花が咲く。幸福そうに微笑む彼女は、他の誰よりも輝いて見えた。
「明日、僕はフィリアスに殺される気がする」
「ははは! 本命を長々と放っておいたアイツが悪いから、今回は何も言えないだろう」
「そうかなぁ……すっっっごい睨まれたけど……」
「日頃の行いじゃねぇか?」
「失礼な。ていうか、君の言う通り踊ってきたんだから、君もいい加減パートナーを見つける努力をだな……!」
「よーし! 食い直すぞ!」
「まだ食べるの!?」
結局、その夜会で第二王子殿下の婚約者は決まらなかったけれど、第一王子殿下の方に動きがあったそうで、我が親友殿の結婚話は有耶無耶になってしまった。
――僕、ボーナス貰っても良いと思うんだけど。
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