王国歴1012年

水面に揺れる(前)

 シュセイルの礼服というものは、体格の良い騎士にこそ似合うように作られていると思う。がっちりした肩から引き締まった腰までの流れるようなラインは、鍛えていなければ出せない独特の魅力がある。

 シュセイルの王族は有事の際はすぐに行動できるようにと、礼装であっても華美な装飾を嫌う。結果、素材の良さが際立つというわけ。


 その点、我が親友殿はビシッとキメれば親友のひいき目を抜きに見ても、なかなかに見える。


「は〜……なのに、君って奴はなんでこんな所でコソコソ食事をしているのかなぁ〜?」


 今夜は国王陛下主催の舞踏会。王様直々に国内の貴族のご令嬢方を招集した、言わば王子の婚約者を探そうの会。主役が会場の隅で呑気に仔羊のパイ包み焼きを食べている場合じゃない。


「コソコソなんてしていない。真面目に堂々と食ってるだろうが」


 よく噛んで嚥下してから憎まれ口を叩く第二王子殿下に、呆れを通り越して言葉が出ない。「これ美味いぞ」と差し出された鴨のローストを一口いただきながら、これでいいのか? いや、ダメだろうと自問自答する。


「ヒース、俺の側に居てくれ」


「えっ……まさか、僕口説かれてる!?」


「違う。お前が側に居ると、皆お前の方を見るから、俺がゆっくり食事ができる」


「……まだ食べる気なの?」


 新たな料理を皿に盛りながら、彼は当然だと言いたげに頷く。

 これはもう、満足するまで動かない気だろうな。まぁ、こういう集まりを嫌う彼が、陛下からの強い要請があったとはいえ、参加しただけでも良い進歩だと思うけど。


 僕は温くなった酒精無しのカクテルを含んで、何気なく周囲を見渡す。たまたま目が合ったご令嬢のグループに、気まぐれに微笑んでみせれば、パッと頬を染めて扇で顔を隠されてしまった。


 子供の頃から命を狙われ続けていれば、自身に向けられる視線の種類に敏感になる。

 悪意は最も分かり易い。相手に悪意だと理解されなければ意味がないから。けれど好意は最も分かりにくい。そこにどんな背景と情が含まれているかは蓋を開けてみないとわからない。


 僕が隣に居ても、滅多に夜会に顔を出さない第二王子殿下に集まる注目と関心は薄れる気配が無い。そんなことは本人も分かっているだろうに。


 僕だって空気を読もうと思えば読める男である。

 いつもならご令嬢方と楽しく過ごすところだけど、今夜は陛下から第二王子殿下のフォローを仰せつかっている。親友殿の幸せのためならかませ犬になるのも吝かでは無いけれど、本人が色気より食い気ではどうにもならない。


「じゃあ、食べながらでいいから周りをよく見てみなよ。気になる居ないの? お膳立てが必要なら協力してあげよう」


「あのなぁ……」


 深い皺を眉間に刻んで、彼は苦々しげにキャビアの乗ったルッコラを口に放り込む。しかし、返って来た答えは意外なものだった。


「……誰でもいいのか?」


「えっ……いい、けど……人妻以外なら」


 ついに我が親友殿に春が!? というか、お眼鏡にかなう娘が存在したなんて。


「五時の方向。ホールを見下ろしている薄桃色のドレス」


 飲み物を注文しながら、対象を確認した。確かに、彼の斜め後ろあたりに薄桃色のドレスのご令嬢が居る。こちらに背を向けて、階下のダンスホールを見つめているようだが……。


「わかったよ。連れてくればいい?」


「いや、踊ってこい」


「はぁ?」


 それじゃあ意味が無いじゃないか! そう抗議しようとした瞬間、彼は身を翻し背中に追突しそうになったご令嬢を避けた。数歩よろけて転ばずに済んだものの、グラスになみなみと注がれた赤いカクテルが彼女の白いレースの手袋を染める。


 本来なら、ぶつかってカクテルをドレスに被せてしまった哀れなご令嬢に、心優しい王子様が『お怪我はありませんか?』とか、『素敵な御召し物にシミが! どうか新しいものを贈らせてください!』なんて声をかけてロマンスが始まるのだろう。


 身分の高い者に近付くための古典的な手法だが、危険察知能力が高過ぎる王子と有能な給仕のせいで全て打ち砕かれたようだ。

 きっと、家の人から王子に顔と名前を覚えてもらえって言われたんだろうなぁと思うと、少し可哀想にも思える。


「で? どうするんだ?」


 給仕が溢れたカクテルを片付けて、ご家族がご令嬢を連れて行くのを横目に見ながら、僕はグラスをテーブルに置き、身だしなみを確認する。


「我が親友殿の頼みだからね。行ってくるよ。良い子で待っていたまえ」


 親友殿はグラスを掲げて朗らかに笑った。


「お手並み拝見」

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