ブルー・アイズ・ブルー (後)
どの面提げてと言われてカチンときたのか、父上は車椅子から身を乗り出して、彼の目をまじまじと覗き込んだ。男は溢れそうな程に大きく目を見開いてガクガクと痙攣し始めたので、僕は恐ろしくなって堪らず車椅子を下げた。
父上の魔眼に相手を殺す能力は無いけれど、覗き込むと心の奥深くまで暴かれるような凄まじい衝撃が走る。嘘や悪意や罪悪感のある人程ひどい目に遭う。
睨まれるようなことをしなければいいんだけど、問題は病弱なくせに喧嘩っ早い父上の大人げなさだと思う。
慌てた兄さんが父上の手からサングラスを引ったくって掛け直した事で、ようやく解放されたその男は、涙を零したまま虚ろな目で宙を見詰めていた。――トラウマにならないといいけど……。
上司に引きずられて行く男を見送って、僕ら兄弟はようやく安堵の息をついた。
「……まったく! なんて事をなさったのですか父上! あの様子では当分意識が戻りませんよ!」
「なんだい。今度は僕が怒られるのかい?」
まるっきり悪びれた様子が無い父上に、兄さんは頭を抱えた。
「いくらなんでも、やり過ぎだと申し上げているんです! クリスティアルが怯えているではありませんか!」
二人の視線を浴びて思わず父上の背中に隠れると、ひんやりした大きな手が優しく僕の頭を撫でた。僕はぎゅっと目を瞑る。
ねぇ、どうしてこんなに冷たいの? どうして何でもないって顔をするの?
喉に思いが詰まって、上手く言葉が出ない。僕は父上の首にしがみついて、なんとか言葉を絞り出そうとした。そうしないと、父上がどこか遠くに行ってしまう気がしたから。
「父上……お願いです。もうあんな無茶なことはしないで。お願い……」
僕らは何を言われても気にしないよ。
でも父上の魔眼は使えば使う程に命を削る。最近また一段と痩せて、今もこんなにも体温が低い。生命の灯火が弱くなっている。魔眼を持つ人は早死にするってみんなが言うけれど、僕は父上に長生きしてほしいんです。
「……心配をかけてしまったね。ごめんね」
「うん」
周りの人たちに微笑ましい目で見られて、なんだか急に恥ずかしくなった僕は、いそいそと父上から離れた。そこでようやく兄さんの姿が無いことに気付く。
「あれ? 兄さんは?」
「騒ぎを起こしちゃったからね。係の人に呼ばれて行ったよ」
お目付役が居ないとわかった途端、父上はニヤリと口角を上げた。……これは、また何か悪いことを考えてる顔だ。
「ところでクリスティアルくん。父上はもうひとつ観たい作品があるんだが、連れて行ってくれないかい?」
「兄さん、ここで待ってろって言ってなかった? 勝手に動くとまた怒られちゃうよ?」
「『この辺で待っていてください』と言われたからね。こことは限定していないだろう? それに、行きたいのはここの正面の部屋だ」
それって、屁理屈なんじゃないかなぁと思ったけれど、場所が近いからまぁいいか。
僕は父上の車椅子を押して、向かいの展示室に向かった。たしかこの部屋はエリオスの肖像画の部屋だったはずだ。
部屋に入った途端、壁一面を覆う空の蒼に、僕はほんの一瞬肺が窮屈になった気がした。展示室には先客がひとり居たけれど、何事も無いように絵に見入っている。
父上も何も言わないし、異常を感じるのは僕だけ?
気のせいだろうか。不安を打ち消すように深呼吸して僕は目の前の大きな絵画を見上げた。
剣の柄頭に手を置くきりっとした横顔。その目は遠くの空を見ているはずなのに、『俺を見るお前は何者なのか』と厳しく品定めされているような威圧感がある。
何も悪いことはしていない。なのにどうして。どうしてこんなに怖いのだろう?
僕はこの部屋に入った時から火傷のようにじんじんと痛む左手を背中に隠した。エリオスに見られてはいけない気がしたから。
それでも、物言わぬエリオスの視線が僕を非難する。親友にそっくりなその目で僕を睨む。まるで、僕が…………。
「――大丈夫かい? クリスティアル。顔が真っ青だよ?」
父上の声に、今まで息が止まっていたことを知る。空っぽの肺に慌てて空気を吸い込んで、激しくむせた。
「僕、水を飲んできます。ここに、居てくださいね」
乾いたがらがらの声で父上に告げると、僕は答えを聞かずに逃げるように部屋を出た。
それから、どこをどう歩いたのかは思い出せない。けれど、気がついたら僕はまたその部屋に居た。
閉館時間が迫って、ひとり、またひとりと部屋を出て行く。明り取りの窓から射す西陽が部屋を赤く染めるその中でさえ、彼女の瞳は濁りの無い青色で僕を見詰める。
ついに僕ひとりになった時、僕は彼女の前に進み出た。
「どうして僕たちと同じ色の瞳をしているの? あなたもクレアノールの人?」
いや、あなたこそがクレアノールの人で、僕は偽物なのかもしれない。だとしたら、あなたは。
「あなたは誰なの……?」
「君は、その答えに辿り着くよ」
背中に掛けられた声は悲しい程に優しくて、僕は縫い付けられたようにそこから動けなくなってしまった。
カラカラと車輪を鳴らしながら父上は自分で車椅子を操縦して、僕の隣にやってくる。僕を探し回ったのだろうか、ふうと大儀そうに息をついて『姫君』と同じ青い瞳で優しく笑う。
「父上……ごめんなさい。僕のせいで……」
「このぐらい、大したことないよ。大げさだなぁ」
父上は朗らかに笑ってお気に入りのサングラスをかける。『なんだか遊び人みたいねぇ』とは母上の感想だ。
父上の眼に視えるのは未来だけ。ごちゃごちゃに詰まった僕の心なんて見えやしないのに。父上は時々何もかもお見通しで、その全部を赦しているような目をする。
――まるで、『姫君』のようだ。
国や家族を顧みず戦場に旅立つエリオス。自分に向けられる妬み嫉み。エリオスに戻ってきてほしいと願いをかけたエクセリウス。その全てを見守って赦してきた姫君。
どんなにからかわれても『姫君』を嫌いになれないのは、きっとその青い瞳が父上に似ているからだ。
予言者の言葉に嘘は無い。僕はきっとあなたの正体を掴んでみせる。決意を新たに顔を上げて僕は『姫君』を見上げる。
見る人の心模様を映すというその青い瞳は、とても綺麗に澄んで見えた。
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