ブルー・アイズ・ブルー (中)
ここはエリオスの私室。『姫君』のお膝元。ここを訪れる誰もが、エリオスの心情に思いを馳せる場所。
その少し物哀しい静けさを破った闖入者は、『姫君』と僕らの間に割り込み、居丈高に僕らを見下ろした。
「貴様ら……! アレクシウス陛下を唆し、領土を掠め取った詐欺師め! どの面提げて神聖なるシュセイルの地を踏むのか!」
目の前で喚き散らす大男は、真新しい青の制服に身を包んだ近衛騎士団の青年のようだった。怒りに燃える瞳で車椅子に座る父サフィルス・イーディア・クレンネル大公殿下を睨みつけ罵声を浴びせる。
「参りましょう、父上。博物館だというのに、ここは随分と騒がしい」
車椅子を押す兄さんは、延々と続く罵声に顔色ひとつ変えずに、父上の肩に手を置いた。
嘘つき。詐欺師。ペテン師。金の亡者。守銭奴。国の無い王子様。白薔薇の刺青。――僕らが浴びる言葉は大体いつもそんな感じ。
それでも暴言を浴びるのは僕たち兄弟だけで、父上に面と向かって言う輩は居ないと思っていたから、これは完全に不意打ちだった。
気を悪くされていないかと、ちらりと父上の顔を窺うと、いつもと変わらない優しげな横顔。濃い色付きのサングラスの下の瞼は固く閉じている。何を考えているかはわからない。
何も聞かなかったかのように取り合わない兄さんに、男は益々ヒートアップして声を荒げた。友人か博物館の守衛か周囲の人々が止めに入るが、男の怒りは収まらない。
――たまに居るんだ。王家への忠誠心が強過ぎて、クレンネル家に対して嫉妬とも怒りともつかない激しい感情を爆発させる人が。
「クレアノール王家の末裔だなどとふざけやがって! 大体エリオス王もどうかしてる! 偽物の白薔薇をありがたがって位と領地を与えるなんて! 貴様らが騙し取った土地は、我らの父祖が命懸けで守り抜いた地だぞ! それを……こんな……狂女の屑石のくせにッ!!」
博物館の天井高く響き渡った声に、一瞬にして空気が凍り付いた。
どんなにクレンネル家が憎い者でも、絶対に口にしない言葉がある。狂女の屑石――彼は今それを口にしたのだ。
狂女ルビーナとは、クレアノール王国滅亡から七年後、左手の甲に白薔薇の
シュセイルに残る最も古い記録では、セイリーズ王に妻子はなかった。突然現れて我が子に王子に値する扱いを求めたルビーナは、狂女と呼ばれシュセイル王家の正統性を侵害する者だとみなされて暗殺されてしまう。
エリオスはそのセイリーズによく似た瑠璃色の瞳をした子ラピスをセイリーズの子と認め、『国が滅びても自分はクレアノールの騎士であり、クレアノール王家を蔑ろにはしない』と、公爵位とクレアノール王国の跡地が見えるローズデイルの地を譲渡した。
シュセイル人の恨みを買った、最初のクレンネル大公だ。
「お前……! なんて事を!」
「申し訳ございません! 大公殿下! この者は厳罰に処します!」
駆け付けた上司と思しき青い制服の男は、喚く部下の頭を掴んで無理やり下げさせるけれど、一度口から飛び出した言葉は二度と取り消す事はできない。
「……躾のなってない犬ですね」
ぽつりと呟く兄さんの顔は真っ青で、僕は黙ったまま兄さんの袖を引いた。
早くここから逃げよう。父上のお耳にこれ以上毒を吹き込んではいけない。眼が曇ってしまうから……。
泣きそうになりながら訴えかけるも、兄さんはこちらに一瞥もくれず、固く拳を握りしめて冷ややかに彼らを見据えていた。
「近衛騎士団とは王家に仕え、王家の盾となる誉れ高き騎士団であると思っていましたが、まさか建国王エリオスの御前で大公殿下を貶すなど……名誉も地に落ちましたね。この事は、陛下にご報告せねばなりません。目障りです。その者をさっさと回収しなさい」
こんなにブチキレた兄さんを見るのは初めてだったし、何より兄さんは普段こんな風に上から物を言う人じゃない。使用人に対しても丁寧に接するから、威厳が無いとか言われるタイプなのに……。
「ジェイド。もういいよ」
怒り心頭の兄さんが、上司の男に所属と階級を問い詰めるのを、やんわりと止めたのは父上だった。
退屈そうに眉を顰めて肘掛けに頬杖つくと、首を横に振った。
「しかし! 御身に対するこのような侮辱を看過することはできません!」
いつもなら素直に従う兄さんだけど、今度は兄さんの怒りが収まらないらしい。やれやれと父上はため息をつく。
「……君も強情だね。……クリスティアル、椅子を押してくれるかな?」
「はい。父上」
父上の指示通り車椅子を押して取り押さえられている男の前に連れて行くと、彼らは父上の予想外の行動に目を泳がせた。
「クレアノール王家は青い目が特徴でね。たまに“予言者の眼”という魔眼を持つ者が生まれるんだ。君たちが狂女と呼ぶルビーナの子ラピスも、そうだったと記録に残っている。クレアノールに仕えていたエリオスなら当然知っていた筈だ。……ほら、こんな眼だ」
父上はサングラスを外して眼を開く。
至近距離で見てしまった男はその場に膝から崩れ落ち、見開いた目からボロボロと涙を零した。目を逸らすことができず呼吸の仕方を忘れてしまったかのように唇を震わせて、か細い息をひゅうひゅうと漏らし慈悲を請う。
「遠慮せず、よくご覧よ」
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