王国歴1006年

ブルー・アイズ・ブルー (前)

 シュセイル王国の国宝、名画『青き瞳の姫君』はイワク付きの絵画である。

 ロベルト・カーライン作『青き瞳の姫君』は、学者の街イオス島にある王国立博物館の特別展示室に展示されている。ただし、現存するものはカーラインの弟子が同じ絵の具を使って描いたレプリカと伝えられている。


 絵画に描かれているのは、白薔薇の庭園に佇み、こちらを振り返る美しい姫君である。

 まだ誰も踏み入れたことのない新雪を思わせる純白のドレスを纏い、黄金の穂波のような長い髪を雪の結晶を模した髪飾りが煌びやかに彩る。


 両手に大事そうに持つ一輪の白薔薇は、香りを楽しむというよりは何か重大な秘密を仄めかし、訴えかけているようにも見える。


 ふっくらとして形の良い唇は、謎と秘密を含んで妖艶な薔薇色に濡れる。その唇から溢れるのは愛の囁きか、それとも死の宣告か。答えは誰も知らない。


 全体的に淡く優しい色彩の中で、自然と目線は彼女の瞳に引き寄せられる。――その深遠なる青に、英雄エリオスは囚われたのだと人は言う。


 青き瞳の姫君が展示されている正面の部屋には、同じく国宝の英雄エリオスの肖像画が展示されている。

 青き瞳の姫君と同じく、カーラインの作品だが、姫君に比べて知名度が低いせいか――厳ついおじさんの絵よりは美女の絵の方がいいのか――素通りされることの多い不遇な絵である。


 エリオスをもっと目立つ部屋に移動させようとしたこともあるらしいが、エリオスの絵を遠ざけると姫君が泣き出すとか、真夜中になると絵画から抜け出して二人で館内をデートしているという、微笑ましい? 怪談が囁かれているため、今日まで向かい合うように展示されているのだとか。


 噂の真偽は定かではないが、彼らはシュセイル王国千年の繁栄を静かに見守ってきた。

 ――だからその日も、きっと僕らを見守っていてくれたのだろうと思う。




 †††




『シュセイルには仕事で何度も来ているが、青き瞳の姫君はまだ観たことがないんだよな』

 きっかけは、兄さんの何気ない一言だった。

 シュセイル騎士の初恋泥棒とも言われる『姫君』を観たことがないなんて!

 何故か僕よりも父上が大いに嘆いて、『よし! 今から観に行こう!』だなんて言い出した。


 勝手に王宮から抜け出して怒られないかな? と僕は気が気ではなかったけれど、二人が楽しそうだからいいのかな。

 主要四島に掛かる天空の大橋を竜車で渡り、博物館のあるイオス島に着いた頃には僕の心配は消え去っていた。


 入口で入館料を払いパンフレットを貰うと、順路に沿って歩いていく。

 宝石や異国の器、歴代の王様の冠や剣、宝石のマント、竜の骨角から作られた武器などなど。教科書に載っているようなシュセイル千年のお宝が次々に現れる。


 シュセイル留学中の僕は遠足で何度も来ているけれど、第五代イースファル王の銀竜角の剣だけは、何度見ても飽きない。

 剣身がオパールの宝石のように七色に輝いていて、見る度に表情が違うんだ。僕の一番のオススメだけど、今日は兄さんが主役の日だから、横目にちらりと見ただけで通り過ぎた。


 真面目にキャプションを読みながらだと一日では回りきれない展示を大幅にショートカットして、僕らはついに特別展示室へとやってきた。


 姫君の絵は、エリオスが王様だった頃、エリオスの自室に飾ってあった。だからこの特別展示室も、当時のエリオスの部屋を再現しているらしい。

 装飾の欠片も無い無骨な石造りの壁に、蒼地に銀糸のタペストリーが掛けられただけの質素な部屋。ベッドもソファも無い、まるで生活感の無い神殿のような空間。そこに、『姫君』は居る。


 ある日、エリオスが長い遠征から帰って来ると、いつも笑顔で迎えてくれる筈の姫君の絵がなくなっていた。

 度重なる戦争で国庫が疲弊して王家の財宝を開放したとか、姫君に嫉妬した王妃が異国の商人に売ってしまったとか色々言われているけど、真相はわからない。


 姫君の消失を知ったその日、エリオスは王位を捨てて出奔し、二度とシュセイルには帰らなかった。


「『王位を継承した二代エクセリウス王は、私財を投げ売って散逸したカーラインの絵を買い集めたが、ついに『姫君』は戻らなかった。ここにあるのはカーラインの弟子が、師匠のスケッチを元に同じ画材、同じ技法で描いたレプリカである。――来るべき王の帰還まで、青き瞳の姫君はシュセイルを見守り続ける。』か」


 色の濃いサングラスをかけて車椅子に座る父上の代わりに、兄さんが語り聞かせるようにキャプションを読み上げた。

 メイド長が『ジェイド様のお声は耳が幸せ!』って言ってただけあって、周囲の女性客から熱い視線をもらっているけど本人は全く気付いていない。兄さん本人も知らない特技である。


「初めて観た感想はどうだい?」


 そんな周りの状況など見えていない筈なのに、父上はくすくす笑いながら兄さんに尋ねる。


「そうですねぇ……これが千年前の絵画とは思えません。千年経てば美醜の基準も変わりそうですが、姫君は今の基準で見ても美しい方ですね。それに、その……」


 兄さんの視線が僕と姫君を見比べるので、僕は持ってたパンフレットで顔を隠した。

 どうせ僕に似てるって言いたいんだろう!? どいつもこいつも口を開けば、姫君にそっくりだとか、女の子だったら良かったのにとか言うんだから!

 今度言われたら、美しくてごめんあそばせ! って言ってやるんだ!


 ところが、待っていたセリフは来なかった。

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