確率
新しい缶コーヒーを手に、由希子さんが会議室に戻ってきた。
「仕事とは関係ないんですが、いつも違う缶コーヒーなんですね」
「おや、観察眼と好奇心はゲーム開発者に取ってとても大事な要素だと私は思っている。君はそういう点では向いているのかもしれないな。で、質問の答えだが、私は缶コーヒーの銘柄にはこだわりがないんだ」
「そうなんですか?じゃあ何故、毎回別の銘柄を・・・?」
「興味がないので、新しいモノを買っているというのがまずある。そして、そのなんだ・・・別の銘柄のシールを集めると、このケロっくんのストラップが貰えるからそのため・・・だな」
いつも端的に物事を語る由希子さんが少し恥ずかしそうにしているのはとても意外に感じた。いわゆるギャップというやつだろう。正直少し可愛いなと思った。
「女の子らしいんですねという言葉は禁止だ。私はこれでも女の子だと自分でも思っているわけなので、そういうことを言うのはやめるように」
落ち着いた態度や見た目、少し冷たい感じのする目つきとのギャップは正直あるので、言われ飽きているんだろう。
「ケロっくんは可愛いですよね。造形は可愛いのに目つきは悪くて、口汚いのがまた良いなと僕も思います!」
「わかるか。そうなんだ、こいうキャラクターは全部が可愛いベクトルにしてあると本来の可愛さが失われるというか・・・いや、仕事の話に戻ろう」
正直、キャラを語るところをもう少し聞いていたい気持ちはあったが、気持ちを仕事モードに僕は変えた。
「はい。どの点から説明しましょうか」
「そうだな。この使用金額に応じてガチャの確率を下げるというのは、例えば、10万円使ったユーザーは欲しいキャラクターが出る確率が下がるという意味で良いか?」
「そうですね。ガチャはギャンブルみたいなものなので、熱くなったらどんどん使ってくれると思うので徐々に確率を下げても気がつかないでしょうし、よくネットで言われているみたいに操作しても良いんじゃ無いかと思いまして」
よく聞く話だし、僕も実際そういう仕組みになっていても全然気がつかないだろう。欲しい人にどんどんお金を使ってもらえばビジネスとしては成功するはずだと、僕は得意満面に話を聞いていた。
「なるほどな・・・」
珍しく歯切れの悪い感じで、由希子さんは押し黙った。プルタブを指で弄りながら何かを考えているようだ。
「すまない少し怒りを抑えるのに時間がかかった」
今、怒りって言ったか?どうしたんだろうか。
「まぁ、この意見は論外だ。これを実行したらこのゲームはもちろん会社自体も危うい。許可した場合、私はもちろん即座に解雇だな」
「そうなんですか?どこでもやってると思うんですが・・・」
「やっている会社もあるかもしれないが、まともな会社は絶対にこんなことはしない。意味が無いからな」
「意味が無い・・・ですか何故ですか?」
「その理由を話す前に、君の認識を正しておく必要がある」
「どの部分でしょうか?」
「ガチャはギャンブルではない。細かい法的な定義はおいておくが、ギャンブル、日本の擁護では賭博は、財物の所有権を争う行為や、一時的な娯楽を供するもののことを指す。ガチャで出現するキャラクターは財物ではない。」
「えっでも、さっきユーザーにとって価値があると言ったじゃないですか」
「そうだ。価値を感じるユーザーはいるが、ドライに言うとキャラクターはデータにすぎない。現実世界で起こっていることはサーバーというかこの場合はBDか、ともかくデータが同一のサーバーの中で行き来しているだけで、ユーザーの手元にあるわけではない。よって財物ではない」
「それは詭弁じゃないですか?」
「私の知る範囲で、ゲーム運営会社が賭博で摘発されたことはない。現時点では賭博ではないんだ。君や私の主観として、疑問を持つのは良い。ただ、ゲーム運営者がこれは賭博であると認識していることが公になるとこれは問題だ。法律に厳密な定義はないが、ガチャは賭博ではないという認識を持って仕事をしてくれ」
「わかりました・・・なんか腑には落ちないですが・・・」
「そういう議論がしたい場合は法務担当者を紹介するから存分に議論しても良いぞ」
言葉を切って、コーヒーに口をつけた。
「まぁ、私個人の感覚としては、キャラクターは財物であって欲しいと思っているがな、それくらい価値のあるものを提供している自負が私にはあるからな」
「えっ・・・それって・・・」
「さて、言いたくもない論理はここで終わりにして、確率の話にもどろう」
この話は終わりということがはっきりと伝わってきたので、僕は言葉を飲み込んだ。
「まぁ、お金を使ってくれているユーザーの確率を下げた場合、売上は恐らく短期手には上がるんじゃないかなとは感覚としては思う」
「じゃあ・・・」
「まぁ聞け。大前提として、そうすることは業界の自主規制のレギュレーションに大きく違反するし、法的にも優良誤認として景品表示法的にもかなりグレーというかほぼ黒だ」
「そういう法律があるんですか?ガチャにも?」
「ガチャだけを規制しているわけではないが・・・まぁこの話は長くなるので、またにしよう。システム面でも大きい懸念がある」
「システムですか?それは10万円以上使ったユーザーの確率を下げるだけのことではないですか?」
「まぁ言葉で言えばそうだ。その金額をいくらに設定するかといった話もあるが、そもそもで言うとシステムも作っているのは人だ。人はミスをするし、前提条件が変わればイレギュラーなことが発生することもある。人の認識通りにプログラムが動けばこの世にバグなど存在しない」
「わかったら直せばいいだけのことでは?」
「まぁそうだ。そのために貴重なエンジニアの時間を割くことになる上に、間違ってて全員の確率が上がってしまったりしたらどうするんだ?このゲームは終わりだぞ」
「そんな間違いが起こるはずなくないですか?この会社は有能な人ばかりですし」
「可能性は常にあると考えねばならん。そしてそれが起きた時に天秤にかかるのは、このゲームの命そのものになる。少なくとも私はそんなリスクを負うのはごめんだ」
「そういうもんなんですね。でもばれないとは思うんですよね」
「何かおかしいな?と思って、ユーザーが検証したら容易にわかる。統計上有効な証拠を提示されたら終わりだろう。まぁ、システムの問題がなかったとしても、そんなゲームをユーザーが遊び続けてくれる保証はない」
由希子さんは一瞬上唇をなめてから続ける。
「これは一番大事なことだが。我々はこのゲームでユーザーにガチャを売っている訳ではない。キャラクターを得た、何なら得られなかった、そのキャラクターを使ってボスを倒した、他のプレイヤーの見せてドヤりたいという体験を売っていると私は考えている」
「体験・・・ですか」
急にぼんやりとした話になって正直、僕はついて行けなかった。キャラクターを得た体験って何だ?
「はてなマークが浮かんでいる顔だな。君にも感覚的にそのうちわかる時が来ると思う。答えは人それぞれだが、何を対価としてユーザーに提供するのかは本当に大切なことだ。レポートの質問はここまでだ、修正する必要はないが、一度考えてみてくれ。明日からは実務を任せて説明するからそのつもりでいてくれ」
すっと立ち上がって扉に向かいドアに手をかけたところで、ふと由希子さんは振り返った。
「先ほどは、ちょっと口が滑ってしまったが、私の缶コーヒーの理由については誰にも言わないでくれるとありがたい。正直弄られるのは面倒だし、変に意識もしたくないからな。言ったら殺すからな」
言葉とは裏腹に少し恥ずかしそうにそう言った顔を見て、正直僕はドキドキしてしまった。
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