第9話 幻の世界

 殺そうとだなんて思っていない。ミラノは思う。


 歴史というものは、時に激動を起こすことがあるだろう。

 後世の人々は、それを単に『激動』としか思わないかもしれない。

 未来、ミラノはアラタとマルコに敗けることになる。

 そのはずである。


 人々は、アラタの方が強かっただけと言うかもしれない。

 人々は、ミラノが判断を誤っただけと言うかもしれない。


 そう、確かにミラノは判断を誤るのである。

 それは、このマルコ・デル・デソートとノリスの一件があったせいだ。

 この件で、ミラノの中でマルコの存在が大きなものに感じられるようになったのである。


 歴史というものは、その表舞台には決して記録されないものが、実は大きく作用しているのかもしれない。

 一本一本の細かい糸が織りなしてゆく歴史という不思議なものの中を彼らは生きている。



 ***



 その一連の様子を襤褸ぼろを纏った老人は黙って見ていた。

 しかし、しびれを切らしたのだろう。

 ミラノに声をかけた。


「アル様だけあの世界に置いてきたのでございます」


 老人はミラノに近寄った。

 顔は変容し、先王そのもののようになっている。幻だ。


「アルとは何か?」


 ミラノはその老人の言うことに興味を持った。


「わたくしたちの真の王でございます」

「真の王とは、どういう意味か?」

「シエルクーンの新しき王様はご存知でないのでございます。

 アルの家の者は魔導を自由に使うことができませぬ。

 それをなぜかと不思議に思ったことはないのでございますか?」

「まどろこしい言い方をするな、真の王とは何かと聞いているのだ」


 ミラノはまた苛立つ。


「わたくしたちは幻を見せられているのでございます」

「意味がわからぬ、誰が何を見せているのだ?」

「もちろん、エスタ・ノヴァ・ルナドート様でございます。

 エスタ様がわたくしたちに幻を見せているのでございます。

 そうでございます。

 いま、ミラノ様の目の前にいるわたくしも幻でございます」


 そんなこと分かっている。


「そうだ、お前は幻だ。

 しかしそれは、お前の本体がここにはいないという意味だろう?

 単純な魔導だ」

「ええ、単純な魔導でございます。

 単純と言ってよいかどうかは分かりませぬが、これは魔導でございます。

 いえ、わたくしたちが魔導と呼んでいるものでございます」

「エスタ・ノヴァ・ルナドートが幻を見せているとお前は言う。

 それは良かろう。

 あの神が何を考えているのかは、今度直接聞いてみよう。

 しかし、いま僕が聞いているのは『真の王』とは何かだ」

「ですから申しております。

 この『幻の世界』の中でアル様だけが幻を見ていないのでございます。」


 このシエルクーン王家の家臣であった男は、この世界を『幻』だと言っている。

 しかし、ミラノはそうは思わない。

 そんなはずはないと、ミラノは思う。

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