第20話 ダルシアの宿屋

「助けて――!」そんな声が聞こえたような気がした。


 ――次の瞬間。

 ナユタ・エルリカ・アルとドラゴは、元の貧民窟の路地にいた。

 ナユタはまだ少し興奮していた。


「いまの世界はいったい何だったのだ?」

「いまの世界? 何のことだ」

襤褸ぼろをまとった老人に別の空間軸に飛ばされたのだ」

「襤褸をまとった老人? 誰だそれ? 別の空間軸?」

「お前が助けに来てくれたではないか」

「何のことだ?」


 ドラゴは何を聞いても分からぬようであった。とぼけているのであろうか。それとも、ナユタが幻でも見ていたのであろうか。

 しかし、幻でもなさそうである。ナユタが魔導臨界を起こしそうになった痕跡があったのだ。

 彼の左手の甲がうっすらと青く光っていたのである。


「左手がまだ青く光っておる」

「それは魔導の光ぞ。これは奇異なことであるな」

「これは何なのだ?」

「だから魔導の光だと言ってるではないか」

「まるで分からんのだ。魔導の光って何なのだ?」


 ドラゴは驚いていたのである。というのもアル家の人間が『魔導の力』を宿すことは珍しいのである。


「ナユタの旦那に『魔導の力』が宿ったってことだ。オレも歴代のアル家の当主たちに仕えてきたが、めったにないことだ」

「『魔導の力』?」

「そうだ。アル家の人間は本来は魔導を使えないのだ。そういう家系なのだ。

 だから代わりに、アル家の人間は魔素を必要としない真言マナと呼ばれる呪文を使ってきたのだ」


 ドラゴが『魔導の力』とアル家のことについて説明していると、そこに熊が現れた。

 熊のような人間という意味ではない。まさしく熊であった。

 ただし、只の熊ではない。忍熊である。忍熊とは忍者の熊だ。


「我はダルシア法王国の忍熊。ニンゲンの言葉、得意でない。王女の手紙、持ってきた。読め」


 忍熊は、ナユタに手紙を渡した。それは、サクラ・リイン・ダルシアからの手紙であった。

 手紙には、ダルシア法王国王宮の襲撃事件のことと「帰ってきて欲しい」ということが書かれていた。


「帰ってきて欲しいって言っても、どうやって帰れば良いのだ?」


 シエルクーン魔導王国とダルシア法王国の間には強力な魔導結界が張られているのである。

 こちら側に来るときは、サクラに亜空間を使って連れてきてもらったのだが。


「我が、亜空間・ダイレクト・リンクする」

「亜空間・ダイレクト・リンクって何だ?」

「王女にナユタを連れて帰れ、言われている。」


 忍熊は、問答無用で【亜空間・ダイレクト・リンク】を実行した。

 世界が一瞬、闇になったかと思うと次の瞬間には彼らは宿屋の一室にいた。

 サクラ・リイン・ダルシアと一緒に入ったあの宿屋である。


「用は済んだ。我は帰る」


 忍熊はそう言って、さっさと帰ってしまった。

 この宿屋のこの部屋は、宿屋の親父に自由に使って良いと言われている。


「助けて――」再び、誰かが助けを求める声が聞こえたような気がした。


「誰ぞ? 誰ぞいるのか?」


 ナユタは助けを求める誰かに問いかけたが、返答はなかった。

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