第5話 吾輩は村のアイドルである

 転生してから3年が過ぎた。


 え? 早いだと?

 だって、しょうがないではないか。吾輩、乳児だったのだぞ? やることといえば、泣くか、乳を飲むか、寝るか、漏ら……ごほん。失礼。


 この辺りは物騒らしく、吾輩はほとんど外へ出ることなく育てられた。

 そのため、家の中で魔力量を増やすことに専念した。

 この世界では、魔法が使えるかどうかは、『魔脈』と呼ばれる魔力を体に巡らせるための器官を持って生まれるかどうかにかかっている。

 『魔人転換』を使うためには『魔脈』の存在は不可欠だったのか、天使は吾輩に『魔脈』を授けてくれていた。

 とは言え、凡人の体である。赤子の時は、魔法使いのジジイですら存在に気が付かないほど、弱々しい『魔脈』であった。

 ある程度の魔法を使うためには、『魔脈』を鍛え、魔力量を増やす必要がある。


 効率の良い修行の方法はあるのだが、前世の記憶を消されたことになっている吾輩には、地味な修行しか許されなかった。うっかり、神や天使たちにバレる訳にはいかない。とは言え、努力の甲斐もあり、3歳児にして簡単な魔法であれば使える様になっていた。

 もちろん、コロ以外には秘密にしている。


 それはさておき、最近になってやっと一人での外出が許されるようになった。

 吾輩はようやく自分を取り巻く環境について、理解し始めたばかりなのだ。


……結論から言うと、吾輩の想像よりも、この村の現状は酷かった。



 以下に、吾輩が現段階で知り得た情報を述べる。


 まず、吾輩が生まれたのは、勇者に倒されてから5年後であるらしい。

 現在、勇者は吾輩の元居城に住み、この国の王として妻子と共に暮らしているそうだ。

 そして、元魔王領は勇者の率いる人間の軍隊によって制圧され、管理されている。魔物のほとんどは討伐され、生き残った者は辺境の地で細々と暮らしている……あるいは、奴隷として人間にこき使われているようだ。


 吾輩の生まれた村は、第7大陸の端の端にある辺境の村で、村人達は重い徴税と魔物の襲撃に怯えながら生活している。


 ちなみに、この世界には7つの大陸があり、吾輩は第3大陸から第7大陸を支配していた。最も巨大な大陸は第1大陸であるが、ここは人間の力が強く、流石の吾輩でも手が出せなかった。まあ、本気になればどうとでもなったのだろうが、人間達の住む場所を完全に奪う訳にはいかず、第1大陸と第2大陸は放置しておったのだ。


 話が逸れたが、この村の村人達のほとんどは、貧しい土地の出身で「第7大陸にくればいい生活ができる」と騙されて移民となった者達である。吾輩の父上も故郷を捨て、身重の母上を連れて一攫千金を夢見てこの大陸に来たらしい。父上が酔いながら仲間と語っておった。

 しかし実際は、故郷にいた時よりも貧しく、危険な生活を強いられている。開墾した土地は自分のものになるのだが、その分税も多く、そもそも、開墾するためには住み着いている魔物を倒す必要があった。


 毎日のように新しい住民が来て、何人も死んでいく。


 ここは、何の力も持たない一般人にとっては、新天地などではなく、地獄だったのだ。


 そんな中で、吾輩の両親は3年以上ここで生活している。

 かつては、ここで1カ月以上生活出来る者は多くなかったそうだ。大半は、魔物の襲撃で死ぬのだ。1年以上生きているのは、比較的安全な実りの良い土地を手に入れることが出来た幸運な者か、魔物と戦えるだけの力を持った元冒険者や元騎士などの戦闘スキルを持った者がほとんどである。

 ただの農民である両親と吾輩が生き抜いてこられたのは、忠実な下僕である可愛いコロのおかげだ。

 もちろん別の理由もあるのだが、新米天使のおかげで神獣となったコロの気配を感じると、弱い魔物は逃げていくのだ。

 おかげで吾輩の家の周囲に魔物が近づくことはなく、農作物が荒らされることもなかった。また、父上が狩りや開墾に行くときには、コロが必ず付いて行き、結果、父上が命を落とすことはなかった。


 今では、コロが居ると魔物が出ないという噂が広がり、森へ入る際にコロを貸して欲しいという村人が後を絶たなくなった。人の良い両親は、何の見返りもなくコロを貸し出している。その度に吾輩は大泣きして抗議したものだが、「コロが居なくて寂しいのね」と母上にギュッとされて……それはそれで良かった。何の話だ。


 吾輩が「母上大好き」なのは置いておいて、コロを貸し出した者の中には、お礼にと狩った獲物や収穫した野菜や果物を持ってきてくれる者もおり、その日暮らしの貧しい村であったが、吾輩が空腹を覚えたことはほとんどなかった。ありがたい話である。


 そればかりか、何故か村人達は吾輩のことを異様に可愛がってくれたように思う。


 滅多に外に出ることはなかったが、母に抱かれて外に出ると、必ずあちこちから人がやってきて、我先にと吾輩を抱きたがるのだ。この村には5歳以下の子供が少なく、きっと癒しが必要なのであろうと吾輩は解釈している。

 そのため、吾輩、うら若き女子に抱っこされるのはやぶさかではないため(おっさんは嫌である)、割と好きにさせてやった。あ、割とお婆ちゃんも好きであるぞ。抱っこが上手なのだ。


 吾輩が無防備に抱かれてやるなど、魔王であった時には考えられないことである。元部下には見せられない醜態ではあるが、チヤホヤされるのはいい気分であった。


……どれだけ頑張っても、感謝すらされなかった魔王時代が嘘のようだ。


 村人の中には吾輩に手を合わせる者もいた。

 まさか、元魔王とばれているわけではないと思うが……いや、ばれておったらすぐさま殺されているだろう。子は宝と言うし、赤子をありがたがる風習でもあるのだろうか。


 そういう訳で、今日も吾輩は癒しを求める人間どもに、ニコニコと愛嬌を振りまいておる。吾輩は、できる幼児なのだ。


◇◇◇◇


 吾輩が近所のおばちゃん相手に「上手なトマトの育て方」をレクチャーしておると、森の方から父上達とコロが近づいてくるのが見えた。

 父上からも吾輩の姿が見えたのであろう。満面の笑みで山鳥を掲げている。後ろの男達が担いでいるのは猪だ。今日の夕食は豪勢になりそうだ。


「ははうえー! ちちうえ、帰ってきたー!」


 吾輩が家に向かって呼びかけると、粗末な茶色のワンピースに白いエプロンを付けた母上が飛び出してきた。背中には、昨年生まれたばかりの妹をおぶっている。うむ。どっちも可愛い。


「お帰りなさい、エディ!」

「ただいま。シンシア。ユリア」


 母上が、父上に抱き着いている。結婚して5年になるらしいが、いまだにラブラブである。ちなみに、父上は25歳。母上は23歳になるらしい。人間にしては、美男美女の部類に入ると思う。あの天使、その辺も気を配ってくれたのであろう。吾輩と妹の将来も楽しみである。


 ニヤニヤと考え事をしていたら、ヒョイと父上に抱きかかえられた。

「ウォレス。機嫌がいいなあ。可愛いなあ。今日は、たくさん捕れたぞ」

「おっきい、鳥さん! ちちうえ、狩り、じょうずねー!」

「そうかい!? コロのおかげだけど、父ちゃんは農家を辞めて猟師になろうかな」

 えへへ、と父上が嬉しそうに笑っている。

 ちなみに、吾輩、頭の中では「大きな鳥ですな。父上は借りがお上手でいらっしゃる」と言っておったのだが、口に出すとどうも年相応の話し方に変換されるらしい。ちょっと恥ずかしい。


「ちちうえ、汗、くさーい。ぼく、コロとあそぶ!」

「そ、そうか。血の匂いもするしな。水浴びでもしてくるよ。コロ、ウォレスを頼んだよ」

「わん! (訳:お任せを!)」


 父上は若干ショックを受けながらも、吾輩をコロに託すと狩り仲間と一緒に家の裏手にある井戸へと移動していった。手荒い、うがいは衛生の基本なのだ。しっかり洗ってくるがよい。


 近所のおばちゃんも、母上と共にキッチンへと向かったため、一人になった吾輩はコロを連れて散歩をすることにした。


 実際に、歩いてみると分かるのだが、この村は貧しい。


 木と土で作った粗末な家に、小さな畑。自然だけは豊かだが、魔物や獣が多く、コロが居なければ山に立ち入ることも出来ない。そのため、土地を広げることが難しく、狭い土地を分け合って、人々は暮らしている。


 吾輩が生まれる前は、もっと酷い状況だったらしい。少しでも良い場所に住むため、村人同士の殺し合いも後を絶たなかったそうだ。

 だが、それも仕方がない。

 元々、第7大陸自体が人が住むのに向く土壌ではないのだ。

 吾輩がこの大陸に居を構えたのは、他の大陸に比べ極端に人間が少なかったからだ。なのに、何を思ったのか、勇者は吾輩の居城に住み、人々を呼び寄せ、高い税金を払わせている。全く、意味が分からない。


 ちなみに、この世界では、大陸自体を一つの「国」と呼ぶ。この大陸に入国するのは簡単だが、出国するのはほぼ不可能である。出国するためには貴族でも困難な程の「出国料」を支払わなければ、船に乗せてもらえないからだ。他の大陸に渡るためには、魔物が跋扈する大海原を越えていかねばならず、数十隻の騎士や魔法使い、冒険者達が乗る船団に守られなければ、到底生きては辿り着けない。

 そのため、この大陸に来た者は、この大陸で人生を終えるしかないのだ。

 それが分かっているからか、どんなに酷い環境でも、村人達はここに住み続けている。


「あら、ウォレスちゃん。コロちゃん。お散歩してるの?」

「うん! おねえちゃん、きょうもきれいねー! (訳:さようです。お姉さん、今日もお美しいですな)」

「まあ! ありがとう。あまり遠くに行っちゃだめよ?」

「はーい!」

「わん!(訳:承知!)」


 村人達とたわいない会話を楽しみながら、吾輩はとある場所を目指していた。

 村はずれにある、古い枯れ井戸である。


 コロの話によると、そこに最近、一匹の魔物が住み着いたのだという。


 ―――吾輩の静かな生活のため、危険の芽は早々に摘むことにする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る