第4話 予定外だったらしいが、苦情は受け付けません

 初めて『魔人転換』を使ったその夜。

 夢の中に例の新米駄天使が現れた。なぜか目が腫れている。


「うう。師匠……」

『どうした。情けない顔をして。叱られたのか?』

 

 夢の中とは言え、吾輩は赤ん坊の姿をしているようだ。喋ることが出来ないので頭に言葉を思い浮かべる。


「うわあ。やっぱり記憶があるんですね?」


 恨めしそうにこちらを見ながら、天使が自分の顔を両手で覆い、声を震わせている。

 そう言えば、別れる際に何か叫んでいたな。記憶がどうのこうの……あえて無視したのだが。


『……何ノ事デショウ』

 

 とりあえず、知らなかったフリをしよう。


「ああ! とぼけた! 師匠をこの世に送る時、本当なら記憶を消さないといけなかったんですよ! でも私、新しい術を作った喜びで舞い上がっていて、忘れちゃったんです。まあ、すぐにバレることもないだろうと高を括っていたのに、今日『魔人転換』使っちゃったでしょ? 生後3日の赤ん坊がえげつない術を使ったんで、上司にばれたんですよぅ! 私の想定では、師匠が大人になってから、あたかも自分で閃いたかのように使える様になるってつもりだったのに」

『……で?』

「で? って、酷い! 今からでも遅くないから、記憶を消させてもらいますよ!」

『断る!』


 冗談ではない。あの術が無ければ、吾輩は今日死んでいた。吾輩だけではなく、村ごと滅びていたかもしれない。今更、苦情など受付られぬ。


「師匠ぅ! 我がまま言わないでくださいよぅ!」


 天使が号泣しているが、泣きたいのはこっちだ。断固拒否である。


『馬鹿者! そなたの失態で吾輩を殺す気か? 吾輩、こんな物騒な村に生まれたいたいけな赤子だぞ!? それにそなた、自分の作った術の成果を見たくはないのか!?』

「え!? 見たいです! すごく見たいです!」


 あ、食い付いた。やはりこの駄天使、チョロい。


『で、あろう? ならば見逃すがよい』

「えええ!? 無理ですよぅ!」


 流石に無理か。仕方ない。妥協案でいくとしよう。


『……では、せめて自分で術を閃いてもおかしくない年齢……そうだな、10歳になるまでは術を使わぬと約束しよう。そなたのことも口外せぬ。記憶を消したことにして、帰れ』

「いいんですか!?」


 吾輩の妥協案に、天使の顔がパアッと華やいだ。

 喜んでいるところ悪いのだが、もちろん条件はある。


『ただし、それまで身を守る術がない。何とかしろ』

「うっ! ……ううう?」


 なぜか心臓の辺りを押えながら、天使がうんうんと唸りながら徘徊し始めた。


『そう言えば、魔物から他のモノへ転換させたやつは、魔力が使えなくなるのか? コロはただの犬に見えたぞ。だとしたら、テイムしても意味がないのだが』

「え? ええっと、私も初めて作った術なのではっきり分かりませんが、全く使えなくなる訳ではないと思います。魔物とそれ以外では魔脈の構造が違うので、魔物だった時と同等の力は無理でしょうけど……あ、でも人間でも強力な魔法を使う人はいるので訓練次第じゃないですか? あとは才能とか……あ、そうだ!」


 パッと天使が顔を上げた。


「じ、じゃあ、今日『魔人転換』したフェンリルを、見た目は普通の犬だけど、魔法が使える様にするのはどうですか?」

『出来るのか、そんなことが!』

「特別措置ですよ! 私のミスのせいだし……。この神酒を飲ませれば、どんな魔物や獣も神獣化して使役できる様になるんです。まあ、子犬の内は大した力は使えないでしょうし、普通の獣の姿じゃ体力的に限界がありますけど」


 そう言いながら、天使が何処からか小瓶を取り出した。その中に、神酒が入っているのだろう。


『そんな凄い酒があるのか。もっとくれ』

「馬鹿言わないでください! これは、一天使につき一つしか貰えないんです! 本来は、天使が地上に用事がある時に、自分の身を守るために使う物なんですからね!?」

 

 大事そうに、天使が小瓶を胸に抱え込んだ。

 天使の話が本当なら、その神酒には万能薬『エリクサー』以上の価値があるだろう。見るからに、天使に戦闘力はない。身を守るために、強い魔物を神獣化させることは、彼女達にとって死活問題のはずだ。


『む、めちゃくちゃ大事なものではないか。ならば、止めておけ』

「え?」

『恩のあるそなたを危険に晒してまで生きようと思わぬ。この身体とは縁が無かったと思い、諦める』


 例え、すぐに死んだとしても、また来世がある。

 流石に、来世も記憶を持ったまま生まれ変われるとは思わないが、これも運命だ。その程度の男だったのだ、吾輩は。


 ふふふ、と吾輩が自嘲すると、天使の顔が見る見る青ざめた。


「こんな……こんな人格者の赤ん坊を見殺しに出来る訳がない……!」


 くわっ! と、何かに目覚めた顔で、天使が羽を広げた。


「師匠! 自分のことなら、心配ご無用です! 私、今からあのフェンリルのところに行ってくるんで、さっきの約束お願いしますよ! じゃあ、良い人生を! おりゃー!」

『お、おい!』 


 止める間もなく、天使は小さな羽をばたつかせて飛び去った。

 落ち着きはないが、悪いやつではない。


 さっきの約束、とは、10歳まで『魔人転換』を使わないというやつだろう。 

 それは残念だが、コロが居るなら何とかなるだろう。


……良い人生を、か。


 天使の言葉を思い出し、苦笑する。


 努力なしで良い人生が送れるとは思ってはいない。

 幸せを得るためには、それだけの努力が必要なのだ。


……くくく。結局、頑張ることになるな。だが、良い。この人生を楽しむとしよう。くはははは。


 深夜のあばら家に、赤ん坊の不気味な笑い声が響いた。


 ◇◇◇◇


 翌日。

 我が家に、一匹の野良犬が姿を現した。

 昨日のこともあり、母上は警戒していたが、コロの毛色が銀から茶色に代わっていたことと、立っていた耳がペタッと折れていたことで別の犬だと思ったらしい。

 父上は動物が好きらしく、尻尾を振って手を舐めてくる子犬にすっかり気を許した様子で、目尻が下がっている。母上も笑顔の父上をみて警戒を解いてくれた。


『魔王様。改めてお仕えいたします』


 子犬の姿には似つかわしくない渋い声で、コロが吾輩の手を舐めた。

 やはり、吾輩の正体はバレていたようだ。


 今の吾輩は無力だ。

 静かな生活のためには、コロの力が不可欠である。


『よろしく頼むぞ、コロよ』

『承知』


 おおう。カッコいい。

 

 コロの体から、ゆらりと魔力の影が立ち上がっている。

 子犬なのに、激渋である。


 とにもかくにも、こうして元部下である神獣コロを家族に向かえ、吾輩の第二の人生が始まった。


 さて。今生も吾輩は全力を尽くす。

……静かで平凡な、ウォレスとしての人生を全うするために!

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