第3話 生後3日目でピンチである

 そんなこんなで、吾輩は生まれ変わった。

 生まれた先は平凡な村の、平凡な家だった。両親は魔法が使える訳でもなく、元騎士とか元冒険者とか元貴族とか、そんなことはなく只の庶民だ。


 うむ。実に理想的だ。……この村が、元魔王領であるということを除けば。


 ここは吾輩が居城にしていた第7大陸の、南端の地区だ。

 天までそびえる魔王城が、北の方角に見えるのだから間違いない。


 なぜ、よりもよって第7大陸なのだ。

 平凡な赤子が生き抜くには、危険すぎる環境だ。


 あの天使、肝心なところで詰めが甘い。

 ちょっと見直そうと思っていたが、やはり駄天使だ。


 現に、あばら家の壁を破って、目の前にフェンリルが立っている。

 見覚えがある。

 コロ、と呼んで可愛がっていた吾輩のペットだ。

 赤ん坊の匂いにつられてやってきたのだろう。獣の魔物にとって、赤子の肉は極上品というからな。


 ……って、吾輩だ、吾輩! 


 コロの鋭い牙が、額をかすめる。

 母上が逃げなければ、うっかり喰われるところであった。何コレ、怖すぎる。

 

 せめて話が出来れば何とかなるのだが、生後3日では言葉が話せない。


 コロが目を赤く光らせながら近づいてくる。


 コロ、落ち着け! よだれを拭け! 母上も落ち着け! コロに物を投げても逆効果だぞ!? 


 吾輩が必死でツッコミを入れていると、コロが大きく口を開いた。母上の悲鳴が聞こえる。


 ……仕方ない。こんな序盤で死ぬわけにはいかない。吾輩の第二の人生は、始まったばかりなのだ。


『魔人転換』


 母上の胸に強く抱かれながら、吾輩は心の中で呪文を唱えた。


「ギャウン!?」


 今の吾輩の魔力で発動するのか不安ではあったが、普通の魔法とは質が違うらしく、ほとんど魔力を消費せずに術が成功したのが分かった。


 目の前のフェンリルがゆっくりと光の粒になり、別の姿へと形を変えていく。

 異様な魔法だった。

 変化の魔法はいくつも見てきたが、これはそれとは別物だ。変化の術では、姿形を変えることはできても、中身まで変えることはできない。どんなに変化しても、魔物は魔物だ。


 しかし今、コロは明らかに違う生き物へと作り変えられている。

 身体の変化に戸惑いを見せながら、フェンリルはモフモフの子犬になった。

 

 恐ろしい魔法だ。

 生物の種としての在り方を、根本的に変えてしまうのだから。


 だが……

 

 可愛い……! 


 短い手足をばたつかせて、必死で自分の体を確認するコロの姿に、思わず、赤子ながらに胸がキュンとなった。「はぎゃあ」と変な声が出た。


 予定では「魔物」から「人」になるはずであったが、どうやら「魔物」から「魔物以外」になるようだ。まあ、コロが人間になっても吾輩が戸惑うがな! 


 とはいえ。

『魔人転換』

 中々便利な術ではないか。


 吾輩の静かな生活のため、有効活用させていただくとしよう。


「きゃうん!」


 吾輩がほくそ笑んでいると、コロの悲鳴が聞こえた。見ると、母上がコロを蹴っている。両手は吾輩を抱いて塞がっているので、足で追い払うしかないのだろう。


「くぅん!」


 コロが助けを求める様な目で吾輩を見ている。

 そう言えば、魔物に魔人転換をした場合、テイム効果が付くのであったな。

 ならば。


『コロ! 母上は興奮しておいでだ。今日はどこかに行け!』


 吾輩が念じると、コロは一瞬驚いたような顔をした。

 吾輩の正体に気が付いたのだろうか。「ワン!」と小さく鳴いた後、コロは何処かへと去っていった。


 ……ふう。行ったか。可哀そうだが、仕方な……うっぷ! 苦しい! 柔らか苦しい!


 急に、柔らかくて温かいものに顔を塞がれた。必死で顔を上げると、涙を流す母上の姿があった。吾輩を抱く腕が震えている。


「良かった……良かった。ウォレス」


 どくん、と吾輩の胸が鳴った。ウォレスというのが、吾輩の新しい名前か。

 あの冴えない父が付けたのだろうか。……悪くないな。


 父は臭いし汚くて好きではないが、母上は柔らかくていい匂いがして……良い。素朴だが、顔立ちも美しい。薄く化粧でもすれば、たちどころに誰もが振り返る美女になるだろう。


 その人が、泣いている。

 何度も何度も、子供の名を呼びながら震えている。


 普通のか弱い女性が、フェンリルを前に恐怖を感じないはずがない。

 そんな当たり前のことに、気が付かなかった。

 

 吾輩は、短い腕を伸ばし、母上の頬に触れた。

 涙に濡れた口元が、僅かに上がる。その笑顔に、吾輩の胸が熱くなった。

 

 安心されよ、母上。吾輩の静かな生活のため、吾輩が守ってさしあげよう。

 父も、母上も。


 だから……どうか泣き止んでくだされ。


 

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