敗北の代償に

※流血表現あり


 熾烈を極めた戦は

 多くの犠牲と共に黒幕を葬った

英雄となった傭兵は数多の引く手を払いのけ

彼女と共に市場へと腰を落ち着けることとした

 前線から身を引くこととなったきっかけが、その命を奪っていたとしたら


 樹海の真ん中に、木がない場所がある。柔らかい若草の生えるその場所は、者で溢れる市場とは異なり、ぽかぽかとした日差しの降り注ぐ貴重な空間であった。

 グゥグゥと若葉色の絨毯に身を横たえるのは、すべすべとした甲殻と鱗に身を包む、山飛竜と呼ばれている竜である。本人は保護色のつもりなのだろうか、影落とすその巨体は、誰の目から見ても隠れ切れていないのは明白である。

 敵などいない。そう言わんばかりに脚をだらりと伸ばし、普段は閉じている翼を思い切り広げている。ゆれる若草がいびきを立てるその鼻腔をくすぐっているが、途切れることなく繰り返されている。

 陽をゆっくりと遮るうすら雲が影を落とす中、ガサガサという音。この静かな空間を囲む茂みの一角が揺れたのだ。のそりと姿を現したのは、遮光板つきの帽子を被る青い四脚類。首を伸ばした彼は、やっぱりここにいた、と長い尻尾を揺らしながら山飛竜に近づく。

「シェーシャー? そろそろ帰らないと夕飯抜かれるよー?」

 飛竜の顔を覗き込み、声をかける。だが穏やかそのものであるその顔に、繰り返し声をかける。

「シェーぇーシャー? おーい、起きろー?」

 耳もとに口を近づけ間延びした呼びかけをもう一度。それもまどろみの彼方には届かないらしい。

「シェーシャ! 僕が飯抜きになるんだよ!」

 ビシッピシッと鞭のような尻尾で地面を打ち始めた青年は苛立ちを滲ませ、その幸せそうな額を爪で小突いた。するとびくりと反応した緑は、隠していた金色の瞳をのぞかせた。だがまだまだ寝足りないのか、半分は閉じたまま、虚ろだ。

「ほんっと、ここ好きだよね。ほら、帰ってご飯食べよ?」

 軽く傷ついた眉間の鱗のことなど気にすることもなく、彼のことを認めたシェーシャはゆっくりと立ち上がって、身震いを一つ。眺めていた青竜は円を描くように歩を進め、来た方に向き直ると歩き出す。

 待ってよ、と翼をたたみ彼を追いかけ始める頃には、この広場に影が落ち始めていた。


 青竜と山飛竜の二人が、樹海にぽつんとある小屋にたどり着く。

帰ったよー、と頭を入口につっこむ青に対し、少し距離を取って腰を下ろす飛竜。もう少し待ちなさい、と中から返事が返ると、青年は中に入り込み、途端にバタバタと騒がしくなる。

「ちょっと、邪魔しないでって!」

 女の声に、まだ時間があるんでしょ、と。

「あんたがそこにいるとシェーシャに持っていけないでしょ! 遺産広げないで!」

 屋内でのやり取りに、興味なさそうなシェーシャ。

「なんだよー、明日納品するものまとめるだけだって。すぐに終わるし」

 尻尾を自分の身体に巻き付け、その先をじっと見つめている。

「だからって遺産の山を崩して広げる!? いっつも言ってるけど、整理くらいしときなさいよ! っていうか捨てなさい! 使わないの捨てなさい!」

 ぺたん、ぺたんと一定の間隔で上下する、先細りの尻尾。

「何言ってるんだよ! 市場で値段が高くなるの待ってるんだよ! あ、足どけろよ、それけっこうレアものなんだからな!」

 なおも繰り広げられる問答が収束したのは、木の葉に隠れて星がちらほらと見え始めた頃だった。皿を手にした橙の立脚類、遅れてリエードが中から出てきて、紅はシェーシャの隣に、青は向かい合う形で地面に身体落ち着けた。

「ごめん、シェーシャ。こいつのせいで遅れちゃった」

 飛竜の目の前に置かれるのはまずまず大きさの生肉の塊。鼻を利かせた彼女はゆっくりと脚で押さえつけたかと思うと、牙を突き立てギリギリと引きちぎる。

「なんだよ、ラクリが遅いのが悪いんだろ」

 ふん、と鼻を鳴らしてから彼も自ら運んできた皿から生肉を食む。炒め物をつまみながらぎろりと睨む彼女のことなど無視して、黙々と食事は続く。


 ピリピリとした食事が終わり、シェーシャを残して他の二人は小屋の中に戻ってしまった。取り残された彼女は再び、体を丸くして寝入ることを選んだ。脚をたたみ、腹這いに。首をぐっと曲げて懐に納め、そこからさらに尻尾で視界を覆い隠し、翼は適度に広げる。

 むしむしとした樹海の中に、規則正しく上下する小山ができた。

 どこかぼんやりとしたその目は、間もなく閉じられていく。

「ギル……」

 歯ぎしりに混ざり、はっきりと、ここにいない者の名を呟いた。

 壁越しに聞いていた二人は視線を一度だけ交わして、小さく口を開く。

「やっぱ、おかしいわよね。あいつの姿がないなんて」

 二階への階段の途中で座っているラクリは眉間に深い皺をつくりながら、右手の爪で腿の鱗をつま弾いていた。パチッ、パチッ、という音は、外には届かない。

「いつもだったら、ギルの方が先に来るよね。シェーシャはどこかに降りてから歩いてくるから、後から来るし」

 階段の下の寝床で伏せるリエードは尻尾をゆっくりと振りながら、寝藁をもてあそんでいる。ガサガサという乾いた音も、やはり室内に籠るばかりだ。

「……あの子から聞き出すのははばかられるし、トレムに聞いてみるのもいいかもね」

 爪弾き止まぬ空間で、考え込む素振りをする同居人に、何言ってるんだよ、とため息が飛んだ。

「トレムはずっと市場で郵送やってるんだよ? ギルたちと会ってたかもしれないけど、足取りは追えないだろ」

 横になって寝返りを打つ青に、それは聞き方の問題だと否定する。

「例えば、山飛竜は親しい人と、急に別行動をしたりするのか、とか」

 寝床から顔を出して、彼女の悩む様を見つめる。

「それはちょっと的外れなんじゃないかなぁ。シェーシャの性格なら、ギルはあとどれくらいで着くかくらい、言いそうだよ。急に僕たちの前に現れてから、寝てばっかり……こんなんじゃ聞こうにも、聞きづらいし」

 じろり。横目の紅が見返した。

「だから、知りたいんでしょうが。明日、トレムと連絡とって、時間作ってもらいましょ。山飛竜について、加えて飛び回る彼ほど、あいつのことを知る判断材料はないわ」

 分かったよ、と寝返りを打ったピシャリと尻尾を一打ち。よいしょと立ち上がって二階へ向かったラクリは、真直ぐ寝床へ赴き、横になる。

 虫のざわめきだけが、樹海に鳴り響く。


 翌朝早く、朝露がきらきらと草木を飾っている時間帯にも関わらず、赤と青は樹海の小屋を出た。つやつやと鱗を濡らす山飛竜に一声かけると、ゆっくりと頭を上げ二人を視界に入れた。

「シェーシャ、今日は市場に行こうと思うんだけど、一緒に行く?」

 まだ瞼の重そうな彼女の鼻先に、リエードが自らのものをこすりつける。山飛竜の挨拶を終え、数秒の沈黙の後、彼女は断った。その後ろでラクリは市場の道へ今にも踏み出さんとしている。

「いい。ここにいる。もしかしたら、今日も広場に行くかもしれないけど」

 見るからに艶を失い、痩せてきているその姿に、眉尻を下げた彼は振り返って、ここに残ることを伝える。分かった、と短く答えた相方は、すたすたと木々を縫って行ってしまう。その背中を軽く見送ったシェーシャは首を傾げた。

「別にいいよ。行こうと思えばいつでも行けるんだし、いつどこかに行っちゃう君と、今はおしゃべりしたいな」

 いいかな、と続ければ、ふるふると身振りで断った。そっか、と微笑んで横になったリエードは考え込む素振りを仰々しく見せながら、ぽつり、ぽつりとあることないことを呟き始めた。

 その話を子守唄に、うつらうつらと、飛竜は頷く。


 決戦のとき。

多くの犠牲者を出しながら、その時を迎える。一人の立脚類の竜と、一人の立脚類のドラゴンが対峙し、互いに叫び合っている。

 体格の大きい竜が尻尾をしならせながら問えば、二回りは小さいドラゴンは答える。高笑いが響いたかと思えば、やめろ、と静止の言葉。まだ続いている戦いを一刻も早く終わらせるために、彼は大将であるドラゴンの前に躍り出たのである。

 二人の間に軌跡が舞った。振るわれる武器がぶつかり、弾かれては閃く。目にも止まらぬ攻防はまた、一瞬で、一撃で終わりを迎えてしまった。

 喉が震える。灼熱が喉を通り抜け、内側から焦がされる。それでも、叫ぶしかなった。

 ぐらりと崩れ落ちたのは、大きい方の竜だった。

 ドラゴンの握る剣が、竜の胸部を貫き、背面に切っ先をさらしている。

 ぱたぱたとしたたる液体が地面に斑点を作ると、目を見張る竜は、じっと彼を見下ろした。

 知ってか知らずか、ドラゴンはためらいなく剣を握る手に力を込める。

 飛び散る飛沫に、私はなにができるわけでもなかった。

 倒れた彼の名を呼ぶと、あの子は不気味に笑いながら立ち去ってしまう。

 嫌だ、嫌だと繰り返しながら近づけば、紅い海に横たわる彼は目を閉じていて。

 何度も何度も、私は魔力の全てを彼に捧げながら、仲間と共にその場を後にした。


 すっかり日も暮れてしまった頃、ラクリはようやく樹海の小屋に戻ってきた。穏やかに寝息を立てているシェーシャを、伏せながら眺めているリエードにただいま、と声をかける。

「おかえりぃ。トレムの話、どうだった?」

 袖口から二つの包みを取り出し手渡すとともに、彼の隣に座り込む。

「まず、山飛竜には遺品とかを持つ文化はない。死んだら、乖離を起こすまでは傍にいることも多いらしいわ」

 両前脚で押さえつけながら牙で紙の包装を破く青年は、眉間にしわを刻む。一方、ラクリは紙を裂き、ゴミを手のひらで丸めながらかぶりつく。

「いや、そこかよ。もっとギルの行方とか直接聞けばいいのに」

 今日の夕飯は脂身の少ない肉に衣をつけて揚げたもの。リエードは一口で半分まで減らしてしまう。

「聞いたわよ。けど、やっぱり知らなかった。郵送員仲間にも聞いてくれたけど、誰も見たことはなかったって」

 対して、その半分を咀嚼する紅の視線が丸い小山に向けられる。

「たまたま見かけなかったのはあるんだろうね。それでもトレム以外の山飛竜を見かけなかったか、って聞けば、伝わるだろうしねぇ」

 脚の平をこすり合わせるようにして空になった包装紙をクシャクシャと丸め、火を起こしてよ、と続ける。

「そう。トレムのおかげで山飛竜を見たことがないっていうやつが少ないのが、幸いかもね」

 魔法が唱えられ、ぽっと種火が中空に灯ったかと思うと、小屋の前に残っていた焚火の残骸に移動する。枝を入れなさい、と静かに呟くと、青の尻尾が後方にあった適当なものを運んでくる。

「代わりに、最近、戦争があったって聞いた。一時期、武器の流通が悪くなった時、あったでしょ? あのとき」

 火が宿主を得て、体表を舐め始める。あったねぇ、と大きくなるそこに紙を放り込んだ青は、腹這いになってくつろぐ。

「……私は知らなかったけどね。それで、戦争はドラゴンの国と、その隣国の小さな国。決着は後者の勝利」

 続けて夕食を平らげ、ゴミを燃料にした赤。

「それと、シェーシャがやってきた時期と、そこまでの距離を考えると、この子とあいつが、そこにいたとしても不思議じゃないわ」

 パチパチと背を伸ばす火は、パキンと支えを失って崩れ落ちた。

「……そっか。ギルは傭兵だったから、徴兵されたのかもね。残念だよ」

 うるむ目を細め、じっと彼女を眺めた。

「そうね。折角、私たちを頼りにしてくれたんだから、応えてあげないとね」

 笑みもない紅色の眼差しもまた焚火越しに、影濃く寝息を立てる彼女を見つめていた。


 暗い洞窟の奥深く。

 寒い。けれど毛布の下で、動くわけにはいかなくて、ただ縮こまることしかできない。

 我慢して、我慢して、もっと頑張っているギルのために、じっとする。

 彼はひたすら、寝息を立てながら、密着した身体からトクントクンと生きていることを証明している。

 傷は無理やり塞がれ、糸の隙間は赤くにじんでいる。

 頑張って。お願いだから。一人にしないでよ。

 何度もそう願っても、彼はずっと眠ったままだ。

 待ってるから。私は、傍にいるから。

 一緒に、また、ギルと……。


 はっと目を覚ましたシェーシャは地面に爪跡を残しながら体制を整える。そして一人、小屋の前で天に首を伸ばし、軽く翼を広げた。樹海特有のじめじめとした空気をかきまぜて、伸びをする。

「……」

 ゆっくりと仰いだその先にあるのは、満天とはいかない樹海の空。

 ちょうど、一つの光がまたたいた。

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