親愛たる君と
世界の中心へと誘われたのは立脚類の紅竜
故郷のしきたりに嫌気がさし
魔法という魅力にとりつかれ
友のもとを去った彼女が
救いの手を求められていたと、したら
もうもうと、黒い煙が我先にと天へ立ち上っていた。パチパチと鳴る燃え尽きた木材が、時折自らを支えきれずに崩れてしまう。
巨大な建物だったものの周囲を満たす、焦げくさい臭い。熱気の漂う場所にたたずみ、見るも無残な姿を見上げるのは、どこか冷たい眼差しの紅竜と、わずかに笑みを浮かべながら目じりを下げている人間。
徐々に空が明るくなってきても、二人は立ち尽くしたままだった。
やがて異変に気付いたらしい村人たちが駆け回り、鎮火にあたる。
人間が陣もなしに魔法の水を作り出し、獣が村中に火事を告げ、多くの紅竜が森から水を運ぶ。早く逃げろ、と鋭く叫んだ一人の紅竜は、ぼうとしている彼女たちを強引に、鎮火の邪魔にならない場所に移動させた。
完全な鎮火に至ったのは、陽も高くなった頃であった。
現場にいた二人は、もはや村の中で一番広い建物に通され、椅子に座らされる。連れてきた紅竜は一人だけの先客に一言述べてから出ていった。
涼しい顔を続けている紅竜の一方で、うつむき加減にじっとしている人間。彼女たちに向かい合い、先に座っていた老人が口を開いた。
「アリア、それと、おぬしは……」
ラクリよ、と短く。
「ラクリと、アリア。村の財産である図書館に火を放ったのは、おまえたちで間違いないか」
がらがらとした問いに答えたのは人間の女性。
「はい、私が、やりました」
うん、と大きく頷く人間の長はどうしてそんなことをしたのか、といたって穏やかに尋ねる。ラクリは横目にアリアの様子をうかがいながら、口を閉ざす。
「全部、私一人でやりました。ラクリは、後から来て、一緒にいてくれたんです」
吹けば消えてしまうだろう言葉はなお続く。
「全部、父が悪いんです……ずっと、ずっと図書館にいて……苦しんでる母のことなんてどうでもいいだなんて……」
老人から漏れる深くため息に、何よ、と低くラクリは汚れた牙をちらつかせながら睨む。
「いや、うむ……ディンが、メナを置いて図書館に籠りきりとなっていたことは知っておる。だが、アリア、メナの病が何か、おぬしは知っておるのか?」
首を横に振り、重症化した風邪だって聞いた、と。
「……ディンはおまえには教えとらんかったか」
赤い目が細められ、奇病、と漏れる。
「おまえに余計な心配をさせまいと、夫婦揃ってそう言うておったか」
やれやれ、と老人はテーブルの上にあった水筒から一口仰ぐ。
「旅の者に聞こうとも、市場へ便りを出しても、治療法が分からん。かといって、いつ急変するか分からん身を市場に持っていくことも難しい……」
ゆるゆると長い髪に隠れていた面が上がる。
「だから、ディンは手がかりを探しとった。館長としてのありったけの知識を利用して、遺産を取り寄せ、新著も取り寄せた。しかし……」
大きく見開かれた瞳が、大きく揺れていた。じっと村長を見つめ、呆然と口をあけ放つ。隣に座る竜はただ、目だけを動かし、黙して二人を交互に見つめていた。
ごめんなさい、と膝を抱えるアリアは呟いた。
村長との対話が終わった後、帰りたくないと呟いた彼女に、うちに来て、と竜は誘った。村ではなく森へと立ち入り、もくもくと歩いた。切り株の上に数冊の本があるだけのラクリの寝床に到着すると、人間の彼女は冷たい地面に座り込んで、じっと動かなくなってしまった。
しんと静まり返る暗い森の中で、ごめんなさい、と再びくぐもった言葉が流れた。
「……それよりも、いいの? あんた、一人でやったってことにして、さ」
その罪の一切を負うと、村長に宣言した少女。無論、鎮火に手を貸そうと動かなかったラクリにも罰を課されたが、友好関係を築いているとはいえ村の者ではない以上、不問と言わないまでも軽いものだった。
「いいよ……私が、勘違いしてたのが、悪いんだし……」
溢れる嗚咽。ぱたぱたと地面が濡れた。
静かな闇の満ちる心地よい森の中で竜は静かに、すっかり小さくなってしまった姿を眺めている。いつまでも続くかと思われた涙はやがて、ゆっくりとした呼吸にかわる。それでも面は上げず、長い髪で顔を隠しながら、縮こまる。
切り株の隣の寝床に脚を投げ出して座り込み、その姿を眺めていた紅竜は口を開く。
「……もし、私がさ、ここから出ていくって言ったら、あんたはどうする?」
不意の質問に、ようやく面が上がる。涙の痕のついた、虚を突かれたような顔。
「アレンも、もう私なんて要らないし、また卵番なんて嫌だから、逃げようと思うの。もしよければ、アンタも行かない? 世界樹にさ」
にかっと、牙をのぞかせ、恐ろしさをにじませる竜独特の笑みが浮かぶ。
「行こうよ。もしかしたら、市場なら、あんたなら、治療法を見つけれるかもしれないし、誰も私たちのことを知らない。だから、その罪悪感を持つ必要も、なくなるんだよ」
二人の視線が交わった。数秒の後、しかしその首は横に振られた。
「ううん。私は、行かない。私が悪いから。だから償ってからなら、一緒に行きたい」
再び俯く視線に、くそマジメね、とラクリは睨む。それしか取り柄ないから、とアリア。
「じゃあ、明後日、私は行くから。また会えたら、いいわね」
静かな問いかけに、少女は立ち上がって竜の隣に座る。どうしたの、と尋ねられれば、一緒に寝よ、と今日一番の笑みが浮かぶ。
「ああ、そうね。風邪をひかないように、ね」
森の夜は蒸し暑く、寝苦しいものだが、森の民である彼女らには関係のないことだった。
村の財である建物への放火を通報しなかった罰として、紅竜に課された罪はこの村の者との断交である。
実際、村の者たちと、紅竜たちは友好関係を結んでからの歴史が浅い。こういった事件を除けば、互いに知と労力をやりとりでき、件の図書館も竜たちの協力があってこそ建立できたのだった。その実績を個人の行動のみで破棄するわけにはいかない、という長どうしの判断であった。
一方のアリアは文化財の完全な損壊をしたとして、重い罰を課された。とはいっても親の事情も踏まえ、永遠と言わないまでも、村の内にこもり、発展に貢献すること、という曖昧なものだった。
ラクリはまとめた荷物を担ぎながら、村の出口でたたずんでいた。というのも、出立しようとしたとき、別の紅竜が現れ、彼女を呼び止めたのだ。
「なんで行くんだ、ラクリ」
二回りは大きい体格を持つ男の紅竜が叫ぶ。火事の際、彼女を避難させた者だった。
「なんであんたに言わないといけないのよ。関係ないじゃない」
ジーダ、と続けた彼女の視線は相変わらずだ。まるで敵を見据えるようだ。
「おまえがあの人間に従う理由なんて、ないだろう! ずっとここにいればいい! 俺がおまえを守ってやるし、子供だっているだろう! なんで……」
早朝の朝に響く青年の言葉。さらに続けられる説得も背で受け止める
「……ほんっと、むかつくのよね」
牙を剥き、ラクリの腹から低い唸りが溢れる。
「迷惑なんだって! 私はあんたなんて大嫌いだし、アレンもいらない! こんなとこに、いたくないの!」
振り向きざまに彼の喉に爪を突き付ける。その鋭い眼光にびくりとたじろぐジーダだが、次期紅竜の長と噂されることだけはあるのか、首筋に当てられた爪をそのままに見つめ返す。
「ほんっと、馬鹿みたいに一途よね。さっさと諦めて、別の女のとこに行けばいいのに」
ラクリはそのまま爪で薙ぎ払う。薄い傷がジーダの首の鱗に描かれた。踵を返し、じゃあね、と言い残して歩き出した。青年はただ小さくなっていく背中を見つめるだけだった。
ただ一人、尻尾を左右に振りながらのし、のしと歩き続けた紅竜。何度も、馬鹿みたい、こっちから願い下げだっての、と悪態をついていたが、そう長くは続かない。
村の者が歩き続け、作り出した道。彼女の歩き慣れた湿った土と草とは違い、じゃりじゃりと鱗を傷つけていく。途中から脇の草原に移って、柔らかな感触と共に鼻歌が奏でられる。不規則なリズムは歩調を乱し、果てにはぶらぶらとしていた両腕も乱れ始めた。
「どんな場所なんだろ。世界樹。ふふ」
誰に聞かれるでもない呟きに答えるように、薫風が香る。ふと立ち止まり、広がる草原を望む。一人であることを楽しんでいるかのように、にんまりと笑っている。
「……って! 待って!」
いつまで経っても動こうとしなかったラクリはぱちくりと声の方向、歩いてきた道の方を振り返った。大きく手を振りながら、駆けてくる人間――アリアだ。
「……出たら、ダメなんじゃないの」
届くことはないだろう呟きと共に、背後へ向き直る。少しすれば、その勢いのままに両手を広げ、顔をくしゃくしゃにして、赤の体躯に飛び込んだ。そして腕をまわし、ぎゅうと力を込める。それをしっかりと受け止め、ラクリも爪で優しく抱き返す。
「どうしたのよ。村を出たら、いけないんじゃなかったの」
呼吸をどうにか整えたアリアは行かないで、と。
「……何よ、急に。あんたは市場に、行かないんでしょ?」
やだよ。顔を激しく汚し。鱗に触れる。何度も口を開きかけるが、ラクリは一度深呼吸をしてから、口にする。
「あんたって、変わりもんよね。私なんかに関わったからこうなったのに、それでも、頼ってくれるんだ」
穏やかな笑みをたたえつつ、乱れた長い髪に爪を触れた。
「どうしたの、昨日今日で、何かあったの?」
ただ泣きつく。乱れる。答えはない。誰も現れない道の真ん中で、二人は立ち尽くすばかりだ。
「行か、ないで……行かないでよ……!」
同じ言葉が、嗚咽と共に溢れる。分かったから。鮮やかな紅はそう呟いて、ぽんぽんと少女の頭を叩く。一瞬だけ、地平線へと続く方を見やる。だがすがりつくアリアを支えながら、二度と振り返ることはなかった。
やっとね、と軽く仰ぐ、何も身に着けていない紅竜は呟いた。うん、と同意するのは、隣で涙を溜めている人間の女性だ。
「とりあえず、これであんたはお役ごめんなの? それとも、まだ何かする?」
二人の目の前には、石材が積み上げられた建物があった。
「……ラクリ、市場に行かない?」
火の手が上がったとしても、そう簡単に燃え広がらないような建築に倣ったもの。
「父さんが集められなかった本、探すの」
その強い眼差しに、大歓迎よ、とにやりとする。
「それでいいわよね、族長? 図書館しかとりえのないここの本を探しに行くために、市場に行ったってさ」
二人の背後で、頷く老人と、口を強く結んでいる紅竜、ジーダ。
「建築中に取り寄せた本のリストは用意しておる。ディンにはしばらく、調達はやめさせよう。存分に、探してきなさい」
じゃあ明日にでも。うん。
口約束はすぐに、守るために二人を突き動かすのだった。取り残されたジーダは尻尾をぴしりとしならせ、うなる。
「ラクリは、おぬしの望むようなやつではないことを、いいかげん理解してはどうかな」
うるさい。短い答えの後にも、尻尾は不満げに土ぼこりを上げ続けた。
市場を歩く二人の女性はいっぱいの荷物を抱えながら道を歩いていた。一方は赤さす橙と黄の鱗に身を包む立脚類の竜、もう一方は黒い長髪を揺らす金の目の人間。次はどこ行こうかしら、と互いに提案し合っていた。
だが市場に入ってから歩き続けていた二人は、ほぼ同時に休憩を取ろうということを提案していた。あはは、と笑い合い、手近な喫茶店に入り、通りに面する席を案内される。そして注文を済ませ、持ってきていた紙をテーブルに置き、お互いに眺めた。
ここらへんのジャンル見てないよね。これはあと一冊あってもいいかもしれないわ。地方の医療系のやつ探してみる。私、魔法の本欲しいわ。
そうこうしているうちに、注文の品が到着する。興奮気味に目を輝かせる人間に、どんな味がするのかしらね、と微笑む紅竜。ふと、赤い目があらぬ方へと向いた。
店の向かい、錆びついた箱の並ぶ店。その隣で、ボールのように遺産をころころと転がしている、青い竜の姿があった。
帽子をかぶり、何かをこすりつけている。まるで玉を磨くように。その竜は彼女たちのことなど眼中にないらしく、一心不乱に遺産を磨く。
興味のないらしい紅は目を細め、食器を手に取った。既に食べ始めている友に、おいしい、と問いかけた。
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