第13話
「きゃあああ!佐倉さん!」
「ううっ…」
「ハハハ、ざまぁみろ佐倉!」
誰だ?
声の主が誰かもわからない。視界がはっきりしない。力が入らず、立ち上がることができない。
「…いてぇ」
この痛みは拳や蹴りの比ではない。何か硬い、石のようなもので思い切り頭を殴られたような感じだ。
「佐倉さん!佐倉さん!しっかりしてください!」
声が聞こえる、さっきよりも少しだけはっきりと…
「お前は大人しく来い!」
「きゃあ!や、やめてください!離して!」
この声は、助けを求めている…彼女が、助けを…!
「姫川さん!」
俺は力を振り絞って立ち上がろうとした。だが、
ガクッ…
足に力が入らない。膝がいうことを聞かない。体を支えることができない。
「ぐぅ…」
「はっ!もう立ち上がることもできないか!」
声の主は、藤原だった。その手には血のついた角材が握られている。俺はこいつにこれで殴られたらしい…
「姫川さんを、話せ…」
「うるせぇ!さっきから調子に乗りやがってクソガキが!俺たちを舐めるなって言っただろうが!」
バキッ!
藤原の蹴りが、俺の顔面をとらえ、俺はまた地面に倒れ込んだ。
「がはぁ!」
「彼女は諦めるんだな!」
そう言った藤原の声と足音が遠ざかっていく。このままでは彼女がまた連れて行かれてしまう。彼女が再び地獄に戻ってしまう。
それだけは、させない!
「待てぇ!」
その思いが、俺の足を、腕を、体を、心を、押してくれた気がした。足に力が入り、俺はふらふらになりながら、立ち上がる。
「彼女を、離せ!」
「まだ、立つのか、しつこい野郎だな」
「お前、めんどくさいんだよ!」
ボカッ!
今度は山崎に殴られた。体重の乗った重いパンチだ。
「…っ!にゃろう…」
「散々偉そうに語りやがって!何が恋愛は残酷だ、何が特別な人だ!そんなものは僕には関係ない!」
こいつには、俺の声は何も届いていなかった。ただ、こいつは時間稼ぎをしていただけだったのだ。
「こうなったら、力尽くでも彼女を僕のものにしてやる!彼女の体に、僕のものだという印をつけてやる!」
山崎が何をしようとしているかは俺にはすぐにわかった。俺こいつと同学年の男だから…
でも、だからこそ、本気で止めなければならない。
「させるかあァァァァァ!」
ゴスッ!
立ち上がると同時に、俺は頭を突き出し、山崎の顎をめがけて頭突きを喰らわした。俺は石頭ではないが、顎にアッパーを喰らえば、ひとたまりもないだろう。
「がぁぁぁぁ!いてぇー!」
「このガキがー!」
藤原が向かってくる。俺は最後の手段に出ることを決めた。
そばにあったライトをつかみ、
「これでもくらいやがれぇ!」
藤原に向かって思いっきり投げつけた。
「無駄だ!そんなものが当たると思うな!」
藤原はひらりとライトをかわす。
ガシャーン!
という音を立てて、ライトが地面に叩きつけられる。
「残念だったな!…………何?」
「しまった!」
奴らが次々に動揺する。ライトが叩きつけられたことで、この空間の唯一の照明が、なくなったのだ。しかも今は真夜中だ。外の光もほぼ入ってくることはない。
俺の狙いは最初からこれだったのだ。だから、俺はこっちに走ってくる藤原ではなく、彼女の位置だけを見ていた。
今なら、彼女の位置がわかる!
今しかない、俺は真っ暗闇の中を走り抜け、彼女の手を掴んだ。
「えっ!」
俺は走るのをやめず、できるだけ彼らから離れる。
「しまっ…細野!入り口をふさげ!今すぐにだ!」
「おお!わかってるぜ!」
このまま下に降りたら細野に捕まる…
そんなことはわかっている。
山崎と話し、藤原が復活した時、細野の姿はなかった。それはつまり、彼女を連れている俺にとっての唯一の逃げ場である、入り口にいると考えるのが必然だ。
「こっちです!」
俺は彼女と共に、階段の裏に身を隠した。
「ここから、逃げられますかね?」
「いや、無理です」
きっぱりと答えた。この状況、電気が消えているとはいえ、入り口も後ろも逃げ場はない。俺一人なら窓から飛び降りることもできるかもしれないが、おそらく、怪我もしているであろう彼女を連れてでは、そんなことができるはずがない。
「えっ、無理って」
「はい、だから、今、ここで逃げ切るのは無理です」
「そ、そんな…」
彼女の顔がどんどん沈んでいく。暗くてよく見えないが、俺にはそう彼女の気持ちが感じられた。
「でも、大丈夫です」
俺は笑顔で彼女を見た。真っ暗だったので彼女には見えていないと思いながらも、俺は全力で笑った。
「これを、もっていてください」
俺はカバンから、小型の発信器を取り出した。
「あの、これは…?」
「小型の発信器です。これなら、離れていても位置がわかります」
「そ、それって、まさか」
彼女は、この時、俺の考えを理解したのだろう。
「はい、そのまさかです。俺は今から、この倉庫から飛び降ります。そして、
今度は、知り合いの警官と共に、今度こそ、あいつらを捕まえます」
「飛び降りるって、そんな、危険すぎますよ!」
「姫川さん…」
彼女は、もう一度彼らに捕まるとわかっているはずだ。俺はあえて口にしなかったが、今の言葉だけで、そのことは十分に理解できる。
それなのに、この人は自分の心配ではなく、俺の心配をしてくれていた。
一瞬でも彼女を再び地獄へ送ってしまうのは、完全に俺の責任なのに。俺があまりに無鉄砲に行動したから、親父や、上田さんの言葉を無視したから、こうなってしまったのに。
「こうなったのは俺の責任なんです。ちゃんと計画を立てていれば、こんなことにはならなかった。二度とあなたを苦しめることなく、救うことができたんです。俺の行動は、ただ自分勝手で、結果的には、あなたをさらに苦しめることになった、こんなの、あいつらと同類なんですよ…」
「何言ってるんですか!」
その声は、俺以外の誰にも届かない、小さな声だったが、俺の体と心を貫くような、そんな声だった。
「あなたが、あいつらと同類?そんなこと、言わないでください!あなたは私のために、自分を犠牲にしてまで私を助けてくれた。駆けつけてくれた。助けに来てくれたじゃないですか!」
初めて感じた彼女の怒りは、なぜかとても優しい気がした。
「私、さっきも言いましたけど、もう助からないって思ってたんです。このまま大切なものも全部奪われて、このまま死ぬのかなって。あなたが助けに来てくれた時も、こんな状況だから、ここから逃げ出すなんて、絶対無理だって思ってたんです」
「そう、だったんですか…」
「でも、絶対助けるって言ってくれて、大丈夫だって言ってくれて、私のために、彼らと戦ってくれて、もしかしたらこの人ならって思ったんです。だから、大丈夫です。私はあなたを、信じます」
「ありがとう…ございます…」
ダッセェな…
俺は何度、この人の言葉に助けられるのだろう…。助けに来たのは俺のはずなのに、この人の言葉で助けられる…、ダサすぎるぜ、俺…
だが、俺も男だ。約束は必ず守る、嘘はつかない。
「それで、私はどうすればいいんですか?」
「はい、まず、とても言いにくいんですが、あいつらにもう一度、もう一度だけ捕まってもらいます」
最低だ。なんて最低なことを言っているんだ俺は…
「それは、わかっています。それで、どうすればいいんでしょう?」
なんて強い人なんだこの人は…
普通の人なら、もう一度捕まるなんて聞いたら、体が拒否反応を起こしたって不思議じゃない。でもこの人は、こんな時でも冷静だ。だから、二週間も耐えられたのかもしれない。
「はい、まず、その発信器だけは、あいつらに見つからないようにしてください。それが見つかって壊されたりしたら、あなたを見つけることが、できなくなってしまうので」
「そうですよね、わかりました」
「後、自分を、守ってください」
「えっ?」
「こんなこと、もう一度捕まれなんて言ってる俺がいうことじゃないんですけど、できるだけ、自分を守ってください。俺は必ず助けに行きます。だからそれまでは、他のことは考えず、とにかく、自分を守ることだけをを考えてください。お願いします」
嘘だ。これは俺の自分勝手な願いだ。彼女のためじゃなく、俺のため。
俺はこの人に一目惚れして、ここに来た。
そして、今わかった。
俺は、この人のことが好きだ。
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