第9話 君の名を呼ぶ


「先輩、一緒に帰りましょう」


 部活が終わった最終下校時刻十分前。いつもの調子で佐藤は隣に立ちにこりと笑う。

 今日も今日とて、自分は後輩の佐藤と駅までの帰り道を共にしていた。

 いつもなら学校を出てから駅に着くまで議題を決めての大喜利大会が始まるのだが、今日は少し違った。

 玄関から外に出ていこうとしたときに、誰かに呼び止められたのだ。


「ウシオくん」


 その声で振り返る。振り返った先には、隣の佐藤よりも小柄に見える女の子がこちらへと駆けてくるのが見えた。


酢橘すだちさん」と隣の佐藤が口にする。

 どうやら佐藤の知り合いらしい。ショートボブの髪を揺らしたその子は、こちらまで駆け寄ってくると目の前でピタリと立ち止まった。


「ごめん、話し中に……でもこれ、机の上に置いてあったから……」


 若干肩を上下させながら、酢橘さんという女の子は佐藤に何かのプリントを差し出す。

 わざわざ届けてくれたのだから、よほど大事なプリントなのだろう。

 彼女がこちらに向いて一度会釈をしたので、会釈し返しておいた。


 そして、プリントを差し出された佐藤に視線を向ける。


「……わざわざ、ありがとう」

 きっと笑顔で応対するのだろう、という予想に反して、いつものあどけない笑みではなく、少し気まずそうな顔をして受け取って礼を述べていた。


「じゃあよろしくね」と彼女は再び背中を向けて走っていく。

 彼女が立ち去ってたっぷり数十秒経ってから、佐藤が気まずそうにこちらに顔を向いた。


「……変なところ見せちゃいましたね」

「クラスメイトか?」

「……そうです。酢橘かおるさん。中学は違いましたけど」

「酢橘って、柑橘系の?」

「そうですね。しかもカオルって匂いが香るのカオルですよ。凄いですよね」


 しかしその後の佐藤は、どこか歯切れが悪そうにしていた。


「……態度が悪いと思いましたか?」

「……いや、別に」


 確かに、普段部活で見る佐藤よりは落ち着いていた印象はあるけれど、そこまで気に留めることではないように思えた。それを聞いた佐藤がホッとした表情を浮かべる。


「……そうですか。それならよかったです」

 それきり佐藤は黙り込んでしまう。

 それからどれだけの時間が経っただろう。

 沈黙に耐えられなくて口を開いたのは自分の方だった。


「……さっき、ウシオって聞いた時」

「はい」

「自分が呼ばれたと思って、振り返ったら知らない顔だったから少し驚いた」

「……ふふ、そうですね。俺と先輩、名前の読み同じですもんね」


 先ほどまでの気まずそうな表情から一転して、佐藤が楽しそうな表情を浮かべる。


「普段、部活でもみんな佐藤のことは苗字で呼ぶだろう? だからちょっと忘れていた。すまん」

「別にいいですよ。……俺のクラス、佐藤が二人いるんです。だからみんな、俺ともう一人の佐藤のことは、名前かあだ名呼びなんです。むしろ部活で俺以外の佐藤がいないのが特殊なんですって」


 まあ、確かにと納得する。さすが苗字ランキング一位の佐藤さんだ。自分の苗字ももの珍しいというないわけではないが、同じクラスにそう何人もいないだろうと思う。


「ねえ、うしお先輩」

 ふいに佐藤がこちらの目を見て口を開く。


「……なんだよ、佐藤うしお

「なんで俺だけフルネームなんですか」

「なんとなく、かな」

「なんですかそれ」


 一度目を伏せた佐藤が、こちらの目をもう一度見てにこりと笑う。


「……やっぱり自分の名前に先輩をつけるの、むずがゆいですね。本当は名前でも呼んでみたいし呼ばれたいんですけど」

「……ああ、クラスでは名前呼びなんだっけ。そっちの方が確かに佐藤の方は慣れているよな」


「…………そういうことでいいです」


 そう言って気まずそうに笑った佐藤に頷いて、こちらも同じように笑っておいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る