第4話 四年に一度の霊の噂

「先輩、『四年に一度だけこの学校に現れる霊』の噂、知ってますか」


 俺が問うと、先輩はたっぷり十秒ほど俺の言葉を咀嚼してから、呆れ声で呟く。


「……なんだその限定的な霊は」

 そのあまりの無愛想さに笑いながら、俺は再び口を開く。

「俺に言われても。俺だって人から聞いたんですし」


 そして俺は、その噂の概要について先輩に語った。


「四年に一度の今日、つまりうるう年にだけ現れる二月二十九日の今日から、次の日の三月一日になるまでの一日だけ、この学校のどこかに霊が現れて、見つけた人の願いを叶えてくれると言われているんです」


「――なるほど、そういう噂だったから、わざわざ休日の学校にこうして呼び出したのか」


 ベージュのコートのボタンをきっちりと締めても尚寒そうにしている先輩が、ジトっとした目を俺に向ける。


「そうです。先輩が今日空いていて助かりました」

「別に毎日暇というわけではないが……」


 すっと先輩が俺から目をそらす。暇人だと思われて心外だ、とでも言いたげな表情に、俺は少し驚きながらも、普段は表情がほとんど変わらない先輩の珍しい表情の変化を見られて得した気分になった。


「そんなこと言っていないじゃないですか。俺は先輩とこの噂を究明したかったんです。休日だから閉まるのも早いので早く見ちゃいましょう。普段の大喜利の出張版ですよ」


 普段の俺と先輩は、部活が終わって駅に向かうまでの道のりの間、色んな議題を立ててはいかにそれに対していかに面白い答えを出せるか、大喜利のようなことを行っている。今日は部活のない休日だから、出張版とも言えるだろう。


 出張版と聞いて、先輩も一応は納得したようだった。

 納得した様子の先輩に対して、教室の扉の一つに手をかけながら、俺は笑みを向けた。



 一階の東側から西側までを一通り調べた俺たちは、ひとまずといった形でほっと一息つく。一階には職員室や保健室などもあったが、さすがに職員室やわざわざ鍵を取りに行って確認しなければならないような教室にはいないだろうという俺が言ったので、空いている教室のみ調べていった。

 学校に来た際、体育館の方ではどこかの部活が活動していたのか、誰かの声が聞こえていた。しかし校内の方はひと気が無くしんと静まり返っていて、俺たちが調べ回る間にも誰ともすれ違わなかった。まだ日の光が差す校舎の廊下で、俺と先輩の靴音だけが響いているのも、なんだか不思議だと思いながら、俺は次に行こうと二階へと続く階段を上っていく。その途中で、先輩は俺に尋ねた。


「佐藤、具体的にその霊がどの階に現れるとかはないのか」


 正面を見据えたまま、先輩はそう俺に問いかけた。確かにこのペースじゃ、四階まで調べ終わるまでに帰れと言われてしまうかもしれない。でもなあと、少し考えてから、俺は先輩に答えを返した。


「……いえ。何階とかも聞いてないですし、噂の中でも『この学校のどこか』としか言われていないです。おそらくですが、願いを叶えてくれる霊ということなので、どこかと具体的な場所を決めてしまうと、人が殺到して大変なことになるので、学校のどこかとあえてぼかしているんじゃないでしょうかね。今年はたまたま休日でしたけど、平日の場合だってあるでしょうから」


 俺が話している間も、先輩はこちらの方も見ず、相槌も打たないので、聞いているのかいないのかよく分からないなと思った。


「……じゃあ、その霊に会うためには、学校中を探し回るしかないということになるのか」


「そういうことになりますね」


「でも、さっき職員室や鍵のかかる教室にはいないと言ったじゃないか。そこは元々決まっていたのか?」


 俺が一足先に階段を登り切って二階に足をつけた瞬間、先輩のやけにはっきりとした声が耳に入ってきた。


「…………いえ」

 痛いところをつくなあと、俺は心の中で苦笑する。

 先輩はどのタイミングで、この噂に対して引っ掛かりを覚えていたのだろうか。



 どの階に現れるかは決まっていない。しかし、職員室などにはいないことは分かっている。何故か? 。わざわざ鍵を借りる手間が省け、その分探すのが楽になるからだ。


 では、か?

 その答えを、先輩はもう気付いていたのだろう。



「……佐藤、言霊って知ってるか。軽はずみで噂なんて口にしない方がいいぞ。現実に起こるかもしれないからな」



 俺に次いで階段を登り切った先輩は、正面を見たまま、俺に対して淡々と告げる。


「……何のことですか?」

 俺がとぼけたように問うと、先輩がおそらくそこで初めて、俺の方に顔を向けた。





「……なんだ、分かってたんですね」

 僕が肩をすくめると、先輩が口の端だけで笑ってくれた。


「自白が早くて助かるよ」

「バレているのにこれ以上粘っても無駄ですから」


 開き直った俺は、先輩によく「あざとい」と言われる笑顔を向ける。


「どうです? 面白かったですか?」

「……着眼点はいいと思うよ。でも、やっぱり四年に一度というのは限定的だと思う。生み出された霊の気持ちにもなってみろよ」


「……そうですね。確かに少し、寂しいですものね」


 ついさっき思い付いたものとはいえ、結構いい線行っていたと思ったんだけど。


「……なあ、佐藤。今から設定を作り替えないか。そうすれば、もっと信憑性も生まれるだろう」

「別に俺、この学校の七不思議を作ろうと思っていたわけじゃないですよ」

「じゃあどういう意図があったんだ?」


 間髪入れずにやって来た先輩の問いに、俺は少し照れ臭くなりながら口にする。


「――だから、最初に言ったじゃないですか。俺は先輩とこの噂を究明したかったんです」


 それ以上でも、それ以下でもなかった。俺と先輩が同じ学校に通っている間にうるう年は一度しか訪れない。そんな貴重な一日を、先輩と一緒に何かしていたかったのだ。先輩の方は、そこまで考えて俺の誘いに乗って来てないとは思っていたけれど。


「――つまり、それが佐藤の願いだったということか」

 先輩がしみじみと呟く。


「願いなんて大層なものじゃないですけどね。でも、画策してよかったです。こんなに楽しい休日を過ごせたのなら」

「……そうか」


 照れ臭そうに先輩が頭をかく。やっぱり珍しいなと思いながら、俺は先輩の顔をじっと見つめていた。


「さっきも言ったが、着眼点はいいと思うよ。もっと詳しい内容にすれば、もう少し信憑性がでるよ」ともう一度先輩が言った。


「……やっぱり階数くらいは考えた方がいいですかね」

 それならと、俺ももう一度自分が考えた噂について考えてみた。先輩も「その方が楽なんじゃないかな」と、今俺たちのいる二階の廊下の端を見ながら呟いた。


「そうですね。じゃあ三階にしましょう。三階といえば先輩のいる二年生の教室です。つまり二年生の霊ですね。三階の教室に現れる二年生の霊が、自分を見つけてくれた人の願いを叶えてくれる、というのはどうでしょう」


「……四年に一度っていうのは変えないんだな」


「そっちの方が貴重な感じがしていいでしょう? ……まあ、四年に一度だと、会えない学年が出てきてしまいますけどね」


「四年に一度、三階の教室に現れる……生みの親の佐藤が決めたのなら、いいんじゃないか」

 先輩は俺の設定を繰り返すように呟いてから肯定してくれた。


「先輩も何か案はありますか?」


「ああ、そうだな……じゃあ一つだけ。その霊は特に誰も恨んでいないから、相手に危害を加えるつもりはない……というのはどうだ?」


 しばらく考え込んでいた先輩がパッとこちらに向けて口を開く。確かに、霊が悪い存在かは設定していなかった。

 願いを叶えてくれると決めていたから、自ずといい霊だと考えていたが、願いの代わりに代償を要求する霊だったら元も子もないだろう。盲点だった。


「いいですね。さすが先輩です。じゃあ、誰も恨んでいないいい霊がこの学校にはいて、うるう年の今日、二月二十九日の一日だけ三階の教室に現れ、見つけくれた人の願いを叶えてくれる……そういう噂にしましょう」


 俺の言葉に、先輩が淡く笑みを浮かべた。やっぱり今日の先輩は表情豊かだなと、心の中で思う。


「いいと思うぞ。じゃあ今日が、佐藤の作ったこの学校の噂の霊の誕生日だな」



「そんな大それた日にしなくても――」

 言葉の途中で、気配が消えた気がした。


「――先輩?」

 振り返ると、さっきまでそこにいたはずの先輩の姿はなかった。


 どこかの教室に隠れて、俺を驚かそうとしているのだろうか。でも、慌てることはない。俺にも先輩にも文明の利器があるのだから。ポケットに入れていたスマートフォンを久々に取り出して、俺は先輩宛にメッセージを作成する。


「先輩どこに隠れましたか?」

 数十秒、既読がついて返信が来た。


『送り先間違えてるぞ』

 相変わらずドライな先輩だなあと思いながら、俺も先輩宛にメッセージを作成する。


「そういう冗談はいいです。どの教室にいるんですか?」


 また数十後に返信が来た。


『風邪を引いたから行けないと言っただろう。もしかして見ずに行ったのか?』


 先輩のメッセージを見て鳥肌が立ち、慌てて俺は先輩とのトーク履歴を確認する。


 ――――あった。確かに数時間前、俺が先輩を誘ってから二十分後に「風邪を引いていて行けない」というメッセージが来ていた。しかし、俺はそれを見落として学校に来てしまったのだ。



 じゃあ、俺がさっきまで一緒にいた先輩は?

 


 ――――佐藤、言霊って知ってるか。軽はずみで噂なんて口にしない方がいいぞ。現実に起こるかもしれないからな。


――――つまり、それが佐藤の願いだったということか。



「今度は先輩とやらに相談してみろよ」



「――――え?」


 ふいに聞こえた先輩の声。反射的に後ろを振り返ってみたが、そこにはさっき見た時と同じように誰もいなかった。

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