第2話 最高の目覚め


「先輩、今日は寝不足ですか?」

 帰り道、隣を歩く後輩の佐藤がそう尋ねてきた。


「……なんで?」と尋ねると「部活中、少し眠そうだったので」との返答が戻ってくる。


 その言葉を聞いて、この後輩は人のよく見ているな、と改めて感心した。



 隣を歩く部活の後輩の佐藤という男は、幼い顔立ちとふわふわした言動から、部活中はマスコット的存在と化している。しかしその実、この佐藤という後輩は、周りが思っているよりも人の表情や動きを見て物を判断する一面があるし、その場の状況を瞬時に把握して行動に移すような男だと思っている。部活が終わった後の佐藤と話していると、よりその考えに確信を持てる。目の前の佐藤はおろか、他の部員にすら話したことはないけれど。


 佐藤が指摘した通り、昨日は睡眠を十分に取れていない。週末に買った本の展開が気になって、うっかり夜中に読み進めてしまったのだ。加えて、授業の予習や復習も行った後だったので、必然的に寝る時間はその分遅かった。展開が気になるのだから仕方がない。ちなみに残りのページ数から考えると、今日から明日にかけてで全て読み終えられる計算になっていた。

 佐藤とは帰りの路線が違う。そのため今向かっている、学校から一番近い最寄り駅に着けば、それぞれ別の路線の電車に乗って帰路につく形になるので、電車に乗っている間の時間にも読み進められる。その時間も加味すれば、今日で全て読み終えられると踏んでいた。


「多分今日で終わるから安心して」

「今日も寝不足になるのは決まっているんですね……」


 どこか呆れた後輩の声を聞きながら、持っていた飲みかけのカフェオレの缶に口をつける。その様子を見た後輩が「先輩……」とでも言いたげな渋い表情をした。コーヒーではないだけ大目に見てほしい。


「じゃあ先輩は、昨日夢って見ましたか? あ、夜に見る夢の方ですよ」


 切り替えた後輩が、そんな質問をした。

 部活が終わり、学校から最寄り駅に行くまでの十数分間は、同じ駅に用があるこの後輩との雑談でいつも消費されていく。いつもだったら、隣の佐藤が特に正解のない議題を挙げ、どちらがより面白い答えを出せるかの、ほとんど大喜利に近い会話がいつともなしに始められるはずだった。しかし今日は、大喜利のためのお題の発表からではなく、ただただ普通の質問から始めるらしい。今回は夢に関するお題で、その前ふりにこんな質問をしたのだろうか。


 あらかじめ律儀に断わらなくても、最初に浮かんだのは、睡眠中に見る夢の方だった。そういえば最近夢を見ただろうか。昨日は見ていないし、一昨日も見ていない気がする。その前はどうだったろうと、首をひねる。最近見たのがいつか思い出せないくらい、しばらく夢とは縁がなかった気がした。


 正直に隣の後輩にそのことを伝えると、後輩の佐藤は特に残念そうな顔もせず、「そうなんですか」とだけ答えた。


「じゃあ、これまでの経験の中でいいです。いい夢でも悪い夢でもいいんですけど、目覚めた時に、楽しかったとか、怖かったっていう感覚は残っているのに、肝心の夢の内容が思い出せないって経験、先輩はありますか?」


「……それは、何度もあるけど」


 誰しもが一度は経験するものだと思う。ついさっきまで見ていたはずなのに、起きた瞬間に全てを忘れてしまって、何だったっけと首をひねる、そんな経験は。 


「佐藤もあるんだろう?」

 聞き返してみる。聞かれた佐藤は、両手を広げて「まいったな」とでも言いたげなポーズをした。


「それはまあ、人並みには。でも俺、夢見てもいつもすぐに忘れちゃうんですよね。そこまで夢を重要視していないので。だって、所詮夢ですよ? 現実に何も関係ないじゃないですか。そんなの覚えてる暇があるなら、もっと別の有意義なことを覚えるべきです」


 可愛らしい外見をして、身も蓋もないことを言うなと思った。


「じゃあなんでこの話をしてきたんだ」


「先輩が寝不足だからですよ。しかも今日も夜更かしをすると宣言していましたし。夜更かしが確定しているなら、せめていい夢を見て明日も元気に頑張ってほしいんです。ま、俺はどんな内容の夢を見ただろうと気にしませんけどね」


 最後に一言余計なことを言って、佐藤はスマートフォンを取り出して何やら操作し始めた。しばらくすると、自分のスマートフォンにLINEだとはっきり分かる通知が来る。確認してみると、佐藤個人とのトーク画面で、一枚の大きな犬がこちらを向いた画像が送られていた。


「うちの家にいるゴールデンレトリバーです。可愛いでしょう」

 目を細めて、佐藤は画像を見つめている。


「確かに可愛いけど、これをどうしろと」

「ほら、聞きませんか? 枕の下に好きな物や人の写真を挟んで寝ると、夢に出てくるって話。最近だと写真なんてそうそう現像して手元に持ってはいないし、スマートフォンの画像の方が身近で楽だと思ったので、画像にしてみました。これでいい夢を見てください」

「……だからって、なんで佐藤家の犬が」

「犬、可愛いですよね」


 遮られるように言われた。確かに可愛いけども。まあ佐藤自身の画像が送られてくるよりは困らないし、別にかさばるものでもない。ありがたくもらっておくことにした。

 保存してスマートフォンをしまうと、佐藤がそれを待っていたかのように口を開いた。


「先輩、今日と明日の大喜利はお休みにしましょう。寝不足だと、面白い回答なんて思い浮かびませんからね。明後日から再開します。明日は先輩から、画像を枕の下に挟んで寝た成果について聞いていれば、きっと時間をつぶせます。もし、何も見ていなくて話すことがなかったら……その時は、俺の犬の可愛さについて永遠と話してあげますね」


 大喜利だと自覚していたのか。しかも、こっちが枕の下にスマートフォンを挟んで寝るのがいつの間にか強制になっているし。


 どこまで佐藤は本気なのだろうか。しかも、そんな風に強制されてしまったなら、見られる夢も見られないと思うのだけど。

 でも、佐藤が楽しそうだったら、まあいいかなと思ってしまった。


 少しだけ、眠るのが楽しみになる。この後輩のために、今日の内に本は読み終えておこう。



 そして明日、最高の目覚めだったかどうか、佐藤に報告してやろうと心の中で決意しておいた。

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