孤独


昔から人付き合いが苦手であった。



唯、親友とまではいかないが、『友達』と呼べる人は数人いた。


広く浅くではなく、狭く深く。この考え方には賛成だ。


友達が数十人、更には数百人いたとしても、大人になった時、連絡を取り続けている人が果たして何人いるだろうか。


機種変更だとか買い替えだとか。


そういう事があると、連絡先は真顔で削除されてしまうだろう。


ましてや、友達が『本当の友達』なのかも分からない。

そう疑っている時点で本当の友達からは除外されるのだけれど。



然し、所詮は赤の他人だ。


例えば、早々ありえないのだけれど

自分と友達1人が監禁されるとする。

何方か1人は助けてもらえる、という状況になった時、選ぶのは友達か。それとも、自分か。


きっと、この世界の過半数以上の人が自分を選ぶだろう。これは悪い事ではない。死ぬのが怖いのは当然だ。決め付けでも主観でもなく、紛れもない事実なのだ。


死ぬ為には、『大きな勇気』等という言葉では到底表せない程の勇気が必要なのである。


自分にはそのような勇気が何処にもない。


だから生きるのだ。












「何があっても必ず守るよ」



ありがちなセリフだ。

そんな嘘くさい言葉を一体、誰が信じる?

人生の窮地に立たされた瞬間に怯えて、震えて、自己防衛をする事に必死になるのだろう。


予言者でも占い師でもない。分かりきった事だ。


人は皆、自分が死ぬという状況になった時、性格が180度変わり、まるで狂ったかのように自分を守るのだから。


唯、これは人間が生まれながらにもっていて、育んできた本能であるから仕方がない。

自分も、普通の人間であれば自己防衛をすると確信している。

然し、自分は普通の人間ではなく、常識から大きく外れた所謂変わり者で、社会不適合者なのである。だから、今の自分は自己防衛なんてことはしない。

考えてみれば分かることだ。


世間から優しい目を向けられている『出来る人』と


世間から冷たい目を向けられている『出来ない人』。



何方を救うかと問われたら、前者を選ぶのが普通だろう。

そんな中でも普通に乗っ取られること無く、後者を選ぶ人が僅かに存在する。

一体どのような思考回路で、何処の誰が後者を選ぶのかは不明だ。救いの手を差し伸べたいという偽善者か、それとも単なる性格が酷く醜いネトゲ廃人か。

自分にはそのような人たちの心情を理解することはできないが、もしかすると自分も後者を選ぶかもしれない。

世間から優しい目を向けられる事を経験しているのならば、それ以上の贅沢は必要ないだろう。

世間から冷たい目を向けられる事しか経験していないのならば、贅沢を与えてあげたくなるだろう。与えてあげたくなると言うと、態度がでかくなってしまうが、それは偽りの感情である偽善ではなく、心の底から思っている事なのだ。

社会から必要とされている人と必要とされていない人。

同じ人間である事に変わりはない。唯、優れている箇所や外見、性格。ありのままの人間像を評価をしてくれる人がいるか、いないか。

それだけだ。たったそれだけで、人生は良と悪の方向に選別されてしまう。

人生が変わってしまうのならば、たったそれだけと言うべきではないのだろうけれど。



然し、自分はそのせいで社会から孤立してしまった。というより、させられた。

1人でいる事は良くても、独りになる事に耐えられる人が一体どれ程、存在するのだろうか。

幼い頃、自分以外の人が皆消えていなくなればいい、と如何にも子供らしい考えを秘めていた事があった。今思えば、そんな事は不可能であり、自分にも他人にも損を与えるだけだ。


この考えが正しいのならば、どうすれば孤独から、檻から、汚い社会から、抜け出せるのだろうか。


最後の選択肢であった神頼みは、とっくに失われてしまった──。

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世の中 とある中学生(わたなべ) @Watanabe07

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