7
家に帰り、持ち帰った仕事をしていても、母の手伝いをして夕食の準備をしていても、ともすれば涙が零れ落ちそうだった。
母に余計な心配をかけないように、せいいっぱい元気なふりをしながら、エミリアは、
(そういえば、私っていつもこうだ……)
と気がついた。
周りに心配をかけたくないから。
可哀想だなんて思われたくないから。
せいいっぱい肩肘を張って生きてきた。
(そんな私が笑ったり怒ったり……いつだって本当の感情をぶつけられる相手がディオだったんだ……)
考えるとまた泣きだしそうになってしまうので、エミリアは慌てて首を振った。
もう泣かないと決めた。
アウレディオはエミリアがどんなに止めても、絶対に自分で決めたことをやり通す。
エミリアは誰よりもそのことをよく知っている。
だからアウレディオはアウレディオのやりたいようにすればいい。
エミリアもエミリアのやりたいようにする。
凄い形相で野菜を切っていたエミリアに、母がふんわりとした笑顔で声をかけた。
「エミリア。そろそろアウレディオを呼んできたら?」
エミリアは、「うん」と頷いてエプロンを外し、母に向き直った。
大きく息を吸いこんで、あらかじめ用意していたセリフを口にする。
「お母さん……私ミカエルを見つけたから……だからこれから本当の姿に戻してくるね」
母は翠色の瞳をこれ以上はないほど見開いて、みるみる大粒の涙を浮かべた。
「エミリア……それって……」
それ以上出てこない母の言葉を汲み、エミリアはしっかりと頷く。
「うん。ディオは頑固ものだから、絶対に気持ちを変えない。自分一人がいなくなれば、それでいいんだって思ってる」
母はただうんうんと頷くことしかできないようだった。
エミリアは懸命に、自分の本当の気持ちを語った。
「でも私は嫌だから……私だってディオに負けないくらい頑固だから、どうにかがんばってくるね。お母さんだって決して諦めずに、何年もかかってお父さんのところに帰ってきたんだもんね。私だってお母さんの娘だもん……!」
母は首が千切れんばかりに頷いてくれる。
「じゃあ行ってくるね」
背を向けたエミリアに、母はやっとの思いで、かすれた声を絞り出した。
「ごめんね。エミリア……ごめんね……」
優しい優しい声だった。
エミリアはいつもアウレディオがそうするように、母のほうをふり向かないでうしろろ手に手を振った。
泣きそうな顔を母に見られたくなくてそうしたのだったが、意地っ張りなアウレディオがいつもそうやっていた理由も、同じではなかったのかとふと思いいたる。
(本当に、格好つけたがりなんだから……)
もうすぐ失ってしまうという今になって、アウレディオの仕草、言葉、姿、これまで一緒に生きてきた年月、その全てがエミリアには愛しかった。
アウレディオは自邸の庭園で、漕ぐでもなくブランコに座っていた。
月明かりの下でその光景を見たエミリアは、やっぱり彼は人間離れして綺麗だと思った。
それが本来の色なのか。
月の光を受けて金色に輝く髪も、煌めく瞳も、母のような真っ白な翼がそのまま背中にあっても全然おかしくないほどに美しい。
このままずっとこの場所に閉じこめておきたいと、強く願わずにはいられなかったが、息を潜めていてもエミリアがやってきたことは、もうアウレディオにはわかっているだろう。
「ひょっとして来ないんじゃないかと思った」
思ったとおり、こちらをふり返りもしないで口を開く。
「そんなことしたら、ディオは絶対に私を許さないでしょう? そんなの嫌だもん」
真正面に回りこんで芝生に腰を下ろしたエミリアを、アウレディオは真っ直ぐに見つめた。
「……ああそうだな」
「だから逃げも隠れもしないで来たわよ」
わざと怒ったように頬を膨らしてみせるエミリアに、アウレディオの表情も緩んだ。
お日様のような笑顔がエミリアを見つめる。
「あ―あ、ファーストキスが最後のキスか」
あまりにも照れくさくて冗談のように冷やかしてみたのに、アウレディオは真顔で囁いた。
「安心しろ、俺もお前も二回目だよ。一回目は十年も前に、やっぱりここでしただろう?」
妖しく瞳を煌かされて、エミリアは思わず悲鳴をあげた。
「ええええええっ!」
今度こそ正真正銘、エミリアは開いた口が塞がらなかった。
「どうして……? ねえどうして私って、こんなに忘れっぽいの!」
「だから、俺のことなんてすぐに忘れるって言ってるだろ」
至極魅力的な笑顔とは裏腹なその言葉だけは、絶対に認めたくなかった。
これから先、たとえどんなことがあったとしても――。
「エミリア……目を閉じて」
アウレディオがそっと伸ばした冷たい指先で、エミリアの頬に触れた。
けれどエミリアは、言われたとおりに目を閉じたりはしなかった。
「閉じろって」
綺麗な瞳をすぐ近くまで近づけながら、アウレディオは怒ったように呟く。
けれどその顔をしっかりと見返したまま、エミリアは果敢に言い返した。
「そんなことしたら、ディオの顔が見えなくなっちゃうじゃない。目を瞑ってる間にいなくなっちゃったらどうしてくれるのよ。そんなの……私は絶対に嫌なんだから!」
アウレディオは、そんなエミリアの怒った顔でさえ愛しくてたまらないというように目を細めて笑った。
「それは……俺も嫌だ」
そして両手で頬を包みこむようにして首を傾げて、宝物のように優しくエミリアに口づけた。
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