アウレディオの唇が自分の唇に触れたと、エミリアが感じた瞬間、二人は全身をすっぽりと金色の光に包まれた。


 絶対に最後の最後までしっかりと目を開けておこうと思っていたのに、そうはできない状況に、エミリアはやむをえず目を閉じた。

 瞼の裏の眩しさがようやく和らいだことを確認してから、そろそろと目を開く。


 目の前に居たのは、想像していたとおりの、金色の髪に蒼い瞳の完璧な天使だった。


(でもディオだ。私にはわかる。悪戯っぽい大きな瞳も、お日様みたいな笑顔も、全然変わらないもの……!)


 いつまでもその姿を目に焼きつけておこうと、懸命に目を凝らし見つめ続けるエミリアに、アウレディオはなんだか変な顔をしてみせる。


 はじめのうちは別れの悲しみを和らげようと、彼なりに気を遣ってくれているのかとも思ったが、その鳩が豆鉄砲を食らったような表情が、あまりにも長すぎる。


(何? 何なの? あまり表情を変えないディオにしては珍しいその顔を、私に一番印象づけようとでもいうの?)


 半ばやけになってそう結論づけながらも、エミリアはだんだん腹が立ってきた。

「あのねえ、ディオ……」


 ここはちゃんと諌めておかなければと、口を開きかけた時、自分に異変が起きていることに、エミリア自身も気がついた。


 キスするために頬に添えられたアウレディオの手。

 その手にそっとかき上げられているエミリアの髪が、栗色ではない。


 エミリアは慌てて自分の髪を目の前に持ち上げてみて、それがどこからどこまでも母のような金髪になっていることを知った。


 ようやく声を発したアウレディオが、

「エミリア! お前! お前!」

 と掠れた声で動揺しているところを見ると、どうやら見まちがいではないらしい。


 そういえば、腕や足などもアウレディオや母のように若干白くなっている気がする。

 動転するアウレディオを問い質したところによると、瞳も母と同じ翠色になっているようだ。


(ディオはともかく私? どうして私が?)


 あまりの驚きで頭の中がぐちゃぐちゃになっているエミリアの上に、その時一筋の光が射しこんだ。


 あたりは夜の闇だというのに、エミリアの周りだけが昼間のように鮮やかに照らし出される、常軌を逸した状況。


 もう驚きの声も出ないエミリアとアウレディオの上に、光の中から現れた人物がふわりと舞い降りた。


「お母さん……?」

 掠れた声で呼びかけた娘に凛とした視線を向けたその人は、いつもの柔らかな印象からは想像もつかない威厳に満ちていた。


 背中に大きな白い翼を生やし、頭の上には輝く金色のリングを戴く。

 白いズルズルとした天使らしい衣装は、エミリアが前に想像してみた数倍、良く似あっていた。


「いったいどうしたの?」

 間の抜けた問いかけをしてくる娘に居を正すようにコホンと咳払いすると、母はあでやかに笑った。


「エミリア。ミカエルの覚醒に力を貸してくれてありがとう。そしてあなた自身も覚醒おめでとう。私は大天使ガブリエル。私の娘であるあなたを、ガブリエルの名を継ぐ者として正式に認めます」


「「は?」」


 エミリアとアウレディオの発した間の抜けた声が、ピタリと重なった。


 母はとっておきの決めゼリフがうまく決まらなかったことが不満だったらしく、少し残念そうに口を尖らす。

「だから……! 私は大天使で、エミリアもそのあとを継ぐ者で……アウレディオもそうなの!」


 あまりにも要領を得ない説明に、アウレディオはふうっとため息を吐いた。

 額に手を当てて、今手に入れたばかりの重要な情報を、順を追って一つ一つ整理する。


「リリーナって……大天使だったのか?」

「隠しててごめんなさい。実はそうなの」

「名を継ぐって?」

「四大天使は、代々自分の子供に名前を引き継ぐって話はしたでしょ? ミカエルの名を継ぐアウレディオと一緒。エミリアは私の娘だから、ガブリエルの名を継ぐんでーす」


 意気揚々と説明されて、エミリアは思わず叫んだ。

「ちょっと待って、お母さん! 私、天使なんかじゃないわよ!」


 母は大真面目な顔で、腰に手を当てて言い放った。

「いいえ天使です。『天使のお菓子』が作れて『天使の時間泥棒』も『天使の癒しの手』も使える人間なんて、い・ま・せ・ん。それにエミリアは自分の気持ちを犠牲にしてまで、『聖なる乙女』としての任務のほうを優先したのよ! こんなに天使らしい天使は、天界にだってそうそう、い・ま・せ・ん!」


 堂々と自信満々に言い切ってくれるその論理には、エミリアは唖然とするしかなかった。


 アウレディオはふと、大きな蒼い瞳に鋭い色を浮かべる。

「ひょっとしてリリーナ。エミリアの天使としての力量を確かめに来たのか? 俺を探し出すなんてのは口実で?」


 言いながらだんだん表情が険しくなっていくアウレディオが全てを言い終わる前に、母は体を大きく二人のほうに乗り出して、うんうんと激しく頷いた。


「そう! そうなの! アウレディオは私が見つけた十五年前から、とっくに天界の監視下に置かれています……ごめんなさい。私は人間と天使のハーフのエミリアを、天界の人たちにもちゃんと私の後継者として認めてほしくて、あっちに行ったりこっちに来たりがんばってるの!」


 母の返答に、アウレディオは頭を抱えた。

「うっわ」


 上目遣いにじっと母の話を聞いているエミリアの怒りがいつ爆発するかと、頭が痛くなったようだった。


「それもこれも、もとはといえば全部お母さんのせいじゃない! お母さんのためにって、あんなにがんばった私はいったいなんだったの? しかもこんな格好になっちゃったら今までどおりになんて、生活できるわけないでしょう!」


「あ、それは大丈夫。二人とも、私が元の姿に戻してあげるから」

 途中でそんな注釈を入れられても、一度ついてしまった怒りの火に油を注ぐだけである。


「問題はそこじゃないでしょう! まったくもう! もうっ!」

 言いたいだけ言って俯いたエミリアの頭を、


「もう気が済んだか」

 とアウレディオが胸に抱き寄せた。


 やっぱり誰よりも自分のことをわかってくれるその腕に抱かれた途端、堰を切ったようにエミリアの目から涙が溢れ出した。

 この人を失わなくて済んでよかったと、本当に心からホッとした。


「エミリア……?」

 恐る恐る声をかけてくる母にも、しょうがないから涙で滲んだ目を向けてやる。


「ごめんね。でもアウレディオとはずっと一緒だからね。人間界に居ても、この先天界に行っても……」

「そんなところ行かないわよ!」

 即座に言い返したエミリアと母との間に体を割りこませ、自らで防護壁を築きながら、アウレディオはため息を吐く。


「リリーナ……とりあえずまだしばらくは、先のことは話さないでおいてくれるか? ……な?」

「しばらくじゃないわよ! いつまで待ったって、私はそんなところ、絶対に行かないわ!」

「はいはい」


 宥めるようにエミリアの頭を撫でながら、アウレディオは母にそっと目配せした。


 余裕たっぷりのその笑顔には、いつかはエミリアの意地だってほだされてしまうだろうと母は思った。

 きっと――。


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