11

 リンデンの街が夕焼けに染まる頃。

 鐘の音にあわせて次々と家路につき始めた臨時衛兵たちの波に逆らって、アウレディオはランドルフへと歩み寄った。


「ランドルフ様、俺、お願いがあるんですけど……」

 エミリアは最高潮に達した緊張で眩暈を感じそうだったが、アウレディオが次に発した言葉は、予想外のものだった。


「俺、騎士に憧れてるんです。できるなら少しだけ、騎士団の様子や宿舎なんか見せてもらうことはできないでしょうか?」


 ランドルフは悩むこともなく、すぐに頷いた。

「ああ。明日の感謝祭では、希望する者は宿舎の歓談室まで入れるほどには、騎士団の宿舎も解放されてるんだ。君なら何の問題もない……今から少し行くかい?」


「はい!」

 元気よく返事したアウレディオの顔は、背を向けていたためエミリアには見えなかった。

 けれど、ランドルフが捜し人かどうかを確認するためだけとは思えない、本物の喜びが混じった声のようにも聞こえた。


(ディオ?)

 まさか本当に騎士に憧れていたのだろうか。

 エミリアが首を傾げた瞬間にアウレディオがふり向く。


 夕焼けに染まる淡い金色の髪。

 その間から見え隠れする自信を湛えた蒼い瞳。


(あとは俺にまかせろ)


 声にならない言葉が聞こえたような気がして、さまざまに思い悩む心は全て、エミリアの中から消し飛んでしまった。

(ディオ……)


 力強く頷いてエミリアに背を向け、ランドルフと共に去って行くアウレディオの背中。

 いつの間にか頼もしさを感じさせるほどになったんだなと、母親のような感慨に浸って見送り、エミリアはフィオナと共に家路についた。




 今日はエミリアの家に泊まることにしたフィオナと、ただ静かにアウレディオの帰りを待った。


 家の玄関で、八年ぶりにエミリアの母と対面したフィオナは、開口一番、

「おばさま、全然お変わりないですね」

 と呟いた。


 妖しく瞬く黒目がちの大きな瞳を、母の周囲に巡らしているフィオナの様子を見て、エミリアは内心冷や汗ものだった。

(さすがに、まずかったかな?)

 

 それなのに、そのあとに続いたフィオナの言葉というのは――。


「どんな肌のお手入れをされてるんですか? これは絶対に教えてもらわなくちゃ」

 鋭いのだかズレているのだか、独特の観点すぎてエミリアにも正直よくわからない。

 しかし――


「あらこれ美味しい。これも。これも……おばさまって本当にお料理お上手ですね」

 次々と料理を口に運ぶフィオナが、いつもより饒舌なことには気がついていた。


「ほら。ぼうっとしてたらせっかくのご馳走が冷めてしまうわ。エミリア」

 食事も喉を通らない心境のエミリアを、それとなく気遣って家までついてきてくれたのだということも――。


 実際、フィオナが一緒にいてくれなければ、アウレディオの帰りを待つ間、エミリアはどんなに気持ちが塞いでいただろう。

 傍にいてくれるだけでありがたかった。




 食事が終わって二階のエミリアの部屋へ上がったフィオナは、

「それにしても遅いわね……ひょっとして、もう自分の家に帰って寝てるんじゃないの?」

 表向きはアウレディオに悪態をつきながらも、心の中ではエミリアと同じように、(きっと今日中に連絡をくれる)と信じているようだ。


 そんな心境が、ありありと伝わってくることが、エミリアには心強かった。




 しんと静かな夜の静寂を破るように、カランカランと玄関扉についた鐘が鳴る。


 先を争うように階段を駆け下りたエミリアとフィオナは、玄関で母がアウレディオを出迎えている光景を目にした。


 薄暗いランプの明かりの下。

 心持ち目を伏せたアウレディオの表情からは、結果がどうだったのかはうかがいしれない。


 柔らかな髪を揺らして、アウレディオはエミリアへと視線を向けた。

「ちょっと外まで出れるか?」

 いつもどおりの口調。

 エミリアは胸をぎゅっと締めつけられるような思いがした。


 三人は押し黙ったまま肩を並べて歩き、エミリアの家の隣の、アウレディオの邸の庭園へと足を踏み入れた。


 一人で住むには広すぎる邸も、この庭も、一人きりになってもアウレディオは決して手放そうとはしない。

 手入れをするには時間も手間もかかる薔薇園も、祖父が大事にしていたそのままにしている。


(仕事だって庭造りを選んだのに、休みの日もずっとここにいるんだよね。本当に花や木が大好きなんだから……)


 温かな気持ちでそんなことを考えながら歩いていたエミリアは、大きな木の枝に吊るされた、白い二人乗りのブランコに目を止めた。

 小さな噴水の前に広がる芝生の上で、風に揺られてキイキイと音を立てている。


「このブランコ、まだあったんだ」

 エミリアの呟きに、


「ああ」

 アウレディオが頷いた。


「懐かしいわね」

 フィオナの囁きに、小さな子供の頃の思い出が甦る。


 まだ三人が学校に通い始めたばかりの頃、このブランコにエミリアとフィオナの二人が座って、アウレディオにうしろから押してもらったことがあった。


 しばらくしたら代わるという約束だったが、

「エミリアまだ? フィオナまだ?」

 アウレディオの問いかけに、二人はいつまでたっても、

「もういいよ」

 とは言ってあげなかった。


 小さくて素直なアウレディオが、必死な顔をして押してくれるのが可愛くて嬉しくて、二人は顔を見あわせてころころと笑いながら、何度も何度も、「まだダメよ」と言い続けた。


 それは今では懐かしい色になった、優しくて温かい大切な思い出。


 ふと目があったフィオナも、なんだか同じことを思い出しているような気がして、エミリアは笑い含みに問いかけた。


「ねぇディオ。あのブランコに乗ってもいい?」

 アウレディオはきっぱりと首を横に振った。


「お前たちはいつまでも俺に押させるから嫌だ」

 エミリアは思わず吹き出した。


 わざとそう答えたはずのアウレディオも、黙って二人のやり取りを聞いていたフィオナまでも、いつになく大きな声で笑っている。


(同じ思い出を共有している幼馴染がいてくれるって、本当に嬉しいことだな……)


 二人の顔を見比べながらそんな思いを噛みしめていたエミリアの胸に、ふいに目の前に立ち塞がったアウレディオの表情を見て、ドキリと緊張感が甦った。


 たった今まで頬を綻ばせていたはずのアウレディオは、これ以上ないくらい真剣な顔で、月光を背に、静かにエミリアを見下ろしていた。

 蒼い瞳が星の光にも似た煌きを放つ。


「エミリア。ランドルフ様の背中に、痣はなかったよ」


 今まで聴いたこともないほど優しい穏やかな声に、声の主がアウレディオだとエミリアが認識するまで、長い時間がかかった。

 そしてその言葉の意味を理解するまでにも――。


 何か言おうと口を開きかける前に、フィオナがそっと近くに来て、エミリアの手を握る。

 緊張のあまり冷たくなっていた自分の手と同じくらい冷えた指先を感じて、エミリアはふっと肩から力が抜けた。


「そっか……」

 アウレディオに負けないくらい穏やかな声が出て、エミリアは自分でも驚いた。


 あんなに、『ランドルフ様とキスなんてできるわけない! どうしたらいいのよ!』と悩んでいた自分は、ふいにどこか遠くへ行ってしまった。


 無茶な計画をこれ以上実行しなくても良くなって、ホッとしたはずなのに、この気持ちはなんだろう。

 胸にぽっかりと穴があいてしまっている。


(まさか私ったら……ランドルフ様とキスしたかったの?)

 自分自身に問いかけてみて、エミリアは苦笑いする。


(これから先、時間をかけてっていうのならともかく……今すぐそれは、やっぱりないな)

 だとしたら何なのだろう。


 ひょっとしたらエミリアは、気がついてしまったのかもしれない。

 今この瞬間、今までのようにランドルフに近づく口実を、エミリアは失ってしまったのだ。


(明日からはまた前のように、遠くから見ているだけ…… しかもお母さんの仕事を手伝うためには、すぐにまた次の候補者捜しに動きださなきゃならない。その中では、他の誰かを追いかけている私の姿を、ランドルフ様に見せることもあるかもしれない……私という存在を知ってもらって、昨日より今日、今日より明日ってランドルフ様と親しくなって、私の恋は本当にこれからだったのに……)


 そっと唇を噛んだエミリアを気遣うように、フィオナの手に力が入った。

 そしてこれまでの人生で一度も頭を下げたことがない相手に、フィオナは静かに頭を下げた。


「アウレディオ……やっぱり私たちをブランコに乗せてもらえないかしら?」

 アウレディオは反駁することもなく、ただ静かに頷いた。


 日の光にも劣らないほどの月光の下。

 エミリアとフィオナは古い小さなブランコに並んで座って、アウレディオに背中を押してもらった。

 アウレディオの祖父の薔薇が、ちょうど初秋の満開を迎えて、庭園はむせ返るほどのいい匂いに包まれていた。  

 その匂いと共に、エミリアはフィオナとアウレディオの優しさをそっと胸に刻んだ。

 キーキーと軋んだ音を上げるブランコの心地よい浮遊感と共に、いつまでもいつまでも忘れないように――。

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