7
さっきと同じように玄関で出迎えてくれた母は、エミリアの顔を一目見るなり、
「うん。どうやら仲直りできたみたいね」
とにっこり微笑んだ。
(子供みたいって思う時もあるけど、やっぱりお母さんにはかなわないわ……)
エミリアは今度こそ心からの笑顔を母に向け、夕食のテーブルに着いた。
ピンと張られた赤白の格子縞のテーブルクロスの上には 母が腕によりをかけた、飛びきりのご馳走が並んでいる。
肉や芋や玉葱のパイ。
種入りのケーキ。
ソースのかかった燻製肉。
鶏のシチュー。
チーズ。
さっそく目の前にある焼きたてのパンに手を伸ばしたエミリアは、
「それで……ミカエル捜しのほうはどう? 何か進展はあった?」
という母の言葉に、うきうきとしていた気分も食欲もいっきに失せ、何と答えていいのかわからずに俯いた。
「エミリアの好きな相手とだったら、とりあえず接点を作った」
シチューを口に運びながらこともなげに答えるアウレディオに、母は瞳を輝かせる。
「さっすがアウレディオ! 仕事がはやーい!」
エミリアはパンが喉に詰まってしまいそうなくらいに咳きこんだ。
「な、何言ってんのよディオ! ゴホゴホッ」
しかし母は、そんな娘の様子にはおかまいなしだ。
「それでどんな人なの? 格好いい? 背は高い?」
まるで友だちと好きな人を教えあっている時のように、もの凄い勢いで母に迫られて、エミリアは逃げ腰になる。
「ど、どんな人って……別に……」
「お城の近衛騎士。真面目で、責任感の強い人。すごく有能で国王陛下からの信頼も厚いらしいよ。見た目もまあ、かっこいいかな……」
勝手に話に割って入った上に、淡々とランドルフについての私見を述べるクラウディオに我慢ならず、エミリアはテーブルをバンッと叩いて立ち上がった。
「まあ……じゃなくって、とってもかっこいいです!」
断言するエミリアを前に、母は夢見るようにふわっと笑う。
「エミリア……恋してるのね……!」
(恋!)
大きな声で主張したことが急に恥ずかしくなり、エミリアはぎくしゃくと椅子に座り直した。
「まあ、エミリアにしては良い男を見つけたと思うよ……」
アウレディオが食事を続けながら、実に生意気なことを言っている。
「そうね。エミリアは私と違ってとっても移り気だから、本当は心配だったのよ」
母もまた、好き勝手なことを言っている。
(もう勝手にして!)
涙ぐみながら料理に手を伸ばすエミリアに、母は燻製肉を切り分けながら尋ねた。
「それで、その人にちゃんとエミリアのお菓子は食べてもらった?」
瞬間、エミリアの動きが止まる。
「食べてもらったけど……どうして?」
ふとさっきまでの嫌な気持ちを思い出して、不安になった。
「えっ? エミリアったら、今まで何も知らないで『あれ』を作ってたの?」
目を丸くして問いかける母に、エミリアは眉を寄せずにはいられない。
「何のこと?」
「エミリアの作るお菓子って、小さい頃に私が作ってあげてたのを再現してるんでしょ?」
天使そのものの微笑みに、エミリアはこっくりと頷いた。
「うんそうだよ。ディオにも手伝ってもらって、何年もかかってああでもないこうでもないって工夫したから、けっこうお母さんの味に近くなってると思うんだけど……」
母は満足そうにエミリアとアウレディオの顔を見比べた。
そして悪戯っぽく片目を瞑る。
「そうね。とってもよくできてると思うわ……しかも効き目は、お母さんのより強そう!」
「効き目?」
黙々と食事を続けていたアウレディオが、いつの間に平らげたのか、空になったお皿を自分の前に山のように積み重ねながら、母に向かって視線を上げた。
「そう、私が小さなあなたたちに作ってあげてたのは、『天使のお菓子』。人の心を幸せにする食べ物よ。でも効き過ぎると魔女の惚れ薬より強力だったりして……ふふふっ」
ガターン。
エミリアが悲鳴をあげるより先に、アウレディオが椅子を蹴り倒してその場に立ち上がった。
エミリアも母も驚いて、そんなアウレディオに視線を集める。
顔を真っ赤にしたアウレディオは、
「お、俺ちょっと……」
といつになく大慌てで食堂を出ていった。
その様子にエミリアは改めて、
(本当にディオは、お菓子のこと、なんにも疑ってなかったんだ……)
と安心した。
しかし――
(やっぱりフィオナが言ったとおり、お菓子のせいでランドルフ様の態度がおかしかったんじゃない! 明日からどんな顔で会ったらいいの? これじゃあわざと一服盛ったようなものよ……)
頭を抱えてテーブルに突っ伏したエミリアに、母はそっと耳打ちする。
「それでエミリアの好きな人の反応は? エミリアのこと好きになっちゃったみたい?」
あきらかに面白がってるふうの口調に、さすがにエミリアも声を荒げた。
「お母さん!」
母は慌てて乗り出していた体をひっこめる。
瞳に薄っすらと涙まで浮かべて、実にしおらしい顔になった。
「ごめんなさい……」
その顔を見ているとエミリアは気が咎めて、それ以上は強いことが言えない。
(美人って得ね……)
改めてエミリアが大きなため息をついたところに、庭にある井戸の水で乱暴に顔を洗ったらしいアウレディオが、ちょうど食堂へ帰ってきた。
「とにかく……済んでしまったことは仕方ない。明日はもっと事態が好転しているかもしれないわけだから……」
真っ赤な顔をしてしどろもどろにそんなことを言われても、エミリアの心はちっとも晴れない。
それどころかどんどん落ちこんでいくばかりだった。
(そんな変な力で、ランドルフ様の気持ちを操りたくなんてなかった。ちゃんと私を見てもらって、私のことを知ってもらって……それで好きになってもらえるなんて、確かに思わないけど……だからってこんな方法は嫌だよ……)
エミリアが心の中で思ったことがわかったのだろうか。
母はうな垂れる娘の横に座り、そっと頭を抱き寄せた。
「ゴメンね、エミリア……」
ふわっと良い香りがして、エミリアはどこか違う場所にいるかのような錯覚を覚えたる。
目を閉じて体中で感じるぬくもりは、エミリアが記憶している一番古い思い出よりも、さらにずっと昔の思い出。
この世に生を受ける遥か昔から、エミリアを優しく包みこんでくれていた温かなぬくもりだ。
(そうだった……この優しい腕をもう二度となくしたくなくって、私は自分から手伝うって言ったんだった……)
浮かんできそうになった涙を、必死で押しとどめる。
(今さら投げ出すわけにはいかないもの。仕事だって休んでるんだから、時間の余裕だってない……だからランドルフ様にお菓子を食べてもらったのも、これはこれで良かったのかもしれない……)
どんな状況でも、物事を前向きに考えようと努力できるのは、エミリアの良い所である。
しかし――
「もういいよ……お菓子ぐらいでランドルフ様が私を好きになるかもなんて……そんなことまだわからないし……」
強がり半分本気半分。
それでもなんとか、自分を奮い立たせようとしたのに、
「いや……あの態度は確かに変だった……」
どうしてアウレディオは、わざわざ蒸し返すようなことを言うのだろう。
「えっ、やっぱり?」
どうして母はそんなに嬉しそうな声で答えるのだろう。
周りの対応は、あまりにもエミリアの心の機微に無頓着だった。
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