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「つまりエミリアが好きな人とキスしたらいいの?」
天使がどうこうという部分を省き、単なる人捜しとして母の仕事を説明したわりには、フィオナは実に的確に、エミリアの悩みの種を把握してくれた。
それどころか、エミリアが一晩中、悩みに悩んだ事柄まで、あっさりと言葉にしてくれる。
「そ、そうです……」
「なら簡単じゃない。お城に行けばいいのよ」
一瞬シーンと静まりかえった後、アマンダの店の作業部屋は、三人の少女たちの悲鳴で埋めつくされた。
「えっ? お城ってなんで? エミリアの好きな人ってお城に関係ある人なの?」
「きゃあ、誰? 私たちも知ってる人?」
「な、なんてこと言うのよ! フィオナ!」
興味津々で迫ってくるマチルダとミゼットの間をかきわけて、エミリアは泰然と仕事を続けているフィオナに飛びついた。
「あら違った? 私はてっきりエミリアが好きなのは近衛騎士のラン……」
「きゃああああ!!!」
自分の悲鳴でフィオナの声をかき消しながら、エミリアは必死に両手でフィオナの口を塞ぐ。
耳に口を寄せ、なるべく小声で囁いた。
「それは違うの! 違わないんだけど……違うのよぉ!」
エミリアの必死の形相は、フィオナの目にはさほど重要なことには映らないらしい。
あくまでも視線は、周囲に巡らしながら、いつもと変わらない冷静な声で、真顔のまま語ってくれる。
「どうしたの、エミリア? オーラの色がぐちゃぐちゃだわ……」
「それは……そうでしょうねえ……」
二日連続で、朝からとてつもなく疲れてしまったエミリアだった。
実はフィオナに言われたのと同じようなことを、エミリアは昨日の時点ですでに、アウレディオからも言われていた。
母の仕事のとんでもない内容を知り、内心はかなりの葛藤を感じたエミリアだったが、自分から手伝うと言った手前、結局後には引けず、母の言うところの『聖なる乙女』をやるしかなくなってしまった。
(でもこれが成功したら、お母さんとこれからもずっと一緒に暮らせるんだから……!)
物事をなるべく良いように解釈しようとするのは、エミリアの良いところである。
「俺も手伝う」と手を上げて、母にとびきりの笑顔を貰ったアウレディオと一緒に、翌日から早速ミカエルを捜すことになった。
結論が出て、今日のところはひとまず家に帰るとなった時、アウレディオはなぜかエミリアの部屋に立ち寄り、後ろ手に扉を閉めると同時に、さっと片手をさし出した。
「出して」
「…………え?」
呆気にとられるエミリアに向かって、アウレディオはビシッと机の引き出しを指差す。
「あそこにしまってあるものだよ。手紙……いやひょっとしたら……似顔絵かな?」
「えええええっ?」
(ど、どうしてディオがそんなこと知ってるの!)
声にならない叫びにパクパクと口を動かすばかりのエミリアに、アウレディオは珍しく笑顔を向ける。
大きな蒼い瞳に悪戯っぽい色を浮かべた、小悪魔のように魅惑的な微笑。
「エミリアのやりそうなことなんて、だいたい想像がつく。明日はまずそいつに会いに行くからな、心の準備しとけよ」
返事をする暇も与えず、固まってしまったエミリアにさっさと背中を向けて、アウレディオは部屋から出て行った。
階段をトントントンと軽快に下りて行く足音を聞きながら、エミリアは、(これってディオにはめられたんだわ!)と頭を抱えて座りこんだ。
「そんなものないわよ、って言い返せば、それでよかったのに……!」
咄嗟の時に、いい反応が返せない自分が、自分でも嫌になる。
しかしいくら悔しがってももう遅い。
明日には、これまで遠くから見ているだけだった憧れのランドルフに、自分から会いに行かなければならないのだ。
――何と話しかけたらいいのかもわからないまま。
「どうしよう! どうしたらいいのよ?」
エミリアはヘナヘナと、自分の部屋の床につっ伏した。
「じゃあ結局、お城には行くのね?」
説明を聞きながらも黙々と手を動かしていたフィオナは、エミリアの最後の長い嘆きが終わると同時に、冷静にそう尋ねた。
エミリアは力なく頷く。
「うん。夕方ディオが来たら、一緒に行く予定になってる……」
「アウレディオね……」
フィオナは長い睫毛を伏せて、一瞬手を止め、何かを考えこむようなそぶりを見せた。
対峙する相手のことを、性格から考えていることまで、ほとんどオーラの色で判別できるフィオナだが、彼女にも苦手とする相手はいる。
――それは、『オーラが見えない人間』。
実はアウレディオは、そんな数少ない人物の中の一人だった。
「昔から何を考えているのかさっぱりわからないのよね……」
心持ち困ったような表情のフィオナに、エミリアは恐る恐る尋ねる。
「できればフィオナにもついてきてほしかったんだけど……やっぱりディオと一緒じゃ嫌?」
小さな頃からアウレディオに対してだけは、フィオナははっきりしない微妙な評価を与えている。
心配げに見つめるエミリアに向かって、フィオナの黒目がちの大きな瞳が妖しく輝いた。
「いいえ。興味深くご一緒させてもらうわ」
意味深な微笑みに多少の不安を感じなくもないエミリアだったが、初めてランドルフに会いに行くのに、アウレディオと二人でというなんとも気まずい状況だけは、これで回避できることになった。
しかし問題は、何の接点もない近衛騎士のランドルフと、一介の町娘に過ぎないエミリアが、いったいどうやって面会するのかということである。
夕刻。
夕暮れを告げる大聖堂の鐘がリンデンの空に響き渡ったあとも、エミリアはアマンダの店の作業部屋に、フィオナと二人で残り続けた。
「じゃっ! また明日!」
「またねー」
『今日のアウレディオ様』を見るために、早めに店を後にしたマチルダとミゼットにはうしろめたかったが、「だったら二人も、一緒にお城に連れていく?」とフィオナに尋ねられれば、エミリアには首をぶんぶんと横に振るしかない。
(ごめんなさい、マチルダ、ミゼット……本当にごめん!)
心の中で手をあわせている間にも、うしろめたさの原因となっている人物は、この場所にやってくるはずだった。
一点を見つめ、何事かを考えているふうだったフィオナが、エミリアの耳にはまだ何の物音も聞こえない時期に、瞳をキラリと輝かせて断言する。
「どうやら来たみたいよ」
「そ、そう?」
窓に駆け寄りガラスに頬をくっつけて、懸命に耳をすましていると、たくさんの足音と奇声が遠くから近づいてくる音が、ようやく窓の外、エミリアにも聞こえ始めた。
「本当だ……」
エミリアが呟くのと同じくらいの速さで、騒音は窓の向こうの大通りを通過し、店舗の入り口付近まで近づいて、ピタリと止まる。
「きゃあああ」
「アウレディオさまぁ!」
店舗の正面扉を開けて、アマンダの店に入ってきたアウレディオは、背後で響く黄色い声には一切ふり返りもせず、後ろ手にガシャンと扉を閉めた。
「あいかわらず、大騒ぎなこと」
挑発的な視線を投げかけたフィオナには一瞥もくれず、真っ直ぐにエミリアに向かって歩み寄る。
「ちょっと……」
失礼な態度に眉を寄せたのはエミリアばかりで、フィオナはそんなことにはまったく頓着しなかった。
ただただ無表情にアウレディオを見ている。
アウレディオは二人の目の前に、すっと一枚の紙切れをさし出した。
「これに申しこんだからな」
それは街で時折配布される、木版刷りの印刷物だった。
『エテルバーグ王国の王都、このリンデンで、まもなく年に一度の感謝祭が催される。それに伴い城を警護する衛兵を増員する。腕に覚えのある者はこぞって応募されたし。管轄は近衛騎士団。担当は近衛騎士ランドルフ・ウェラード』
「これって……!」
蒼白な顔をしてわなわなとわら半紙を握りしめるエミリアに、アウレディオは顔色一つ変えずに言い放った。
「エミリアはエミリオ。フィオナはフィリス。明日から俺と三人揃って、お城の見習い衛兵だ。いいか、少なくとも目的を果たすまでは、女だなんてバレないでくれよ」
「どどどどうしてぇ?」
心臓が口から飛び出しそうな思いで、エミリアは叫んだ。
(フィオナに手伝ってもらうだなんて、私ディオに言ってない! なのにどうして? それも近衛騎士団直轄? しかも担当ランドルフ様? ……まさか……まさか!)
口もきけずに震えるばかりのエミリアに背を向けて、アウレディオは、もうさっさと部屋から出ていこうとしている。
「ずいぶん手回しがいいのね」
フィオナの呟きには、今度はサッと片手を上げる動作だけで返事した。
扉を開く直前に立ち止まり、もう一度だけ最後にエミリアをふり返る。
「ランドルフ様は時間に厳しい方なんだそうだ。少しでも心証を良くしたいんだったら、くれぐれも集合時間にだけは遅れないでくれよ」
何かを含んだような表情で言いたいことだけ言うと、そのままエミリアの返事も待たずに行ってしまった。
「私……私……ランドルフ様の話なんて、一言もしてないのに!」
エミリアの叫びに感慨深く頷きながら、フィオナは艶やかな黒髪をサラッと一房、耳にかけた。
「やっぱり……さすがオーラの見えない男。侮れないわ……」
エミリアは泣きたいような気持ちで、フィオナにすがりついた。
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