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エミリアとフィオナが急な用事でしばらく店を休むという申し出にも、アマンダ婦人は眉をしかめはしなかった。
「ああ、いいよ。その代わり、そのあとたっぷりと働いてもらうからね」
商人魂を感じさせる不敵な笑顔に、今後の不安を感じずにはいられなかったが、太っ腹な心意気には深く感謝する。
期待と不安に胸を高鳴らせながら、エミリアは翌日さっそく、フィオナと共に城へと向かった。
アウレディオに指示されたとおり、男物の衣服に身を包み、腰には露天で買った木製の剣までぶら下げていると、少年に見えると言えなくもない。
しかしこれから憧れの人に会うというのに、着飾るどころか男装のエミリアは、そんな自分を嘆かずにはいられなかった。
「いくらなんでも、私たちだってもう十七歳なんだし……すぐにばれると思うんだけど……」
ため息を吐きつつ何度もくり返すエミリアに、
「そう? でも意外と似あってるわよ?」
フィオナはあまり歓迎したくはない誉め言葉を返してくれる。
「そうかな……無理があると思うけどな……」
「私はね。でもエミリアは大丈夫」
「そ、それってどういう意味?」
城へと続く跳ね橋の前に集まったさまざまな年齢の男たちが、叫んだエミリアに一斉に注目したところで、横から伸びてきた大きな手が口を塞いだ。
「バレたくないと思ってるんだったら、せめて小声で話すか、女っぽい口調にならないように気をつけるかぐらいはしてくれ」
呆れ気味に耳元近くで囁かれた声に、エミリアの心臓はドキリと跳ねた。
しかしその後に続く、甘い雰囲気とはほど遠い内容の言葉が、いっきにエミリアをいつもの正気に戻す。
「黙っていればなんの心配もいらない。お前は立派な男だ、エミリオ」
「…………!」
目を剥くエミリアの顔をのぞきこんで、アウレディオは一瞬、まるで子供の頃のような屈託ない笑顔を、良く整った顔に浮かべた。
「ディオ! あなたね……」
その笑顔にもだまされることなく、抗議の叫びを上げようとしたエミリアだったが、ふいに背後から響いた声に、言葉はおろか体までもが凍りついた。
「急な呼びかけだったのに、こんなに多くの人が応じてくれたのか……ありがたいことだ……!」
頭上から降ってくる落ち着いた穏やかな声。
エミリアはドキンドキンと高鳴る胸を押さえながら、ゆっくりと背後に立つ声の主をふり返った。
そこに立っていたのは、深緑色の制服に身を包んだ、涼しげな目元の近衛騎士――エミリアの憧れのランドルフ――その人だった。
短めに刈りこまれたこげ茶色の髪に、灰青色の理知的な瞳。
広い肩幅も、がっしりとした体型も、年齢はそう変わらないとこいうのに、アウレディオよりもはるかに大人っぽく男らしい。
(ああ……ランドルフ様って、間近で見るとこんなに背が高かったんだ……)
日頃小さな額絵にそうしていたように、まじまじと彼の姿を見てしまうエミリアを、フィオナが肘でつついた。
(はっ! 私ったら、いくらなんでもこんなにじろじろ見るなんて……!)
自分の無意識の行動に恥じ入って、エミリアは首筋まで真っ赤になった。
穴があった入りたいとはまさにこんな気分である。
一気に脈拍が急上昇する。
「諸君、ご協力に感謝する。簡単な手続きが済んだら、警備を担当してもらう地域に案内するので、係りの者のあとについて行ってくれ」
ランドルフの言葉に従って、三人の近衛騎士が前に進み出た。
(なあんだ、全員がランドルフ様の担当ってわけじゃないのね……)
がっくりと拍子抜けしたエミリアだったが、それよりも先に心配しなければならないことに、はたと思い当たった。
(手続きってことは……やっぱり身元調査や身体検査みたいなことがあるんじゃないの? どうするのよ!)
ところが同じように困る立場のはずのフィオナは、いつもどおり実に落ち着いた態度で平然としている。
「何の問題もない。全然大丈夫だ」
再び隣で囁かれたアウレディオの声に、エミリアはこぶしを握りしめた。
(大丈夫なわけないでしょう! ……ディオったら絶対に面白がってる!)
しかし実際にアウレディオの言った通り、何の問題も起こらなかった。
口頭で簡単な身元調査をおこなった役人は、エミリアが女ではないかと疑うようなことはまったくなく、むしろチラチラとアウレディオばかりを気にしていた。
(そうですか。ディオのほうが見目麗しくて、私よりもよっぽど気になるってわけね……!)
わかりきっているはずのことを改めて再確認させられて、エミリアは落ちこみを通り越して開き直った。
しかし何の問題もなかったエミリアとは違い、フィオナはというと、その華奢さと透きとおるような肌の白さで、不審というより心配という意味で役人に見咎められた。
「それほど大変な仕事じゃないが……でも、坊や大丈夫か?」
「大丈夫です」
無表情に即答するフィオナの白い顔は、確かにエミリアの目から見ても、肉体労働に向いているようには見えない。
助勢に向かおうか、と考えるエミリアの視界の隅を、深緑の制服が通り過ぎた。
「感謝祭のためにと、せっかく来てくれたんだ。体力に不安があるようだったら、私の担当下に置いて気をつけるようにするから、合格にしてやってくれ」
ランドルフだった。
息を呑むエミリアの目の前で、フィオナの顔をのぞきこみ、
「衛兵の仕事がやってみたくて来てくれたのだからな。ありがとう」
穏やかな笑顔で語りかける。
エミリアはぎゅうっと心臓を鷲づかみにされたような気がした。
(なんて優しいの! やっぱりランドルフ様は騎士の中の騎士だわ!)
悦に入るエミリアに、フィオナがすっと指を向ける。
「お兄ちゃんと一緒に来たんだ。担当も一緒がいい」
ランドルフの灰青色の瞳が、フィオナの声に従って、エミリアへと向けられた。
永遠とも思える一瞬――エミリアの中では時間が止まる。
(ランドルフ様が私を見てる!)
紅潮していく頬を気にするまでもなく、その幸せな瞬間はすぐに終わりを告げた。
しかしエミリアにとっては、そのあとしばらく動けなくなるくらいの至福のひと時だった。
「そうか。では二人は私の担当に入ってもらう。ついて来てくれ」
夢見心地のエミリアをハッと現実に返らせたのもまた、ランドルフの落ち着いた声だった。
(わ、私の担当……ランドルフ様になっちゃった!)
機転を利かしたのか、それとも初めから計画していたことだったのか、アウレディオと密かに頷きあっているフィオナのおかげで、エミリアは憧れの人についに一歩近づいた。
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