第二章 秘密の任務と憧れの騎士

「エミリア。昨日、何かいいことでもあった?」


 翌日、アマンダの店に着くとすぐに、エミリアはフィオナに尋ねられた。

 全てを見通しているかのような大きな黒い瞳が、店舗へ入ってきたエミリアを、奥の作業部屋から真っ直ぐに見つめてくる。


「オーラがすごく良い色をしてるわ」

 フィオナ特有の表現に、隣に座って作業をしていたマチルダは、ふうっと息を吐いた。


「また始まった……」

 言い方はあまり友好的ではないが、マチルダはフィオナを快く思っていないわけではない。


 その証拠に、フィオナへと若干体を向けながら、これからドレスになるはずの服地に待ち針を打ちつつ、問いかける。

「それで? どこがどんなふうに良いのよ?」

 


 それは、今まで多くの人間が「気味が悪い」とフィオナを敬遠する様子をずっと目の当たりにしてきたエミリアから見れば、かなり仲のいい関係と言ってもよかった。


 フィオナも、マチルダに少しは心を許しているらしく、軽く具体的な解説を始める。

「そうね……いつもの白い光に黄色が混じって……」


「ふーん」

 ちゃんと聞いているのかいないのか。

 膝の上では着々と仕事を進めるマチルダに遅れをとらないようにと、エミリアも慌てて自分の椅子に座った。


 昨日やりかけの仕事を、ミゼットに取ってもらっていると、フィオナがいきなり話の矛先を、エミリア本人に向けてくる。

「でも、嬉しいばかりじゃなさそう。困ってる感じもあるのかしら?」 


 昨日から密かに抱えていた複雑な心境を見事に言い当てられて、エミリアは思わず大声で叫んだ。

「そう! そうよ! そうなのよ!」


 藁にもすがりたい心境だったエミリアは、昨日母に教えてもらい、これから自分が手伝わなければならない『母の仕事』の内容を、差し障りがない程度に仕事仲間たちに語り始めた。

 もちろん、エミリアの母が実は天使だったなんて、とんでもない事実は秘密で――。




 昨日あれから、楽しい午後のティータイムに母がしてくれた話は、思わずエミリアが悲鳴をあげずにいられないような内容だった。


「一口に天使と言っても、その数は人間ほども多くて、いろんな階級にわかれているの。特に能力に優れていて、神様の近くに仕えることを許されているのが大天使。天使を束ねる立場の人たちね……主な大天使は七人いるけれども、中でも有力なのが四方を受け持つ四大天使――ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル。この四人は遥かな昔から、地位と役割をその名と共に、子から孫へと受け継いできた。でもその中の一人――ミカエルの後継者が十七年前に行方不明になってしまったの……どうやら人間界に落ちてしまったというところまではわかっているんだけど、どこにいるのか、今どんな姿になっているのかも全然わからない……」


 母の話を、まるでお伽噺でも聞くようにふんふんと聞き流していたエミリアは、『十七年前』という言葉に、半分閉じかけていた目をパチッと開いた。


「お母さん! もしかして十七年前に、その『ミカエルの後継者』とやらを捜しに、人間界に来たの?」


 いかにも興味なさげな娘の態度を、内心心配に思っていたらしい母は、エミリアからの質問に、心底ホッとしたように微笑んだ。

「そう! そうなの! それがお母さんの仕事だったの!」


「だけど失敗したってことは、その時は見つからなかったってことだな?」

 それまで黙って話を聞いているだけだったアウレディオが口を開いたのも、よほど嬉しかったらしい。

 

 母はブンブンと音が鳴るほどに激しく首を縦に振りながら、ご機嫌で答える。

「そう! それで今回また捜すことになったんでーす」


 語尾を伸ばすほどに上機嫌なのは良かったが、エミリアにはどうしても腑に落ちないことがあった。

「でも、どうしてそこに私の助けが必要なの?」


 その質問はどうやら、母にとってはかなり痛いところを突くものだったらしい。

 急に挙動不審にそわそわし始め、綺麗な翠色の瞳を宙に泳がせて、言い淀む。

「それは……エミリアが私の娘だから……」


「…………? さっぱりわからないよ?」

 首を捻るエミリアに、どう説明したものかと困る母に、アウレディオが助け舟を出した。


「天使は大勢いるんだろ? なのにどうしてリリーナは一人でミカエルを捜してるんだ? ひよっとして他にも、人間に紛れてミカエルを探してる天使がいるのか?」


 もしそうだとしたら、隣にいる人を見る目も変わってしまいそうな問いかけに、母はきっぱりと首を横に振る。


「いいえ。ミカエルを捜してるのは私一人よ。大勢で来たってミカエルは見つからないもの。私じゃないとわからないの……私は神に選ばれた『聖なる乙女』だったから、必ずミカエルに惹かれて恋をするはずだったの……」


 思わずエミリアとアウレディオは顔を見あわせた。

 言った母のほうは、赤くなった頬を両手で押さえて恥らうように俯く。


「本当に私の初恋はミカエルだったの。行方不明になってるミカエルのお父様のミカエルね。だから私ならきっと見つけられるだろうって、神様もお思いになったんでしょうけど……私はもっと大切な人を見つけてしまった。そして、ミカエルを連れ戻す術もなくしてしまった。だけど、私の娘のエミリアなら……」


「ど、どうしてそこで、私の名前が出てくるの……?」

 嫌な予感に、エミリアは体中から変な汗が噴き出してきそうだった。

 ドクンドクンと鳴り始めた心臓を必死に落ち着かせながら、じっと母を見つめる。


 母も思い詰めたように、翠色の大きな瞳に涙をいっぱいに溜めながら、エミリアの顔を見つめ返した。

「『血筋』よ……我が家の血筋は、必ずミカエルの血筋に惹かれる……それはもう、何十代も前の先祖からずっとそうなの……だから……」


「私ならミカエルに恋するかもしれないってわけ?」

 思わず突き放すような言い方になってしまったと、エミリアが後悔した時にはもう遅かった。


 母の大きな瞳から真珠のような涙が零れ落ちる。

「だってそれは絶対にそうなのよ……」


 しまったと思いながら、ソファーから腰を浮かすエミリアに、隣に座るアウレディオが射るような視線を投げてくる。


(わかってるわよ……私だって泣かすつもりなんてなかったんだから……)


「お母さん……」

 何と言って慰めたらいいのだろう。

 困りきっているエミリアに、母は思わず誰でも抱き締めてしまいたくなるような、儚げな泣き顔を向ける。


「ごめんね、エミリア……でも他に方法がなくって……」

「う……うん……」


 天使の泣き顔と、アウレディオの非難の視線に挟まれ、エミリアはかなりの窮地に追いこまれていた。

 こうなると、この場を収めるため、必ずしも本意ではない言葉をひとまず口にするしかない。


「わかった……私、協力するから……」


 先に手伝うと宣言してしまった手前、どうせ今さら断ることもできない。

 それは、一度約束したことは守りとおすというエミリアの信条に反する。


(結局、やるしかないんだから!)


 半ば諦め気味に目を閉じたエミリアに、母は泣きながら駆け寄ってきた。

「エミリア!」

 長い金髪をふわりと翻らせて、エミリアの首に抱きつく。

 エミリアもその背中に腕をまわした。 


(時々、どっちが母親でどっちが娘だかわからなくなるよね……)

 小柄な母と抱きあいながらそんなことを思っていた時には、エミリアは実はまだ、事態の深刻さの半分も知らされてはいなかった。


 残る重大な半分は、アウレディオが何気なく漏らした次の一言で明らかになる。

「ところで、仮にそれらしき人物を見つけることができたとして……その先はどうするんだ? 天使かどうか確かめる方法なんて、何かあるの?」


 ハッとしたように、母はそれまで縋りついていたエミリアの顔をふり仰いだ。

 何かを懇願するような憂いを帯びた瞳の煌きに、エミリアは嫌な予感がした。


「ええ、あるわ。人間界で天使は姿を変えているけれど、それを元に戻してしまう方法が一つだけあるの……」


「…………?」

 なぜ母はこんなにも自分の顔を見つめるのだろう。 

 エミリアが不思議に思いながら首を傾げた時、母は意を決したかのように、その方法というのを口にした。


「『聖なる乙女』がキスしたら、天使は元の姿に戻るの。私はもう結婚してしまって『聖なる乙女』じゃなくなったけど、天使の地位と役割は親から子へと受け継がれていくものだから……だから……」

 もの言いたげな視線はそのまま、エミリアへと注がれ続ける。


「なるほどな」

 ため息を吐きながら呟いたアウレディオを、エミリアはふり返った。


「え? 何? ディオわかったの?」

 アウレディオは、呆れたような、それでいて哀れむような視線をエミリアに向けた。


「……エミリア。お前が『聖なる乙女』として、そのミカエルとかいう奴にキスするんだよ」

「は?」


 あまりの内容に、エミリアの頭が言葉を理解することを拒絶する。


「な、な、なんですってええ!」

 たっぷり三秒間はそのまま固まったあと、大声で叫んで後ろに飛び退ろうとしたエミリアの体を、小柄な体には似あわないほどの力で、母が抱きすくめた。


「ごめんね……ごめんなさいねエミリア……」

 ハラハラと涙を零しながら何度も謝られたら、嫌だと暴れることも、逃げ出すことも、エミリアはどんどんできなくなっていく。


「う……うん。お母さん」

 アウレディオが人の悪い笑みを漏らす気配を、隣にひしひしと感じながら、母の華奢な背中を宥めるようにさすり、引きつった笑顔でそう答えるのが、エミリアのせいいっぱいだった。

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