5
家が隣同士なのだから帰ってから渡せばいいのに、アウレディオは毎日、カラになった弁当箱をわざわざエミリアの仕事場近くの大聖堂の前まで持ってくる。
いつも決まった時間にアウレディオが佇むその場所は、今では夕方のリンデンの街の、ちょっとした名所になりつつあった。
大聖堂の石段の前で、何をするでもなく広場や街の様子を眺めているアウレディオは、確かにエミリアの目から見ても絵になる。
スラリと長い手足。
ごく普通のシャツとズボンを着ているのに、とても仕立てがよく見えてしまう姿勢のよさ。
どことなく漂う気品。
憂いを帯びた横顔。
エミリアの幼馴染でお隣さんの少年は、全てを精密に計算されたかのように整った容姿をしている上に、とても人の目を惹く独特の雰囲気があった。
心持ち壁にもたれかかるようにして立つアウレディオの姿を、夕焼けの中で一目見た女の子は、決まってもう一度見たいと願い、足しげく毎日その時間、その場所に足を運ぶ。
噂が噂を呼んで、夕方の大聖堂前に集まる女の子たちの数は、いまや日曜日の礼拝にも負けない数に膨らみつつあった。
そんなアウレディオの待ちあわせ相手として、エミリアはいつも、突き刺さるような非難の視線を一身に浴びていた。
しかし、他の人に対するのと同じように、エミリアに対しても、アウレディオの態度はあまりにも素っ気ない。
その上、思い余ってエミリアに危害を加えようとした女の子を、アウレディオが情け容赦なく、街の役人に突きだしたこともあった。
その対応に恐れをなしたのか、今では誰もアウレディオの前で、エミリアに文句は言わなくなった。
しかしそれほどのことをしても、『今日のアウレディオ様』を一目見たい女の子の数が、いっこうに減らないばかりか増えるいっぽうなのが、エミリアには信じられない現実である。
そのアウレディオが、いつになくエミリアの仕事場までやってきた。
それ自体でもかなりの驚きだったが、エミリアにもっと大きな衝撃を与えたのは、いつもとはあまりにも違いすぎる、アウレディオの様子だった。
きつく真一文字に結ばれていることの多い唇が、わずかにだが口角を上げて、微笑みのようなものを作っている。
庭いじりを仕事としているため、ほとんど一日中外にいるわりには色白の頬は、走ってきたからなのかほんのりと赤く染まって艶っぽい。
淡い金髪の前髪の下で、見え隠れしている大きな蒼い瞳は、隠しきれない喜びにキラキラと輝いていた。
『どんな時でも眉ひとつ動かさない』と形容されることの多いアウレディオの変貌ぶりに、エミリアは思わずドキリとした。
聖堂の前からアウレディオを追いかけてきた女の子の一群も、思いがけず一番間近で対峙することになったマチルダとミゼットも、つられて思わず部屋にやってきたアマンダ夫人も、みんな固唾を飲んでアウレディオの次の行動を見守っている。
窓の近くにエミリアの姿を見つけたアウレディオは、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
妙な迫力と気迫のこもった力強い歩みに、エミリアは思わず逃げ腰になる。
気持ちは懸命に逃げようとしているのだが、アウレディオの深く澄んだ蒼い瞳に魂を絡めとられてしまったかのように、体のほうはエミリアのいうことをきかない。
「な……何? ……どうしたの?」
やっとの思いで絞りだした声を無視して、アウレディオはエミリアにグググッと顔を近づけた。
「きゃああああ!」
案の定、背後で沸き起こる悲鳴の山などには、まるでおかまいなし。
「……リリーナが帰って来たんだろう?」
何年ぶりかで間近に見たアウレディオの端正な顔に目を奪われていて、エミリアははじめ、何のことを言われたのかよくわからなかった。
「え?」
しかししばらくして、ようやく言葉の意味を理解すると、ついさっきまでドキドキと脈打っていた心臓が、あっという間に静まっていく。
「よく……わかったね……」
エミリアの声が微妙に低くなったことには、気がついているのかいないのか。
アウレディオは少し目を細めて、はにかむような表情を見せる。
「当たり前だ。エミリアのオムレツと、リリーナのオムレツじゃ、全然違う」
(ふーん、そうですか……)
高揚するアウレディオとは裏腹に、どんどん萎えていくエミリアの気持ち。
「きゃああああ!」
垣間見せた思いがけない表情のせいで、背後ではまたも悲鳴の嵐が沸き起こった。
(リリーナって……普通、幼馴染の母親を名前で呼ぶ? そりゃあ確かに、うちのお母さんは『おばさん』なんて呼び方、まるで似あわないけど……でも「全然違う」はさすがに失礼よね。仮にも今までずっとお弁当作ってくれてた人に対して……そりゃあお母さんのオムレツはふわふわで、私じゃとてもああは作れないけど……それでもお父さんは、おいしいよって言ってくれてるんだから……!)
考えるうちにだんだんと、何に対してだかはっきりとはわからない怒りが、ふつふつとこみ上げて来る。
そんなエミリアに向かってアウレディオは、よりいっそう瞳を輝かせながら、思いがけない一言を投げかけた。
「今日は一緒に帰ろう。そのままお前の家に行ってもいいか?」
「ぎゃああああ!」
背後で三度沸き起こる悲鳴。
しかも今までので最大。
突き刺さるような視線に命の危険を感じながら、エミリアはこっくりと頷いた。
「い……いいんじゃない……」
心の中では盛大に、本日二回目の脱力を感じずにはいられなかった。
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