フィオナと三人、家までの道を歩いているうちは、アウレディオは少し前を歩きながらむっつりと黙りこんでいるばかりだった。


 しかし長い坂道にさしかかってフィオナと道がわかれると、ポツリポツリとエミリアに質問を始めた。


 エミリアもごく簡単に、自分にわかるだけのことを答える。


 今朝起きたら、母が家に帰ってきていたこと。

 昨日までそんな話はなかったのに、父はまったく驚いていなかったこと。

 仕事に行く時間になってしまい、結局詳しいことは何もわからないまま出かけてきたこと。


「だから、家に帰ったらお母さんを質問責めにするんだから……!」

「……そうか」

 エミリアの決意は耳に入っているのかいないのか。

 少し前を行くアウレディオの歩調は、今にも踊りだしてしまいそうに軽い。


(そうだね。ディオにとっては、小さな頃からの憧れの人だもんね……)


 赤ん坊の頃に両親を亡くし、エミリアの家の隣に建つ大きな石造りの家に祖父と二人で暮らしていたアウレディオは、五歳の時にその祖父も亡くした。


 エミリアの持つ最も古い記憶とは、そのアウレディオの祖父の葬儀の光景である。


 日頃は人の出入りも少ない隣の邸に、その日は朝から大勢の人が集まっていて、それがなぜなのかもわからないエミリアは、大喜びではしゃぎ回っていた。


 しかしいつもは一緒になって走り回るアウレディオが、黒い服を着た大人たちに囲まれて、じっと佇んでいる様子を見て、(どうしたのかな?)と疑問に思う。


『一緒に遊ぼう。ディオ』

 どんなに誘ってみても、アウレディオはぎゅっと唇を引き結んだまま、静かに首を横に振るだけだった。


 あの日以来、アウレディオはお日様のように輝いていた笑顔を封印してしまった。

 何があっても表情を変えず、感情を表に出すようなこともめったにない。


 そんな彼が時折子供らしい表情を見せ、本当の母親のように慕っていた人物が、エミリアの母だった。


 母もまた、ひとりぼっちになってしまった隣家の小さな男の子を、実の子供であるエミリアと同じように可愛がった。


 最初にアウレディオに弁当を作り始めたのは、エミリアの母。

 それを引き継いだのがエミリア。

 だからアウレディオがひさしぶりの母の味に感動したのも、母が帰ってきたことをこんなに喜んでいるのも、エミリアにはよくわかる。


(わかってる……わかってはいるんだけど……)


 釈然としない思いを抱えながらぼんやりと歩いていたので、エミリアは急に立ち止まったアウレディオの背中に、思わずぶつかりそうになってしまった。


「どうしたの?」

 自分より頭一つぶんも背が高いアウレディオの肩越し、その視線の先をたどってみると、そこには他ならぬエミリアの母――その人が立っていた。


 腰まである長い金髪。

 真っ白でふわふわなドレスが良く似あう華奢で小柄な体。

 とても十七歳の娘がいるとは思えない、その若さと美貌。


 すれ違う人はみな、ふり返って母を見て行ったが、その中の誰にも負けないくらい紅潮した顔で、アウレディオも一心に母を見つめていた。


(そうだよね。やっぱり嬉しいよね……)

 なぜだかため息混じりにエミリアが心の中で呟いた時、二人の横を走っていった小さな男の子が、ちょうど母の目の前まで行ったところで、何かにつまづいて転んでしまった。


 大切に握りしめていた大きな鳥の羽根が、建物の間を吹き抜ける風に煽られて、見る見るうちに夕焼けの空へと舞い上がっていく。

 ひらひらと上空に上がり、通り沿いに並んだ高い木のてっぺんあたりに、ふわりと引っかかってしまった。


 泣き出した男の子を、母が慌てて助け起こしている。

 服についたほこりを払い、怪我をしていないかを確認し、おそらくは優しい言葉をかけてあげている。


 けれど、男の子が必死に指差している羽根だけは、さすがに母にもどうすることもできない。

 母は困ったように何度もあたりを見回していた。

 しかし男の子の連れの人も、手助けしてくれそうな通行人も、誰も通りかからない。


(お母さん、困ってる……)

 急いで駆け寄ろうとしたエミリアだったが、その時なぜか、ものすごい力でアウレディオに建物の陰にひっぱりこまれた。


「えっ? なに? どうしたの?」

 理由を尋ねようとした口も、華奢なわりには大きな手で、あっと言う間に塞がれてしまう。


 アウレディオは声には出さないで視線だけで、母のほうを見てみろとエミリアに促した。

 それに従ってゆるゆると視線を向けた先に見たものを、エミリアはこれから先、きっと一生忘れないだろう。


 はじめは夢かと思った。

 自分の目がおかしくなったのかとも思った。

 アウレディオが何か悪戯をしかけたのだろうか。

 それとも悪い冗談か。


 さまざまな可能性が頭に浮かんでは消えていき、もう何がなんだかわからなくなった時、エミリアはアウレディオの手をふり解いて建物の陰から飛びだしていた。


「お母さん!」


 母は空を飛んでいた。

 それも背中に生えた真っ白な羽をはばたかせて。

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