カラーン、カラーン、カラーン。


 夕刻を告げる鐘の音が、夕焼けに染まり始めたリンデンの空に響く。

 鐘楼があるのは街の中央に位置する大聖堂。

 そのすぐ裏手の大通りに、エミリアが勤める仕立て屋――『アマンダの店』はあった。


「おや、もうこんな時間かい? こうしちゃいられない。腹をすかせた旦那が帰ってきちまうよ……マチルダ、エミリア、フィオナ、ミゼット。あんたたちも切りのいいところでやめて、今日はもうお帰り」


 恰幅のいい店主――アマンダは、見た目以上に太っ腹な気前のいい女性だ。

 城の衛兵として働く主人をしっかりと支えながら、この小さな仕立て屋を切り盛りしている。


 色とりどりの服地と最新型のドレスを着せたトルソーが並ぶ店舗。

 その奥に四人の少女たちが仕事に励む作業部屋はあった。


 椅子に座り黙々と針を動かしていたエミリアは、アマンダの呼びかけに、すぐに今やっている仕事を仕上げにかかった。


「ふーっ、今日も肩が凝ったぁ」

 大きく伸びをしながら、真っ先に椅子から立ち上がるのは、いつも決まって一番年長のマチルダ。

 パッと目を引く赤茶色の髪に華やかな目鼻立ちのマチルダは、手際よくこなす仕事ぶり同様、性格のほうもきっぱりはっきりしている。


「ミゼット、まだ? 早くしないと私だけ先に帰っちゃうわよ?」

 布地の上に覆い被さるようにして襞飾りをこしらえていた、ぽっちゃりとした色白のミゼットは、慌てて顔を跳ね上げた。


「やだ……もうちょっとだから、待ってよ……」

 同じ方角に家がある二人は、いつも連れ立って店から帰っていく。


 エミリアも、自分と一緒に帰る予定のフィオナにひと声かけた。

「ごめんねフィオナ。私ももうちょっとかかりそう……」


 ちょうど真向かいの椅子で、背もたれにももたれずピンと背筋を伸ばしたまま、神業のような速さで裾かがりをしていたフィオナは、大きな黒い瞳でついとエミリアを見つめた。

「ええ、かまわないわよ」


 綺麗に整った顔を崩すこともなく、エミリアを見つめ続ける間も、フィオナの手は止まらない。

 次々とドレスの裾かがりを終わらせていく。


(すごい……すごいよフィオナ!)

 裁縫は得意だと自負するエミリアでも、もし同じ仕事をやったとして、とてもフィオナほどは数をこなせないだろう。

 しかし――


「ちょうどあと三着で明日までの割り当てぶんが終わるわ。今日中に仕上げたなら、明日はずっと寝ていられるから……」

 フィオナは、もっとがんばろうとか、もっと上を目指そうとかいう向上心とは、およそ無縁なのである。


 アウレディオ同様、エミリアにとっては学校に入る前からの幼馴染なのだが、彼女が積極的に何かをやっている姿というのを、エミリアはこれまで見たことがない。


『だって、余計な仕事が増えるのは嫌だもの』

 淡々と答えるフィオナに、エミリアはいつも首を傾げたものだった。


『そう? もったいないな……フィオナはいろんなことが上手なのに……もし私がフィオナだったら、もっともっとってどんどんがんばっちゃうなぁ……』


 そのたびにフィオナは、およそエミリア以外には見せることのない優しい眼差しで、小さく笑ってみせた。

『エミリアはそれでいいのよ……それがあなたのいいところ。でも私は、やらなくていい仕事が増えるのは、真っ平ごめん』


 アマンダがおおらかであまり口うるさくないという理由だけで、フィオナはこの店で働くことを決めた。


 針仕事が好きなエミリアも、勤め先を選ぶ際、リンデンに何件もある仕立て屋の中で敢えてこの店を選んだのは、フィオナと一緒だからという理由も大きい。

 とっつきにくく、近寄りがたいと言われるフィオナだが、昔からエミリアに対してだけは優しかった。


「なに? どうかしたエミリア? オーラの色が変よ?」

 ぼうっとフィオナの手元を見たまま考えごとをしていたエミリアは、弾かれたようにハッと再び手を動かし始めた。


「ううん、なんでも……ちょっといろんなことを思い出してただけ……」

「そう?」

 手は作業を続行しつつ、いまだにエミリアの顔を凝視し続けるフィオナには、隠しごとはできない。

 なぜなら彼女には不思議な特技があるのだ。


 さっき本人が口にしたとおり、人間の肉体の周りに放出される霊気の塊――オーラから、相手の人柄や行動、今の精神状態まで分析してしまう。


 気味が悪いと敬遠する者も多いが、フィオナはそんな非難の言葉にはまったく動じない。


『構わないわ。あんな色のオーラの人と、友だちでいたいわけでもない』

 あっさりと切って捨てる潔さは、エミリアにとってうらやましくもあり、残念でもあった。


(フィオナは本当に魅力的なんだから、自分から遠ざけたりしなければきっともっとたくさん友だちだってできてるはずなのに……)

 エミリアが今心の中で考えていることも、きっとフィオナには全てお見とおしだろう。


 その証拠に、黒い瞳を瞬かせて、「別にいいの。あなたがいるから」と、小さな頃から何度も聞かされた言葉を口にする時のような、優しい顔をしている。


 嬉しいような、気が咎めるような気持ちで、エミリアも曖昧な微笑みを顔に浮かべた時、窓の向こうの大聖堂のほうから、きゃあっという歓声が聞こえた。


「どうやらお出ましのようよ」

 フィオナの淡々とした声と同時に、ぽっちゃり体型のミゼットが椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がる。


「どうしよう……私まだ全然準備できてない……!」

「いいから! 早くっ!」

 ミゼットのふくよかな腕を掴んで、マチルダは髪をふり乱して扉へと向かった。


 その背中に目線は向けないながらも、声だけでフィオナが言い放つ。

「その必要はないわ。もうすぐここまでやってくる」


「えええええっ!」

 目を剥いてふり返ったマチルダたちばかりではなく、エミリアも驚愕して思わず椅子から立ち上がった。


「そんなはずないわ。だっていつもは大聖堂の前でって……!」

 焦るエミリアについと目を向けると、フィオナはエミリアにだけわかるような、どこか面白がっているふうの表情になる。


「そうね。でも今日はここまでやってくる。ほら……」

 言葉の途中で窓の外に目を向けたフィオナにつられて、店の前の大通りに視線を巡らしたエミリアは、確かにそこを走り抜けていく淡い金髪を見た。

 地面を揺るがすように足音を轟かせて、そのあとを追いかけていく華やかな女の子たちの大群も。


「そんな! ……だって……待って……!」

「もう遅い」

 うろたえるエミリアに向かって、フィオナが無情な一言を告げる。


 その瞬間、マチルダとミゼットが開こうとしていた作業部屋の扉が、勢いよく反対側から開かれた。

「エミリア!」


 凛としたよくとおる声と共に、部屋に駆けこんできた人物を見て、「きゃあああああっ!」と黄色い歓声をあげて手と手を取りあったマチルダとミゼットにも負けないほどに、エミリアは驚いた。


「ど、どうしたの……ディオ……?」

 そこにはリンデンの街の貴公子とも称されるアウレディオが、肩で大きく息をしながら立っていた。

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