3
毎朝の日課どおり。
自分の身支度が終わるとすぐに隣室の父を起こしに向かったエミリアは、扉を軽く叩いてみても中からなんの返答もないことに、首を捻った。
わりと寝起きが良い父は、いつもだったらすぐに、「やあ、おはようエミリア。今、目が覚めたよ」と返事をくれるはずなのだが、今日は少し待ってみても返事がない。
おかしいなと思いながら、もう一度叩いてみる。
トントントン。
やはり応答なし。
ひょっとしたら具合でも悪くしているのではないかと、焦ったエミリアは慌てて扉を引き開けた。
しかし、いつもどおりきちんと整頓された寝室のどこにも、父の姿はなかった。
「……お父さん?」
急いで部屋から飛び出し、その時になって初めて、エミリアは階下から話し声がすることに気がついた。
(なんだ。お父さん先に起きてたんだ……)
ホッとしたけれども、何かが心に引っかかる。
父は確かに寝起きは良いが、それは誰かに起こしてもらった場合の話。
一人で起きるとなるとそうはいかない。
だからこそ、結婚してからはずっと母に起こしてもらっていたのだし、母がいなくなってからは、その役をエミリアが引き継いでいた。
(……そのお父さんが一人で起きてる?)
有り得ない状況に首を捻りながら、エミリアは階段に向かった。
木の手摺りを掴みながら一段一段下りていくと、途中でふいに、プーンと好い香りがしてくる。
(うーん、いい匂い……あれ? これってなんだろう……?)
クンクンと鼻を動かしながら、匂いを胸いっぱいに吸いこんでみる。
その途端、昨日の夕刻のアウレディオの顔が、パッと脳裏に閃いた。
「明日はオムレツが食べたい」
言い方はいつもどおり無愛想この上なかったが、普段は何を作っても黙って空の弁当箱を返すだけのアウレディオが、珍しく料理の希望をくれたことが嬉しくて、(よしっ、明日はオムレツを作ってあげよう!)などと、エミリアはまるで母親のようなことを思ったのだった。
「そうっ! オムレツよ。オムレツ!」
さっきからなかなか思い出せなくて、もやもやしていたことの答えが偶然にも見つかって、エミリアはすっかり嬉しくなった。
しかしすぐさま、もっと大きな謎に首を傾げた。
(待って……? オムレツ……誰が作ってるの?)
もちろん父のはずはない。
父が卵ひとつ上手に割れない人だったからこそ、エミリアが若干七歳にして料理の担当となり、朝夕の食事はもちろん、隣のアウレディオのぶんまで三つも、毎日弁当を作る係りになっているのだ。
(……じゃあ、いったい誰が?)
大急ぎで階段を下りて、台所に駆けこんだ瞬間に、その答えはあまりにも簡単に見つかった。
その人はまるで昨日までもこの家にいたかのように、ニッコリと優雅にエミリアに向かって笑いかけた。
「あらっおはよう、エミリア」
朝陽を背に受けて黄金色に輝く長い髪。
小さな白い顔。
まるで女神のような神々しいほどの微笑み。
(……そ、そんな……まさか……?)
幻を見たのかと、エミリアは何度もごしごしと目を擦ってみたが、目の前の人物はとうてい消えそうにはない。
しかも、とっくに食卓についていた父のとろけそうに幸せな顔を見る限り、どうやら本物にまちがいらしい。
「おおおお母さんっ?」
驚きと衝撃と疑惑の思いがごちゃ混ぜになったエミリアの大声にも、母の極上の微笑みが崩れることはなかった。
「うん、そうよ。エミリア……た・だ・い・ま」
あまりにも緊張感のない、明るい無邪気な声。
十年間必死に張り続けてきた気力が一気に萎えてしまい、エミリアは台所の入り口に、ヘナヘナと座りこんだのだった。
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