第9話 廃人
4月まで後一週間足らずとなり、冬将軍が退散する時期となり、春の足音が近づいてきており、街中でダウンジャケットを着ている人間が少なくなってきているのだが、源治はグレーのダウンジャケットを着て、Q駅にいる。
(なんでこう寒いんだ……?)
源治は、暖かい中、厚着をしている人間はあからさまにやばい奴、不審者だなと自らを客観視して思っているのだが、何故か先日の晩からインフルエンザに罹ったかのような強烈な寒気に襲われてきており、一睡もできずに真冬用のダウンジャケットを取り出して着たのである。
スマホに着信があり、液晶画面を見やると、そこには御子柴からのLINEのメッセージが入っている。
『おはよう。これから迎えに行くけれども、どこら辺にいるんだい?』
『今Q駅にいますよ』
源治は御子柴にそう返信すると、これからの事が不安になってきたのか、タバコに火をつける。
(俺はこれからどうなっちまうんだ……)
覚醒剤を使用した人間の末路は悲惨であり、大抵の人間が体に染み付いた覚醒剤の強烈な依存性と副作用に負けてしまい再度手を染めるか、更生施設に入所して余生を送るのはほぼ確定しているのを源治は御子柴から聞いており、人生に絶望しきっている。
駅のベンチに腰掛け、タバコを吸っているとまたスマホに着信があり、液晶を見るとそこには美希からLINEが入っている。
『今何してるの?』
(余程暇なのかこの女は……?)
大学生ならばとっくに就職が決まっていてもおかしくない時期なのにも関わらず、未だに『ショットガン』でバイトしている美希を、何やってるんだろうなこの女は、どうせ風俗とか夜の店確定路線なんだろうかととため息をつき、スマホを操作する。
『これから、出掛けるんだよ。また後でね』
源治のLINEはすぐに既読になり、無料のスタンプで了解と返信が来、何故か源治は心なしかほっとする。
(俺は、この女と、心のどこかで一緒になりたいと思っているのか……? いや、水商売だし、第一俺なんかとか不釣り合いだろうし、そもそも俺の場合は覚醒剤中毒だから、いや、中毒じゃねえけど……その後遺症があってたまに幻覚とか幻聴とか聞こえちまったりするから、普通に付き合うなんざ無理、俺のような奴は見向きもされやしないだろう、どうせこの世の中の女は高学歴で高収入の男しか相手にしないんだ、俺のような低学歴のワープアなんざ無理、無理、無理……俺なんざ、場末のピンサロがお似合いなんだろうな。翔太のように、自分を盛って、出会い系アプリでもやろうかなあ……)
駅前を歩いてゆく、大学生ぐらいのカップルを見て、自分もあんな風になりたいという無い物ねだりの願望を源治は抱くのだが、糞親に覚醒剤を打たれてまともに生活する事が出来ない身体になってしまったという残酷な現実が襲い掛かり、酷く憂鬱な気持ちに襲われる。
今までの銘柄では憂鬱な気持ちを紛らわせられなくなってきた為、近所の自販機で一番重いタールとニコチンのタバコをバカバカと吸っていると、目の前に一台の、やや年季の入った黒の軽自動車が通りがかり、源治の目の前に止まる。
「源治」
車の中から、茶色のコーデュロイジャケットと白のワイシャツと紺のチノパン、革靴という、年齢相応のジャケパンスタイルの御子柴が出てきて、源治は慌てて煙草を灰皿に捨てて立ち上がった。
****
五十嵐春香は、刑務所から出所した後に、再び覚醒剤に手を染めると司法は判断し、すぐさま覚醒剤患者の更生施設へと入るように手続きが踏まれた。
Q町から車で一時間程の距離にある、森林豊かな郊外のV町に春香の入所している施設『ぜうすの家』は存在しており、そこに近付く度に源治の胸にモヤモヤとしたドス黒い『何か』が大きくなっていき、苛立ちを隠すかのようにして、タバコをバカバカと吸っている。
御子柴が運転する軽自動車は『ぜうすの家』の傍の駐車場に停まり、源治の胸のドス黒いものは更に大きくなり、源治の脳裏に、真っ黒いものが侵食してきている。
「源治、行くぞ……」
御子柴は、まだ未発達な人格の源治に鬼畜な所業を平気で行った母親に会わせるのは間違いなのではないのか、昔、親がいないというだけで差別の対象になり、ぶつけようのない怒りを周囲へと向け、度々流血沙汰、暴力事件を起こしては学校に呼び出された源治が春香に何かをしなければいいと不安に思いながら、受付へと険しい表情を浮かべている源治と共に足を進める。
源治は、これから、躾とはいえ決して、子供にはやってはならない、見せてはならないおぞましい行為を平然と行った春香とは会いたくはないのだが、正志が言った言葉が頭の中で甦り、どうせこの女はシャブ中でまともな身体ではなく、長生きできやしないし、もし仮に俺が会わなかったとしてだらだらと時が過ぎ、春香が死んでしまったら、糞親でも会わなかった事を一生後悔するんだろうなと思い、決意を固めて御子柴の後を歩く。
『ぜうすの家』は30年前にできた、薬物依存中毒者向けの更生施設であり、春香の他にも入所者はおり、協力し合いながら、自分の体に入って一生消えない薬物の副作用と闘っているのである。
建物はやはり年季が入っており、コンクリート製の建物は雨によるひび割れなどがあり、看板の文字も掠れている。
御子柴はインターホンを押して中の人間と一言二言を交わし、建物から鼈甲柄のメガネをかけた初老の女性が出てくる。
「初めまして、御子柴の姉です。弟からお話は聞いております……」
その女性はやや度が強い、ヴェリントンの眼鏡越しに源治を哀れみの目で見ながら、源治に名刺を手渡す。
(そんな目で見てんじゃねぇよ、この糞婆……!)
源治は、自分に同情の視線を浴びせるのだが、何かをくれるわけでもなければ、メリットになる事をしてくれない、至極当たり前の事なのだが、自分はそれなりに恵まれた地位にいて、自分のような社会弱者に愛の手をくれずに自分自身の社会的向上の為に、偽善だけでやっているように感じられる福祉関係に従事する人間に罵声や暴言を浴びせて殴り飛ばしたい気持ちに襲われるのだが、仮にも自分の恩師の姉なので、気持ちを表に出さずに名刺を受け取る。
『薬物依存者更生施設 ぜうすの家 施設長 柊木佳代子』
(ふーん、こんな偽善者の糞婆でも、一丁前に人様のお役に立ててるんだなあ……)
源治は、御子柴を除いた福祉関係の人間から冷遇された為、福祉施設の職員にはあまり良い印象を抱いていないのである。
「姉さん、春香さんのところに案内してくれ……」
御子柴は暑いのか、ワイシャツのボタンを外し、建物の中に入る。
「ふーん、この子が、あの事件の被害者ってわけね……これから、お母様と会わせるけれども、心の準備はできてますか? もし気分が悪くなるようであれば、日を改めて……」
「いえ、会わせてください。会ったら……」
『あの女を殺す』
そう言いたい気持ちを源治はグッと堪え、実の親と偽で固められた感動の再会を演出する為に面会を懇願する視線を佳代子に送る。
「ええ、分かりました……」
佳代子は源治の懇願を快く受け入れたのだが、御子柴は何か源治が企んでいるのではないかという疑心暗鬼に駆られる。
「おいおばさんよお、ヤクくれよ!」
部屋の中から、ガリガリに痩せこけて土気色をした、源治と同じ年ぐらいの若者が、下半身裸で小便を撒き散らしながら目をギラつかせて出てくる。
「拓ちゃん、部屋に戻りましょうね……」
佳代子を始めとするスタッフは、拓ちゃんと呼ばれる、明らかに薬物中毒者であるそいつの体を掴み、部屋の中へと戻していく。
その部屋を見て、源治は愕然とする。
部屋の中は、二重扉で窓は鉄格子がかけられており、薬物中毒の人間が薬物を求めに街に出ないように閉じ込めているのだが、半ば軟禁してるようなものなんだなと源治は目を背ける。
拓ちゃんはガラスを割り扉を出てきたのである。
「シャブくれよ! あれないと生きてる実感がわかねーんだよ!」
(薬やると、あんな風に社会道徳がなくなり、心身がめちゃくちゃになってしまうのか……てことは、俺も禁断症状が出たら、あんな風になるんだろうか……!?)
源治は拓ちゃんの様子を見て、将来的に自分は禁断症状により自制心を保てなくなり薬物に走るのか、それとも、廃人になってしまうのかと、人生が終わったかのような絶望に陥る。
「こちらです……」
佳代子は、複雑そうな表情を浮かべながら、源治達を奥の方の部屋へと案内する。
その部屋の扉を開けると、足を鎖で繋がれた、白髪の歯が抜けた女が口からよだれを垂らしながら明後日の方向を向いている。
「……え!?」
源治は目の前にいる女が一瞬誰かわからず、二度見をする。
「源治君の、お母様です……」
「……」
「ここに入所してから度々、向精神薬に手を出すようになり、手が付けられなくなって拘束しているのです……禁断症状が酷すぎるのです……」
「そうですか……」
源治は、近所のリサイクルセンターで購入したブランド物のバッグから、タオルに包まれた鈍く光る物体を取り出す。
「源治、お前……」
御子柴は源治の元へと慌てて体を向ける。
源治の手には、会社近くの100円均一ショップで購入した出刃包丁が握られている。
「……殺したる!」
「やめろ!」
源治は春香の元へと刃物を向けるのだが、御子柴が包丁を握りしめて制し、ポタリポタリと滴が地面に落ちていく。
「ひええ……や、やめましょうよ! 落ち着いてください!」
「警察呼びますよ!」
佳代子達職員は、殺気立っている源治をどうにかして止めたいのだが、ここで止めると自分が殺されかねないという自己防衛反応が効いてしまい、体が動かず、源治を制している御子柴の動向を気にしている。
「先生、やめてくれ、俺はこの人に人生をめちゃくちゃにされた! 子供が親を殺してどこが悪いんだよ!」
「馬鹿野郎!」
御子柴は血が滴り落ちる掌で、源治の頬を思い切り叩く。
「辛いかもしれないんだがな、生きるんだよ! 死んだらその時点で終わりだ! 悔しかった生きろ!」
「……」
「ねぇ……」
春香は、卑猥な顔つきを浮かべて、よだれを垂らし、猫撫で声で口を開く。
「ひょっとして、アンタ源治? ねぇ、立派になったわねぇ……」
「……」
春香の禁断症状が酷く、コミニュケーションが取れないと思っていた源治は、自分に気がついた春香をきょとんとして見つめる。
「私さあ、アンタに強くなる為に薬を打ってあげたし、筆下ろしをしてあげたんだから感謝しなさいよ、ねぇ……何よその目は? 実の子供は何したって構わないでしょう? また、しよっか……」
「あ……なんだとテメェ!」
「ヒヒヒ……う……ねぇ! どこよ、あんた! そこにいるんでしょ!? 助けにきてよ、私を犯そうとする黒い小人がいるのよ!」
春香は口から泡を吹き出して、そう言うと、地面にのたうち回り、慌てて職員が春香の体を押さえつける。
(この女は、もう終わりだ……! わざわざ殺すまでもねぇ……!)
部屋の中に、春香の、幻聴と幻覚に怯える叫び声だけが響き渡った。
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