第2話 日常

 部屋の外は太陽が燦々と光り輝いており、その光がカーテン越しに部屋の中に入って来て、室内気温が微増するのを、少年は安堵している。


 6畳半の部屋の中には、必要最低限の家具以外無く、この部屋の住民が怠け者で怠惰な生活を送っているのか、あちこちに、コンビニの弁当のゴミやお菓子の食べかす、空になったペットボトルが置かれており、奇妙な事に、そこには医療現場で限定的に使われている筈である注射器が置かれている。


 少年の体には内出血の跡とおぼしき青痣やタバコの火を押し付けた跡が点々と残っており、両乳首には安全ピンがつけられ、首と手首には変態プレイで使われる鎖が繋がれており、全裸である。


 扉が開くと、金髪でふくよかな20代前半の女性が淫靡な表情で入って来て、少年を恍惚の表情で見ている。


「ただいま、私のお犬ちゃん……」


 その女は、無抵抗な少年にキスをする。


 また扉が開き、そこにはモヒカンでライダースジャケットを着た、数十年前に流行った、核戦争後の世紀末の世界でツボを突いて戦う主人公が活躍する漫画に出てくる雑魚敵と似た格好をした筋肉質の男は何やら異臭がするコンビニのビニール袋を持ち、少年の前に差し出す。


「ほら、お前が大好きな犬の糞だ、たくさん食べろ……」


 少年は空腹に耐え切れないのか、地べたにしゃがみ、目の前に無造作に置かれた、幾ら飢餓状態に陥っても、人間としての尊厳で、決して食べてはならない、雑菌と寄生虫だらけの動物の排泄物を虫歯だらけの乳歯で、むしゃむしゃと食べており、その頭の上から、男は小便をかける。


「ほら、シャンプーだ!」


 生暖かい小便を飲んでいる少年にとってその味は、絶望の味である。


 ****


『ジリリリリ!』


「ううううう!……はっ」


 目覚まし時計の音と共に、源治は悪夢じみた、3歳ぐらいの少年が、頭がいかれている両親から、この世の仕打ちと思えない虐待を受けている夢を見てうなされて起きた。


(なんだよこの夢……また、かよ……!)


 ストレスが溜まると、必ずと言って良い程見る、悪夢と形容してもいい、奇妙な夢。


 先程の夢では、犬の糞を食べさせられ、小便を飲むのだが、つい半月前はお尻の穴にキュウリを入れさせられ、更にその一月前は、ゴキブリを生きたまま食べさせられた夢であった。


(クソッタレ、何でぇ、あの夢に出てくる変な男女はよお……! 何であんな小さな子供にあんな事をするんだ? 立派な虐待じゃねぇか……! しかし何で無性に、腹が立つんだ……?)


 その夢を見た後に源治は必ずと言っていい程に、底知れぬ怒りと恐怖の混沌とした感情に襲われ、得体の知れない苛立ちを抑える為に、絶望的な社会とうまく渡りあっていく為の必要不可欠なものである、市販の精神安定剤を10錠程飲み、煙草に火をつける。


 仕事が始まるまでは、後1時間もあり、少し落ち着いてから動き始めようと、源治は深呼吸をする。


 よろりと立ち上がり、気持ちを切り替えようとカーテンを開くと、陽の光と共に、ベランダには先程夢で見た、裸の男の子が死んだような目をしてじっと源治を見つめている。


「うわぁっ!?」


 源治は慌ててカーテンを閉め、再度恐る恐るカーテンを開くと、そこには何もない。


(一体何だったんだ……? 取り敢えず、会社に行こう……)


 陰鬱な気持ちを薬の力でかろうじて抑えながら、寝巻きがわりにきているグレーのスウェットを脱ぎ、スキニージーンズとグレーのシャツに着替え、源治は冷蔵庫を開けて、近所の業務用スーパーで安く買い叩いたコーヒーと菓子パンを出す。


 外では鴉が生ゴミを綴っているのか、ギャアギャアという不気味な声を上げており、薄気味悪いなと源治はため息をつき、コーヒーを口に運ぶ。


 ****


 一年前、雪が降りしきっていた真冬のある日、源治は最後の力を振り絞り、暴漢を払い除け、市役所へと辿り着いた。


「生活困窮者自立支援ナントカってやつを、受けさせてほしい……」


 極度のストレスで1日にして既に目が窪み、ほおが痩せこけていた源治を見て市役所の人間はすぐさま救急車を呼び緊急入院という形を取られた。


 数日後、元気になった源治の元に市役所の人間が訪れ、詳しく話を聞く事になり、生活困窮者自立支援制度を晴れて受ける事になる。


 生活困窮者自立支援制度は、生活困窮者のための受け皿の制度なのだが、その実態は国の財政が逼迫しており、生活保護を必要な人全てに受けさせる事が困難になってきており、防波堤としての制度であり、紹介する仕事は低賃金の軽作業といった、障害者がやる仕事しか無いらしいのだが、兎も角生活する為の資金が必要であった源治はどんな仕事でも良く、ケースワーカーと共に就労支援を受ける事になった。


 住むために必要な住居も期限つきでそれなりの収入がないと無理なのだが、日雇いの警備員の仕事が決まり、何とか人並みの暮らしが限定的になのだが営めるようになったのである。


 この男、五十嵐源治は相当に悪運が強いのか、たまたまハローワークで近場に大手寄りの中小規模のパン工場の製造工の正社員の募集があり、履歴書と職務経歴書は壊滅的だったのだが就労支援員と何度も書き直してそれなりに通用する書類を作り、面接を受けて、何度も転職を繰り返している源治に面接官は訝しげな表情を受かべていたのだが、たまたま欠員が2名出た知らせが入り、渋々即決で採用が決まったのである。


 辛うじて入った職場は、夜勤と早番は当たり前であり、残業も毎日のようにあり、それは常套句と化したサービス残業、勿論労働組合は無く、労働基準法は当然守られず、頼みの綱の働き方改革の中小企業への適用は来年である為にこの激務は一年間続くのだが、それでも源治は毎日を必死になって働いている。


 源治の職場は、源製パンというバブル期に出来たパン工場であり、創設者であり会長の源重治が仕事の休憩中に食べたアンパンに感銘を受け、すぐさま銀行からお金を工面してパン職人を各地からスカウトして、究極のアンパンと名高いものを作りあげた、これが出来たのは、当時バブルで、銀行が簡単にお金を貸してくれたのである。


 だが、その内情はーー


「ちょっとねぇ、早くしなさいよ! この馬鹿!」


 現場リーダーの影山美智子は、クリーム色の壁に安全靴で蹴りを入れて、現場にいる作業員を思い切り怒鳴り散らす。


 現場では、バブルの時に作られたベルトコンベアから、キイキイと言う動力部のギアの所々が錆び付いた、いつか壊れるのではないかと言う不安を周りに与えながら、一個120円程のやや挑戦的な値段のアンパンを送り出している。


「全く使えないわねぇ!」


 美智子は、禁煙だというのにも関わらず煙草に火をつけて地面に唾を吐き捨て、煙草吸ってくるわ、と言って現場を出ていく。


(死ねよ糞婆……!)


 パワハラを受けている作業員の中には、源治がいる。


 ーー源治は、源製パンにかろうじて就職が決まったのはいいのだが、毎日がパワハラと激務で疲弊をし、ほんの僅か、高卒の初任給よりも1万円程多いというメリットしかない給料を貰い、なんとか毎日を暮らすだけの退廃的な日々である。


 就業のベルが鳴り、源治達はようやく、美智子が支配する恐怖でヒステリックな胃が痛くなる仕事に終わりを告げた。


 ****


 事務所で最近ようやく慣れてきたパソコンを操作して日誌を書き終えた源治は、ふらふらと疲れた体を引きずるようにしてロッカールームへと歩いて行く。


(あの糞婆、まじで殴りたい、だが懲戒免職になったらどこも雇ってくれる職場は無いんだ……!)


 いくら頭の悪い源治でも、会社での暴力沙汰はご法度であり、警察沙汰、最悪懲戒解雇になってしまったらどこも雇ってはくれなくなるのは知っている。


 相変わらず美智子は、事務所でも怒鳴り散らしており、周りが戦々恐々としているのである。


 ロッカールームに着くと、茶髪の男が一人、誰かとペチャクチャと電話をしている。


「ねぇ、いいじゃんよぉ……3Pでさぁ! ツレはブサメンだけどあっちの方は使えっからさぁ……! ねぇ、楽しもうよ! え? 警察……んなさ、ちょっと待ってよ、ねぇ……!」


(どうしょうもねぇ、馬鹿だこいつ……!)


 源治のため息に気がついたのか、茶髪のそいつは残念な表情を浮かべて源治を見やる。


「お前またナンパしたのかよ? これで何度目だよ?」


「いや、大人的な社交的な誘いってやつさ……!」


 そいつは、大人のそぶりを見せているが、内心は性的な欲求が高すぎて見境なく誰でも声を掛けて性行為に誘っては振られてばかりのクズだというのを源治は知っており、なんで俺の周りにはこんなろくでもない連中ばかりがいるんだろうなと再度深いため息をつき口を開く。


「取り敢えず、パチスロ行って酒飲んで帰るぞ」


「あぁ、そうだな、そうすっか、新台が出たんだよ! 前から目をつけてたやつでさ!」


「お前先週2万円負けたんだろ? 大人しく一パチにでもしろよ……」


「いやさ、ハイリスクハイリターンってやつっしょ! 源ちゃんもさ、やろうよ!」


「俺はやらねーよ! 行くぞ!」


 源治はロッカールームの鍵を開けて、ネットショップでシーズンオフの割引で購入した、黒のダブルのライダースジャケットとダメージジーンズを取り出す。


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