第14話 エレーナ・デ・ロイヤルバーグ
「なんかお前と馬車に乗るのも久しぶりだな」
「そーですわね」
エレーナは窓の外を眺めたまま、アベルの方を向こうとしない。
「ご機嫌ななめだな。どうした?」
「……ラシェル様と二人きりで夜を過ごしたそうですね」
「コレットか……。野宿で夜番を一緒にしただけで、その間会話もほとんどしてねーよ」
「どーだか」
がたごとと馬車が揺れる。さすが貴族用、揺れが少ない、などと関係のないことを考える。
一昨日の晩のラシェルの態度といい、最近は女子に嫌われる傾向にあるようだ。
「それに貴方ごときが社交パーティーに参加するというのが納得行きません。お兄様は昔からおかしいところがありましたが、ここまで本格的におかしいとは思いませんでしたわ」
「頼むエレーナ、色々教えてくれ!」
エリック・デ・ロイヤルバーグ。アベルが日頃からお世話になっている貴族だが、先日ついに社交パーティーに招待してもらえた。金と人脈を希求するアベルにとって願ってもない誘いであったが、肝心の社交界のマナーを知識としてしか知らなかった。だから今こうして、生きた知識の教えをエレーナに乞うている。必死で。
「はあ……ま、貴方が粗相をした時、関係者として恥をかくのはわたくしですものね。まず、そんなに足をだらしなく開くのはアウト。制服のボタンを一部外すのもアウトですわ。喋り方も、堂々としているのは結構ですが、やや間延びしています。もっと一語ずつハキハキと」
「これは失礼しました、エレーナ」
アベルは言われたものを全て直し、ハキハキと答えた。
「……それと食事マナー。普段のバサスやコレットとの会食を見ていましたら、惨憺たるものですわ。ダンスもどうせ知らないでしょうね。家に着いたら、みっちり教えてあげますわ」
「ありがとう、エレーナ」
アベルは爽やかに笑った。
「なんか、気持ち悪いですわ」
「ひどくね?」
アベルはロイヤルバーグ邸の手前で馬車を降りた。用事があるため、それを済ませてから、昼過ぎに向かうと伝えていた。
「エレーナ、また後でな」
「ええ、ご機嫌よう」
降りた地点では、いつも通りメイド服姿のフィオが既に待っていた。
「それではアベル様、参りましょうか」
「ああ」
二人で情報屋ノードのいる酒場を目指す。
「大学の調子はいかがですか?」
「ぼちぼちかな。この間は初めて野外演習があったけど、キャンプみたいなもんで楽しかったよ」
「へえ、そうなのですね! 夜は皆さんで焚き火を囲んだりとか?」
「そうそう」
フィオとの間は先週以来、一緒に飲んだこともあってか雑談が増えていた。
「……では、その女子生徒様はアベル様にご好意を!?」
「ってほどではないだろうけどな。でも嬉しいことに変わりはなかったよ」
「本当に、早く身を固めてくださいね? その娘を泣かせることになってもおかしくないのですから」
「だ、大丈夫だよ……」
酒場につくと、テーブル席には既にスレイアが待っていた。
「お待たせ。外で会うのはひょっとして初めてか?」
「そうだな」
スレイアはそっけなく、ほとんど氷だけになったグラスに口をつけた。
「マスター、今日も繁盛してますね!」
「はは、まだ昼だから全然だ」
「そうでした。俺は昼からがっつり飲みたい気分なんです」
「強めのいくかい?」
「あ、やっぱりそこそこので。水割りのロンググラスで、ゴクゴクいけるやつお願いします」
アベルはマスターに合言葉を意味する注文をした。
「スレイアはりんごジュースでいいか?」
スレイアはこくりと頷いた。
アベルとフィオは出てきた酒を飲んだ。合言葉の内容は、曜日日付や時間帯、マスターの返答次第で変わる。それでも出てくる酒は、いつもアイススライム。
アベルとフィオは先週通り、店の奥の扉を開けて、地下へ入った。
「待ってたぜ」
ノードは既に、大量の資料を机の上に置いていた。
「すげー量だな」
「ま、注文がアディパティ商会についてってもんだからな。それに関するもんは一通り集めた。これでも削ったぐらいだな」
アベルはぱらぱらといくつか手に取る。
「一応概要を説明するとな。あそこはとんでもねーぞ。まず構成員の少なくとも150名が魔族っつー証拠がある」
「傭兵業だと、ありがちだな」
高い魔術力、戦闘力を持つことから、傭兵団に魔族が入っていることは珍しくない。
「ただ規模が違う。この資料を見てみろ。あそこのメインは金融だが、かなり手広く貸している。でかいところから小さいところまで。でかいところは代理で、小さいところは直接、落ち目のところを絞り尽くすようにもっていく。そして得た株で、事業支配よ。これがほとんど秘密裏にやってるせいで、全く計上こそされないが……規模で言うと、王国の商会でトップ10に入るだろうってことが分かった」
「それって……」
「異例の成長速度だ。同じ経緯で貿易業もやっているが、構成員にビヤバン王国関係者がいるようで、ビヤバンとの貿易が主なようだな。これの売り上げがでかくて、繊維品のシェアならドリドリア商会、マスタード商会に次いで3位だ。そして肝心なポイントが、奴隷貿易だ。アディパティ商会は奴隷をどこから調達していると思う?」
「一般的には、盗賊団のような犯罪集団が拐うか、傭兵などで戦争に協力して、侵略した部族を裏で販売させてもらうかのどちらかだが……」
「スタイルとしては後者。そしてその協力先が、ロドルフ教会なんだな」
「なっ……」
戦慄が走る。フィオも口を覆っている。
「ま、驚くのも無理はねえか。だがなアベル、社会ってのはそう言う風に出来てるもんだ」
「つまり……教会騎士団が魔族の部落を制圧し、先住していた魔族をアディパティ商会が売り払うと……それだけでなく、制圧の段階でも協力している?」
「そういうことだ。教会では従来の、魔族は徹底的に虐殺するという方針に対して、裏で魔族を利用してでも利益の追求に走る一派が現れている。ここは調査対象外だからこれ以上何とも言えねえが」
「教会騎士団と魔族が一緒になって魔族の部落を襲うとか、なんつー茶番だ?」
もはやこうなってくると、教会に主義主張など存在せず、営利団体としか見えなくなってくる。
アベルはエリックの言葉を思い出す。
「ーーいいかいアベル、僕ら貴族は、一部の教会系を除いて、お金と権力しか見えていない。そしてそういう人間が為政者と繋がりを持ち、さらに支配を強めていく。そうして強くなった家には、もはや一般的なイデオロギーは無意味だ。ついでに言うと、これは貴族以外のほぼ全ての団体に当てはまる」
金、権力。支配。
だんだんと、世界の見え方がクリアになってくる。
人の行いの波が、一定の規則を持って打つ。
「アベル……聞いているか?」
「え? あ、悪い、なんだって?」
スレイアがジト目でこちらを睨んでいる。
ノードとの話を終え、バーに戻ってきてからというもの、アベルはずっと思考に溺れていた。
「今日は何時ぐらいに帰って来れそうだ、と聞いたんだ」
「あ、ああ。社交パーティーが終わるのが22時だから……23時ぐらいかな。もしかしたらもっと遅れるかも」
「何故?」
「何が起こるか分からないしな」
「……勝手にしろ」
スレイアは立ち上がり、椅子を強く押し戻した。その衝撃で、空になったグラスの氷がからからと音を立てる。
「悪いな、わざわざここまで来てもらって」
「……別に、頼まれたからやっただけだ」
スレイアには、ノードにもらった資料を回収するのを頼んだ。大量の機密資料を抱えたままパーティーに行くのは気が引けたからだ。スレイアを一人で外出させることにもリスクもあったが、スレイアが借りを作りっぱなしであることを気にかけていたのであえて頼み込んだ。それを承諾してくれた時の彼女は、ここまで眼が鋭くなかったのだが。
スレイアが酒場から出ていくと、隣のフィオが顔を近づけてくる。
「あーあ、後でフォローしないとダメですよー?」
「はは……」
やはり、考え事をしていて話を聞いていなかったのが癪に障ったのだろう。
「私たちもそろそろ出ましょうか。次はエレーナ様のご機嫌を取らなくてはなりませんよ」
「それもまた、重大な仕事だな……」
アベルは立ち上がった。
「そしてロイヤルバーグ邸までの道中では、私のご機嫌も取らなくてはなりません」
フィオはにやりと口の端を持ち上げた。
「……フィオさんにはいつも助けられてます」
「ありがとうございます♪」
アベルはやれやれと肩をすくめた。
「どうだ?」
ロイヤルバーグ邸の一室にて、ピアノの音が止む。エレーナはアベルに手を取られ、腰を支えられたまま、天井を向いた状態になっている。
「……ふん、まあ、そこそこ見られるようにはなってきましたわね」
「よっしゃ」
エレーナ師事のダンス練習が始まってから約1時間。ようやくポジティブなコメントが返ってきたことにアベルは安堵する。
休憩のため、部屋の端のソファに二人で腰掛ける。フィオが冷たい水を持ってきてくれた。
「これでダンス、食事マナー、会話の仕方等基本マナーは押さえたな。後は酒や時事の知識でも仕入れておくか」
「あまり調子に乗らないでくださいます? 貴方がどれだけ社交界について学んだところで、それに値する人物ではありませんので」
「でも、今回は純粋な貴族王族のみの社交界ってわけじゃないだろ? 商人も何人か来るって、エリックさんが」
「それだってお兄様の伝手でごくわずか数人ですもの。……まあ、ブレイブ大学生ということは大きく働いたのかもしれませんが」
そう、今回社交パーティーに誘ってもらえた理由に、ブレイブ大学生であるというのは非常に大きい。いくら優れた能力を持っていたとしても、家も金も勲章も満足に持たないアベルを誘うことはしない。否、できないと言った方が正しい。エリックは出自よりも実力で人をみるが、立場がある。
「あと一応、これも持ってきたんだよ」
そう言ってアベルは制服のポケットに入れていた物を取り出した。それは鉄で出来た小さな竜が象られており、黒いリボンがついている。
「そ……れは、ドラゴンスレイヤー勲章!? どこからぎってきたんですの!?」
「ぎっとらんわ! 一年前、ドラゴンを討伐した時に王から頂いたんだよ!」
「アベル、懺悔するなら聞きますわ」
「だから、間違いなく俺が頂いたものなんだっつーの! ほら、裏面に記名されてるだろう」
「偽名まで使って……」
「はあ……もういいよ。とにかくお前が何と言おうと俺はこれをつけて行くからな」
アベルは制服の胸、学生章の横にその勲章をつけた。
「……まさかマジなんですの?」
「俺が魔物討伐のプロって知らなかったか? 村の近郊で低級竜が暴れてたから、村の自警団で狩ったんだよ。四人がかりだったけどな、一応、とどめを刺したのは俺なんだぜ?」
エレーナは制止している。
「……どうして今まで言わなかったのですか? ドラゴンスレイヤー勲章を持つ者なんて、同学年で貴方ぐらいのものでしょう」
「言って俺になんかメリットあったか?」
「周囲の評価が上がるじゃありませんの」
「確かに、言われてみればそうかも」
「……なんか貴方って時々ズレてますわよね」
「よく言われるよ……でもいきなりつけたところで、今のお前みたいな反応が先に来るだろうな」
「それは、そうでしょうけれど……」
「勲章なんて、結局もらっちまったら後はただの飾りだ。今の自分を見てもらわなきゃ無意味だしな。今回つけて行くのは、見栄を張らなきゃならん状況だからにすぎない」
「……一理ありますわね。貴方って時々ズレていますけれど、時々誰も気付いていないような正しいことをおっしゃる時がありますわね」
「そうかな」
「ええ。少し、お兄様に似ていますわ」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。お前も、エリックさんも、俺は尊敬しているからな」
「……そうですか。……さあ、練習の続きですわ! 言っておきますがその程度の腕でわたくしと踊ることなど、ロイヤルバーグ家の恥ですので!」
エレーナはアベルの手を引き、部屋の中心に導く。
「やれやれ……」
結局エレーナの師事は、定刻ギリギリまで続いた。
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